マイクル・イネス『ある詩人への挽歌』

ようやくマイクル・イネス『ある詩人への挽歌』を読んだ。

しばらく本屋に行っていなかったので、イネスが新刊で出ていることを知らなかったのである。
おのれのアンテナの低さを恥じつつ、少しづつ読んでいた。

「マイクル・イネスは高尚で文学的な作家などではなく、ゲラゲラ笑える作家である」と言うのは、昔から殊能将之先生などが主張していたことだが、昔はじめて『ストップ・プレス』を読んだときなんかは、なんだかんだヒイヒイ言いながら読んでたように思う。それが今回は非常にスムーズに、面白く読めたのは、イネスに慣れたのか、年の功か?

まあそもそも、『殊能将之 読書日記』によれば、この『詩人への挽歌』は殊能将之先生の「イネス開眼の一冊」らしいので、ほかの作品に比べて面白さが伝わりやすいのかもしれない。

ストーリーはこんな感じ。

スコットランド、エルカニー地方の名家ガスリー家の現当主ラナルド・ガスリーは、非常に偏屈で吝嗇な性格から、村の人々に嫌われていた。案山子に使われている古着をあさって小銭を探す一方で、小作人の子どもが彼を揶揄うとその小作人もろとも城から追い出す有様。過去にはアメリカの親戚が医者を送り込んで、彼を精神異常と断定しようとしたこともあった。トラブルは絶えず、彼の唯一の身内であるクリスティーンの恋人は、エルカニー家の長年の宿敵で、結婚を巡ってラナルドとは一触即発の状態にあった。
そのような中、ラナルドはおかしな行動を取り始める。ウィリアム・ダンバーの詩「詩人たちへの挽歌」(死の恐怖、我を苛む……)を口ずさみながら城内を徘徊したかと思えば、不必要な本を買って散財をはじめる。もともとラナルドは若き日には詩人を目指していたのだが、買い集めているのは到底使わないような医学書。夕食にはなぜかキャビアまでふるまうようになる。
周囲が訝しむなか、クリスマスに事件は起こった。城の塔の上から、ラナルドが身を投げて死んだのだ──

事件が起こるのは中盤あたり。結構遅いのだが、序盤の村の変人奇人列伝みたいな箇所が面白いので気にはならない。

最初の3分の1くらいは靴屋のユーアン・ベルによって占められており、自ら「脱線が多い」としながらも遺産を狙うアメリカの親族、クビにされた差配人、唯一の肉親である姪とその婚約者(もともと敵対していた家の人間である)などの話をテンポよく語る。

そこから事件当日に城に居合わせたノエル・ギルビイ(雪の中迷い込んだのだ)、ギルビイに助けを求められた弁護士のウェダーバーンが次々に語り手を務める。事件の真相について、ウェダーバーンがある仮説を提示したところで、アプルビイが登場し、ウェダーバーンの推理をひっくり返すことになる。

真打アプルビイの登場は遅く、後半も後半にやっとの登場。
若島正先生の解説によれば、これは当初はミステリとして構想していなかったことによるものらしい。
ちなみに本作はシリーズの三作目であるらしく、アプルビイはまだ「スコットランドヤードの若いの」と言われている。引退後も知っている人間としては感慨深い。

事前に充分な手がかりが与えられているというわけではないので、読者がアプルビイと同じ推理に到達するのは、たぶん無理。乱歩は本書について「十戒に反する部分すらある」といっていたが、この辺を指していると思われる。
ただ、(そもそも別にフェアプレイとかを目指している本ではないというのもあるにせよ)このアプルビイの推理自体が、大枠はともかく、細かい点がストーリーが進むにつれて修正されていく。さらなる意外な真相が……というより、被害者の心理面・動機面を掘り下げることで見える景色が変わってくるという感じで、どんでん返しが続くというのとは違うがこういうのも面白い……と思っていると、最後にちょっとした「意外なオチ」が待っている。複数の語り手という形式と、雪に閉ざされた城という舞台のイメージをよく利用した真相で、真面目な謎解きものとしてしかめつらしく読むものじゃないとは言いながら、なかなかやるじゃん、という感じ。

「ゲラゲラ笑える」とは言っても、わかりやすく笑える騒動が起こる、いわゆるスラップスティックコメディというのとは少し違う。どことなくとぼけたような雰囲気の作品。
インテリが昔の通俗読物を思い出しながら遊んでいる感じで、探偵小説が独立したジャンルになる以前の、昔懐かしの荒唐無稽な怪奇冒険物の残響がそこかしこからする。
事件が起こってからは比較的シリアスな進行で、終盤の展開などむしろ悲劇的なのだが、その悲劇もどことなく古めかしい。
「高尚」「難解」とは思わないけど、「典雅」な印象は受ける。そんな作品。

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