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20230910学習ノート『三つのインタナショナルの歴史』第19章-1 ベルンシュタインの修正主義とケインズ主義の関係

20230910
『三つのインタナショナルの歴史』

【第19章 ベルンシュタイン修正主義 —— アムステルダム大会(1904年)】

1904年、第2インタナショナルの第6回大会が、アムステルダムで開かれた。この大会の中心的な問題は、ベルンシュタイン修正主義に関することであった。ベルンシュタイン修正主義は、一般に帝国主義、特にドイツ帝国主義の勃興の産物であり、第2インタナショナルの創立以来発展してきた右翼的な傾向が実を結んだものであった。

エドゥアルド・ベルンシュタイン(1850-1932)は、鉄道技師の息子で、ドイツに生まれた。ドイツで社会主義者取締法が施行されている間はイギリスに亡命していた。そこでエンゲルスと出会い、協力者となった。「ゾツィアルデモクラート」の編集者を務めた。
ベルンシュタインが修正主義者となったのは、初期の帝国主義に特徴的に表れていた事実が基になっている。その事実とは、
1. 資本主義体制が急速に発展し相対的に安定していること
2. 大ストライキが広範に成長していること
3. 労働者の、特に熟練労働者の実質賃金がわずかながら増大していること
4. 労働者階級の経済的・政治的組織が大幅に伸びていること
5. 労働者がある程度の民主的権利を、特に選挙権に関する権利を勝ち取ったこと
6. 知識層、技術者などの「新しい中産階級」が成長していること
などである。
イギリスのフェビアン派社会主義者の影響を受けたベルンシュタインは、こうしたことを基にして、マルクス主義は誤りだという結論に達した。資本主義は退廃して反動的になる代わりに、次第に社会主義に進化しようとしているというのだ。ベルンシュタインはマルクス主義者を装いながら、マルクス主義の全体系を「修正」し、マルクス主義を破壊しようとした。1889年10月に、シュトゥットガルトのドイツ社会民主党大会に、初めてその思想を手紙に書いて送った。1899年には、修正主義思想を体系的にまとめた『社会主義の前提』を書いた。

ベルンシュタインは、ブルジョア愛国主義を支持し、ミルラン主義に賛成し、帝国主義と植民地主義に祝福を送った。「プロレタリアートの独裁」という言葉をあざ笑い、革命は必要もないしできもしないと言った。資本主義の柔軟な諸制度は、さらに発展させるだけでよく、暴力で打ち壊すなどということは不必要だというのだ。「民主主義社会の成員は、投票権によって、事実上、その社会における協力者となるが、この事実上の協力は、やがてかならず真の協力をもたらさずにはおかない」として、ベルンシュタインは階級闘争の存在を否定し、綱領の基礎を階級強調に置いた。

このようなベルンシュタインの修正主義を、ローザ・ルクセンブルグは激しく攻撃した。「現在の党の考え方によれば、労働組合や議会活動が社会運動にとって重要なのは、そうした活動が、社会主義を実現する任務に向かってプロレタリアートを準備させ、いいかえれば、社会主義的変革の主体的な要因を作り出すからである。ところがベルンシュタインによれば、労働組合や議会活動は、資本主義的搾取そのものをしだいに弱めてゆくという。資本主義社会からその資本主義的性格を取り除くという。期待されている社会的変革を客観的に実現するというのである」

こうしてベルンシュタインは、資本主義を受け入れ、資本主義という制度をもっとうまく利用しようという、反マルクス主義的綱領を打ち立てた。彼の綱領は、日和見主義的社会主義の綱領として、今もなお生き続けている。
そして、のちにこれに加わっていく概念の基本的なものとして、エーベルト・ノスケの「反革命」、ヒトラー流の「反ソヴェト・ヒステリー」、さらに、産業に補助金を与えることによるケインズ的な「進歩的資本主義」などがある。


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