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「水道橋博士のメルマ旬報」第十三回

僕の記念すべき初めての絵の展覧会が終了した。展覧会中にロシアによるウクライナ侵攻が始まり、世界の情勢は大きく変わってしまった。心穏やかではない日々が続くが、実際に国を攻撃され、住んでいた土地を奪われ、そこを去らなければならないウクライナの人々に比べれば、物価が上がろうが、国際郵便物が遅延しようが、ロシア上空を飛行できずに飛行時間が延びようが、本当に大したことではない。しかし、僕らはたった一人の権力者が手にする指揮棒の一振りで、これからの先行きを、こんなにも脆く不安に思ってしまうのかということに、寂しさと落胆を覚えた。

僕の料理や絵で、もちろん何かできるかなんて思わないけれど、普段通り、続けるということを僕はしようと思う。それが、もしかしたら僕なりのささやかな抵抗なのかもしれない。僕の周りの人だけでも、それで少しでもにっこりしてくれたら良いと思う。

展覧会中で一番印象に残ったことは、僕の絵のファンだと言ってくれている、マルティーヌというフランス人のお婆ちゃんが来てくれたことだった。彼女はフランスの南西部からわざわざ、僕の絵の展覧会のために泊まり掛けでパリまで来てくれたのだ。果たして僕が70歳を超えても、彼女と同じような行動力や好きなことに対しての情熱を持ち続けられるだろうか。

画廊で初めて彼女と対面した時に、初めて会ったのに、すぐにお互いが誰であるのかすぐわかった。コロナ禍ではあったけれど、握手を求めてくれた彼女が差し出した手を、僕には拒む理由などどこにもなく、躊躇なく硬い握手をした。年齢は70歳を超えていることは知っていたので、ピンと背筋が伸びた凛とした彼女の姿に驚いた。そしてとても品があり、その品は一朝一夕で身についたものではなく、おそらく素敵な人生を積み重ねて来た結果なのだと思う。

手を握ったまま、僕が絵を描き始めて間もない頃に、すぐに僕の絵のファンだと言ってくれ、絵を購入してくれたことのお礼と、そのことが絵を描き続けていくモチベーションになり、パリや東京の画廊で展覧会ができることになったことを直接彼女の目をみて伝えた。
それを聞いた彼女の顔は、とても嬉しそうで、僕に一言「どういたしまして。それは本当にあなたにとって良かったですね。私も嬉しく思うわ。」と言ってくれた。この瞬間を、きっと僕は一生忘れないと思いながら、涙がこぼれてしまった。

それから、彼女は、画廊に展示されている僕の絵を、ギャラリーのオーナーのセシルの説明を聞きながらじっくり全部見てくれた。至福のときというのはこのような瞬間なのではないだろうかと思いながら、この幸せな空間にいるために、絵を描いたのだなと思った。僕の絵のファンと言ってくれている彼女は、見終わった後に2枚の絵を購入してくれた。以前、すでに2枚の絵を購入してくれているので、合計で4枚、僕の絵を所有することになる。彼女の人生の残りの時間に、僕の絵が寄り添えることを、本当に嬉しく思わずにはいられない。絵を介して、僕は彼女とずっと間接的にコミュニケーションが取れるのだ。

帰り際に、今度、機会があれば彼女の家に遊びに行く約束をした。叶うかどうかわからないけれど、約束を交わした。そしてまたコロナ禍ではあったが。抱擁して、もう一度感謝を言い、「また元気で会いましょう」と別れた。彼女を見送りながら、彼女に出会えたことはきっと、これから僕が絵を続けて行く中で、何度も思い返しては、勇気やモチベーションをもらうことになるだろうと思った。たった一枚の絵が、ここまでの人との出会いや出来事を僕にもたらせてくれたのだ。

展覧会では、他にも色々な人から感想をいただいた。中でも、僕の絵はモーリス・ドニがやろうとしていたことに似ている、とある人に言われたことが強く心に残っている。僕は恥ずかしながらモーリス・ドニを知らなかったので、さっそく調べて見たら、なんと偶然にも我が町、サンジェルマンアンレイに彼の美術館があったのだ。モーリス・ドニについて全く知識がなかったのだが、実は彼の絵は、オルセー美術館で見たことがあった。しかしその時はとりたてて心に残る絵ではなかったのか、誰が描いた絵なのかを覚えていなかった。

彼について調べると、まず初めに、ナビ派というキーワードが出てきた。ナビとはヘブライ語で「預言者」という意味で、当時は前衛集団だった彼らが、新しい表現を提言して行くという意味も含まれていたのだと思う。モーリス・ドニは、そのナビ派の指導者ということなのだが、僕はナビ派という言葉を初めて知ったぐらい美術に関して何も知らないのだが、調べてすぐに、ナビ派にすぐに夢中になり、好きになってしまった。

特に画面の構成がどれも素晴らしく、とても僕好みだった。画面の構成は、僕も強く意識しているので、そういうところも確かに似ているのかもしれない。僕はナビ派を知らなかったがわけだが、具象と抽象の間に位置しているようなモーリス・ドニの絵は、まさに僕の趣向に合うものだ。だから、僕の絵を見た人が、僕の絵がモーリス・ドニがやろうとしていたことに似ている、と思うのは、当然なのかもしれない。何を見て描こうが、必ず自分が感じる主観を優先して絵を描きたい。

モーリス・ドニには、出会うべきして出会ったとしか思えなかった僕は、すぐに我が町のドニ美術館に行った。しかもその日は意識していなかったのだが、ちょうど3月の第一日曜日でフランスの美術館は入場無料になる日だった。気持ち的にはお金を払ってでも見る価値があるし、見たいという欲求が高まっていたので、お金を払わないことに対して、なぜか少し残念な気さえした。

彼の絵が全部好きなわけではもちろんなかったが、何枚かは、本当に僕が好きな絵があった。とにかくカッコ良いのだ。他にも色々な言い方があるのだろうが、僕の一番の褒め言葉はこれだ。僕も、何を対象に描こうが、カッコ良い絵が描きたいと思っている。

「絵画作品とは、裸婦とか、戦場の馬とか、その他何らかの逸話的なものである前に、本質的に、ある一定の秩序のもとに集められた色彩によって覆われた平坦な表面である」

とモーリス・ドニは言っているが、この考えが好きだし、カッコ良過ぎる。僕自身が、絵で何か言いたいことがないのも、絵は所詮絵だと思って見ているし、そう思って描いているからだ。だから、そういう感覚で絵を描いていない人の絵は、あまり好きではないことが多いような気がする。モーリス・ドニとは、宗教観や道徳観や人種も違えば、生まれた場所も環境も、生きて来た時代も違うのに、同じような感覚を持てるということは、とても興味深いし、なんだか少し嬉しい。

「絵画にまったくふさわしい公式がある。一個の大きな真実をつくり出すためのたくさんの小さな嘘。」

と、同じナビ派のボナールという画家が言っているが、この言葉も好きだ。絵を見た人が、その絵になんらかの真実を感じることができた時に、心が動かされるのだと思う。絵を描いた人と見た人との協働作業で真実が作られるということだ。素敵だ。素敵過ぎる。

もしも僕がモーリス・ドニと同じ時代に生きていて絵を描いていたら、きっとナビ派に参加していたことだろう。それは叶わなかったが、彼が人生の最後に住んでいた町に、偶然にも時を経て僕は今住んでいる。

僕の人生は偶然だらけ。日本を離れることになったのも、パリで料理の仕事につくことになったのも、実は僕が計画的に実行したことではない。たまたまそういうことになったから、僕がそこでできることに真面目に向き合ってきた。そしてこの町に住むことになったのも、僕のファンと言ってくれているマルティーヌとの出会いも、パリの画廊で展覧会を開催できたのも、本当に偶然。偶然だらけではあるけれど、それが僕なのだ。初めての展覧会が終わって改めて思ったのは、僕はこれからも偶然に真面目に向き合いながら、自分にできることを楽しくやっていきたいということだ。

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