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野蛮な仮説:人間という生き物は、案外、知能が高くないのではないか

さて、もしも、これが著名人の投稿であれば大バッシング必至のタイトルですが、一般ピープルだから書ける言論活動であったりします。

40年生きてきましたが、なんか、まわりとうまくいかないというか。 なんなんみたいな人があまりに多いので、いろいろ考えて、ひとつの仮説を立ててみました。

人間という生き物は馬鹿である。

という仮説です。

よく、性善説ではダメだと言われますが、かといって性悪説もしっくりきません。

仮にひとが生まれながらにして善だとしても、生き物として人間という生物はそこまで知能が高くないという仮説を立てました。

なにをもって知能とするかですが、知能が高くないと表現するか、心が強くないと表現するか、表現方法は他にあるかもしれません。

何いってんだ、医者とか弁護士とか、東大卒とか、めちゃめちゃ知能高いだろう。という批判が、まず考えられますが。

頭のいい人に限って、かなり馬鹿騒ぎがすごかったりしまして。

飲み会とか、夜とか、学歴や職業関係なくないですか?

まわりに、そこそこ高学歴はいましたが、 そりゃ勉強はできるのかもしれないけど、わりと酷い時は酷いです。

とまぁ、批判に対して、十分に反論できていないところは認めるものの、仮説を続けます。

ひとにはペルソナというものがありますが、多くの人が、そのペルソナを理想的に演じることができているでしょうか。

無理でしょ、実際。

アイドルはうんこしませんみたいなペルソナがありますが、トイレくらい行くでしょう。

建前上、知的に振る舞っているだけで、所詮は、人間も生物という宿命からは逃れられないのではと?
食物連鎖の頂点に立っているので、特別な存在であると意識しているけれど、自己意識ほど知能が高かったりもしくは、心が強かったりするわけではないのではないのかと。

そう考えると、わたしの場合は すべてに納得がいくのです。

子供の頃、いじめにあっていたのは何故か とか。

学校の先生が、給食費を自分のポケットにいれて盗んだ犯人を親が貧乏な立場の弱い生徒のせいにしたのは何故かとか(これはスタンド・バイ・ミーのくだり)

めちゃ高学歴な友人から、マルチ商法の勧誘うけたのは何故かとか。

最近のニュースだと、ビックモーターとかダイハツが不正してたりとか。

ありとあらゆることが、わたしの中では納得がいったのです。

人は、そんなに知能が高くない、にもかかわらず、わたしは、思い込みで 人間という生き物を高等なものと期待していたから失望させられたのだと。

同時に、わたしはそんなに知能が高くない、にもかかわらず、人間という生き物である自分に期待し、高等なことができると思い込み、無謀なことをしているからうまくいかないのだと。

そして、人間という生き物は、知能が低いとみなされると、攻撃の対象になるので、表向き、知能が高いように とりつくろっているだけで、実際は、ほとんどの人類が、そこまで知能が高いわけではない と。

あくまでも仮説なので、結論ではないですが。

人間という生き物は、他の生物にくらべると、高度な知能をもっているが、自己がイメージしているほど高い知能をもっているわけではないのではないかと。 そして、愚かなことに、それが公になると隷属させられる脅威があるので、本能的にバレないように振る舞っているのではないかと。

というか、極論すぎるので、正解とするにはほど遠いし、その仮定を前提に考えたら、他人と関わるのが怖くなるので、かなり修正が必要な仮説ではあるのですが、ここ2~3日、そんな事を考えていました。

現時点で、分岐させている考えとしては

(1)
人類には頭が弱い(心が弱い)人類と
そうではない人類の2種類が存在する。

(2)
人間という生き物は、堕落の危険があり
常に意識をもって振る舞わなければ、堕落してしまう。

この2つあたりが、世間的に受け入れられる範囲内なのかな と。

この(2)なんかは、自分に当てはまるのでそうかなぁと。最近、無精ヒゲを注意されまして。 さすがに、周囲から 君のためだから剃れ と説得され、ヒゲをなおしております。

(1)なのか(2)なのか、これ以上考えても永遠に結論はでないと思うのですが、頭が弱い人や堕落した人とは、今後つきあわないようにしようという結論を出しました。 しかし、


ここまで書いて、最後にお願いがあります。

ひとは、自分のちからではどうしようもない時があります。 若い頃の私は、本当にクズで、どうしようもありませんでした。 公にできない酷い状況で、本当に、クズというかゴミ以下でした。 周りからも見放され、自分のちからでは立ち直ることは、今考えても無理だったと思います。
ある日、善意ある人が、ほんの少し、手を差し伸べてくれた時から、私は少しずつ まともな人間へと更生しつつあります。
自分に負けてしまった心の弱い人や頭の弱い人、もしくは堕落してしまった人を 社会からパージすることは、どうかそれだけはいったん立ち止まって考えていただき、何かのチャンスは残してあげていただきたいことを切望します。 おそらく、私は、あのとき手を差し伸べてくれる人がいなければ、ここにはいなかったからです。



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