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「水道橋博士のメルマ旬報」第三回

2014年7月17日、パリの労働局から一通の手紙が僕が勤めるレストランのオーナーシェフに届いた。その内容は、僕のフランスでの労働許可の更新を却下するということだった。

パリのビストロでシェフをしているというと、なんだかかっこいい感じに聞こえるかもしれないが、フランスにとって僕は所謂ただの外国人労働者。料理の仕事はきついし、ミシュランの星をとるような店は一握り。料理人は、フランス人の若者にとって憧れの仕事では決してないだろう。だからフランスの飲食業界には、多くの外国人が合法にも違法にも働いている。星付きのフランス料理のレストランだって、僕のような外国人が料理を作っていることは珍しくない。僕はフランスの飲食業をささえる外国人労働者の一人なのだ。

労働局からの手紙について、オーナーから内容を告げられたとき、僕はどうしてこんなことになったのか、全く理由が思いつかなかった。警察にお世話になるような悪事を働いたことは一度もない。法律を無視して、許可なく違法で働いた経験もない。税金もきちんと納めている。新学期からはパリの公立幼稚園に入園することが決まっている娘がいて、妻も国立大学で教職についていた。家族全員が慎ましく生きる真面目な外国人だ。それなのになぜ?狐につままれるとは、きっとこういうことだ。

僕のフランスの滞在は、仕事があるからという理由で許可が下りているいる。給与所得者としての身分でフランスで生活してよい、と滞在の許可をもらっている。言い換えれば、労働許可がなくなるということは、給与所得者ではななくなり、フランスに滞在する理由もなくなり、この国を去らなければならないということを意味する。家族は?娘の教育は?不安に思うことは山ほどあった。しかし不安に思っているだけでは、何も解決しない。このまま自分だけ日本に帰るわけにもいかないし、そもそも帰りたいわけではない。だから、いったいどういった理由で僕がこんな事態に陥ってしまったのか、とりあえず調べてみた。

すると、理由はこいうことだった。僕が勤めているレストランに、以前労働局が抜き打ちで外国人不法労働者を取り締まりに来たことがあった。その際に、ある一人の日本人のパティシエが労働許可証を持たずに不法に働いていて、そのことを摘発されたオーナーが外国人不法労働者を雇った罰として違反金を払ったことがあった。しかし罰はそれだけでは済まされず、合法的に働いている別の外国人の労働許可の更新申請もなぜか却下するという流れになったのである。そして僕が、その合法的に働いている別の外国人であり、労働許可の更新が突然却下された。そして僕は労働許可ばかりか、フランスでの滞在許可まで取り消され、期日までに国外に退去しなければならないと、唐突に手紙で通告されたのだった。

先にも書いたように、給与所得者として僕は税金もきちんと納め、後ろめたいことは何もない。けれど僕は日本人だ。納得のいかない話ではあるが、お役所の言うことは絶対だと思っていた。逆らうことも、決定が覆る可能性も全く考えずに、決定には従わざるを得ないと思い、それを妻に電話で伝えようとしたその時、マリ人の、これまた外国人労働者である同僚が、「ちょっと待て。」と言ったのだ。彼の名前はシークー。そしてシークーは、この後現在に至るまで、僕が一番仲がいいアフリカ人の友達となった。

シークーに、労働局のからの手紙を見せ、説明し、「僕はもうフランスで働くことができなくなった、日本に帰らなければいけない。」と言うと、彼はおもむろに携帯電話と一枚の名刺を取り出して電話をかけた。そしてその電話が繋がるまでに、「誠、心配するな。大したことはない。」と声にならない声で僕に言ってくれた。その時はまだどうにかなるなんて全く思えなかったけれど、その言葉がとても僕の気持ちを落ち着かせてくれた記憶は今だにある。

シークーが電話した相手は、彼が以前に離婚裁判をした時に依頼したフランス人弁護士だった。その弁護士に僕の置かれている状況を説明し、面談の予約も取ってくれたのだ。今も僕のフランス語はひどいもんだが、内容が内容なので、僕が直接弁護士と話すより、シークーが説明してくれて本当に助かった。シークーが言うには、その弁護士は外国人を顧客とする外国人問題専門の敏腕弁護士で、とても人柄も良く、相談料金も適正、と言うかむしろ、困っている外国人の足元をみない料金だということだった。

シークーの強い勧めもあり、僕は労働局と戦う方向に気持ちがどんどん傾いていった。なぜなら、僕には何の落ち度もないのだ。だからその夜、妻に全ての経緯を説明し、藁をも掴む思いで、その弁護士を頼って労働局を訴える決意をしたのだ。

弁護士との最初の面談は、いくら大学で働いている妻でも畑違いの法律用語には自信がないと言うので、10年、いや15年来の日本語がわかるフランス人の友達に付き添ってもらうことにした。面談の時間は夕方遅くだった。娘を保育ママに預ける時間外だったので、まだ3歳にもならない娘もベビーカーに乗せて、家族総出で、パリ10区の、アラブ人やアフリカ人が多く住む移民街にある弁護士事務所に集結した。

シークーが紹介してくれた弁護士は、痩せ型の長身長髪という見た目だった。タバコが大好きで、フランス映画によく出てきそうな、いかにもフランス人というイメージの人だった。
最高の布陣で臨んだ第一回目の弁護士と面談は、まず労働局から届いた手紙の内容確認から始まった。そして弁護士が言った最初の言葉は、「この手紙の内容は不当だ。労働局を訴えましょう。」だった。その日のうちに、僕は僕個人でパリの労働局を訴えるために裁判を起こすことになった。フランスに来て、こんなことになるなんて、誰が想像できるだろうか。

弁護士との会話は法律専門用語が飛び交うので、妻と付き添いのフランス人の友人に通訳してもらい、内容を理解しながら進めて行った。料理関係のフランス語は大抵わかるのに、裁判に関する言葉は全然わからない。僕は思わず眉をひそめた。しかし、こんな感じのやり取りは、裁判のための書類作りのために、数回繰り返された。その都度つきあってくれた友人には感謝の気持ちしかない。そして、いよいよ裁判のための書類作成も終わり、労働局を訴える準備が整った。弁護士は最後の面談で、「どう考えても労働局が下したあなたについての決定は不当で、全くもって理解できない。だから、100パーセントとは言いませんが、勝訴すると思います。あとは結果をまちましょう!」と言ってくれた。

同僚のシークーが僕に弁護士を紹介してくれなかったら、僕は労働局を訴えることなど考えもつかず、日本に家族と一緒に?それとも一人で?帰っていたのだろう。と言うことは、このメルマ旬報への参加もなかったことだろう。

この国にいる外国人はみんなメンタルが強い。目の前にある困難や問題に甘んじず、抵抗したり、争うことを選ぶ人が多いように思う。どうにかしてやると行動する。僕の今までの考えはナイーブだったと認識した。この国の多くの人は、国やお役所がやることが100%正しいとは考えない。国も間違いを犯すことがあるのだ。

弁護士の言葉を信じて裁判を起こした何週間か後に、僕は、僕がこの裁判に勝訴したことを知らせる手紙を受け取った。すぐに弁護士に電話して、勝訴の知らせとお礼を、僕の拙いフランス語で一生懸命伝えた。そして労働局に請求した慰謝料は、そのまま僕の弁護士費用になり、結果、僕は一銭も払うことなく裁判に勝利して、元の生活を取り返した。

あれから7年、僕は現在、毎年更新しなければいけなかった労働許可証から、10年ごとに更新すればよい労働許可と滞在許可証を手に入れている。市役所の係員との面接で、長期的にフランスに滞在してもよい善良な市民として認めてもらえたのだ。

フランスに来て、人との出会いとタイミングで人生は変わっていくことを身を持って理解し、確信した。そして、良くも悪くも、不当だと感じたら行動して戦ったほうがいい。この一連の事件では、精神的な疲労を伴うことにはなったが、多くの学びも同時に得られたと思っている。

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