エド・マクベイン『警官嫌い』

電子書籍となっているのに気づいたので、エド・マクベイン『警官嫌い』を読んでいた。

この小説に現われる都会は架空のものである。登場人物も場所もすべて虚構である。ただし警察活動は実際の捜査方法に基づいている。

というエピグラフが毎度つく、言わずと知れた警察小説の代表的シリーズだけど、最初の数冊の他は読んでいない。
この『警官嫌い』はシリーズの一作目にあたる作品で、読んだことのある数少ない作品だ。
ストーリーは単純明快。次々と警察官を殺害していく連続殺人鬼を架空の都市アイソラ(ニューヨークがモデルらしい)の87分署の刑事たちが追っていく。

警官殺し、というと思い出すのが大沢在昌の『新宿鮫』。これも新宿鮫シリーズの一作目だった。被害者が警察官だと、捜査という態で警察という職業そのもの、警察官である主人公を描写できるので便利なんでしょう。本作でも中盤あたりに犯人視点で今まさに殺人を行なおうとする描写があり、そのあとすぐに名ありの警官が続々登場して、キャラクター紹介と「誰かが狙われるぞ」的なサスペンスを盛り上げるなど、巧いもんです。

「われわれが警官殺しを許せんというのは、警官が法と秩序のシンボルだからなんだ。このシンボルがなくなったら、街は野獣の巷と化してしまう。街の野獣はもうたくさんだ。
そこで、おれはどうしてもリアダン殺しの犯人をみんなにさがし出してもらいたいが、これはなにも、リアダンがここの分署の刑事だったからでもないし、リアダンがいい刑事だったからでもない。その悪党をひっとらえてもらいたいというのは、リアダンが人間だったからだ──しかも、おそろしくいい人間だったからなんだ」

『新宿鮫』では主人公鮫島は、警官殺しの捜査に狂奔する捜査本部に背を向けて一人銃の密造犯を追っており、それが一匹狼ぶりを際立たせてもいたわけだけど、『警官嫌い』のスティーブ・キャレラはいわゆるハードボイルドな男ではない。捜査も淡々と行なってゆく。
自分の所属する組織(の腐敗)へのハードボイルド的な怒りもなく、かと言って仲間殺しに対して怒りをあらわにするというわけでもない。
キャレラが妙に冷静なのは、上司であるピーター・バーンズ警部が序盤に行う演説が効いているともとれるのだが、アイソラの治安の悪さに慣れっこになっている可能性もあり、なんとも言えない。のちの作品でもちょくちょく殺される警察官がいた気もするし。

とにかく小説の熱量はそこまででもなく、テンポよくストーリーは進む。
このあたりは作風というか、重厚長大な傑作を目指すというよりも、気軽に読めるエンタメへの志向性がそもそも強い感じ。プロット自体もいたってシンプル(クリスティの某作品の再利用)。あまり重い話にはならないのだ。
気軽に読めて気軽に楽しめるというという点では良くできてるし、好きでもあるのだが、娯楽作品の濫觴する現代ではややインパクト不足か。87分署シリーズを踏まえて書かれた後続の現代作品もいっぱいあることだし。

とはいえ、巨匠だけあって話の運びは巧みであり、面白いことは間違いない。
同僚の刑事マイク・リアダンがまだ来ていないとぼやきながら、死体をひっ繰り返すと当のリアダンの顔が現れる、というシーンからキャレラたちの捜査がはじまる。
次々と警官が殺されるなか、キャレラたちは空振りの捜査を繰り返す(途中に不良少年を取り調べるシーンもあったりして、「ああ、エヴァン・ハンターの作品だったな」と思わされる)。警官を殺して周っている犯人の魔手は、最終的にキャレラの身辺にまで伸び、サスペンスを盛り上げながら、クライマックスになだれ込む。

クライマックスでは、犯人がある人物を人質に取り、自分語りをするんだけど、これは良かった。ヤバい感情に突き動かされて無茶苦茶なことをやっているという自覚がありながら、自分で止めることができない犯人像がよく表されていて、とても引き込まれる。今回読んで一番印象的だったのはこのシーンかもしれない。
裁判後の判決が下ったときの犯人の反応も良い(これは昔読んだ時も印象に残っていたシーン)。

全体的な印象としては、先述の通り「面白いが軽い」というもの。ワンシーズンの連続ドラマを一話だけ見るということがないように、こういう作品は一作品ではなく、ある程度まとめて読んだほうが良いのかもしれない。

ところで、事件を引っ掻きまわす新聞記者の存在は、さすがに無茶苦茶で現実離れしてるように思えるけど、これはどれくらい実際の取材方法に基づいているんだろう?

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