内田康夫『平家伝説殺人事件』

子どもというのは案外保守的なもので、物語の「お約束」を守らない作品には忌避感を持ったりする。
自分の場合もそういうところがあって、この『平家伝説殺人事件』など、浅見光彦シリーズをちょくちょく読んでいたにもかかわらず、子どものころ明確に手に取るのを避けていた。
要するにヒロインが予知能力を持っているという前評判一点で気に入らない認定をしていたのですな。
実際に読むと、作中に描かれる「予知能力」は、あるんだかないんだからわからない、演出止まりのささやかな使い方。ロマンチックな雰囲気づくりの装飾という感じ。
オーソドックスでよくできた捜査小説です。

物語はまず、伊勢湾台風の最中に二人の少年が強盗を働いた結果、人を殺してしまい、自分達も堤防の決壊による洪水に巻き込まれて姿を消す、というところから始まる。
次に場面は転換し、女優を目指していたがうだつがあがらず、ホステスをやっている萌子という女の前に当山という謎の人物が現れ、「3年で1億5000万円稼げる仕事」を持ちかけて来る。「どう転んでも罪にならない」「誰も損をする者はいない」「完全犯罪ではなく安全犯罪」だという計画の詳細は明かされないまま再び場面は転換し、今度は高速フェリーでの転落事故が描かれる。
航海士の堀之内は船内の巡回中、甲板で一人の男とすれ違う。男はどうやら酔っているようで、やたら上機嫌だ。堀之内が通り過ぎると、すぐに背後から男が海に落ちていく声が聞こえる。堀之内は即座に引き返すが、甲板には誰もいなかった。
悲鳴のあと堀之内が一瞬で引き返してきた甲板の上は一種の密室で、最後に男を見た時は上機嫌だったことから自殺は考えられない。結果的に、男の妻には多額の保険金が支払われることになる。
この時点で「安全犯罪」の構図は密室トリック以外、だいたい見当がつくようになっているが、場面はここからさらに転換し、今度は東京高田馬場で当山が密室から転落死をする。転落の瞬間を目撃していたのは萌子で、読者からすればあからさまに怪しいのだが、登場人物たちはまだその関係性に気づかない……

ここまでがだいたい5分の1程度。
誰も損しない「安全犯罪」だったはずの計画に何が起こったのか?二つの密室のトリックは?
と謎を提示したところで、堀之内の友人である浅見光彦が事件に関わるようになるのだった。

さっきも言った通り、よくできた「捜査小説」だが、「犯人当て小説」ではないというのがミソで、意外な真相というより、浅見光彦の探索の面白さで読ませる感じ。
平家の末裔であるヒロインとの淡いロマンスを挟みながら、不審ではあるが一つ一つはささやかで見逃してしまいそうなところに目をつけて捜査して回る足取りは面白い。事件に行き詰まったときに容疑者の萌子の言っていたセリフから事件の突破口を開く様子などお見事なもんです。これでロス・マクドナルド的な犯人当てだったら言うことないんだが、さすがに高望みか(でも『後鳥羽伝説殺人事件』は見事だったよね)

密室トリックはどちらも小ネタレベルながら、謎の見せ方のうまさと、もったいぶらずに中盤に謎解きしてしまう潔さで気にはならない。
二つの密室の謎が解かれ、保険金詐取の絵図もなんとなく浅見たち探偵サイドが把握し……というところで、根本的な謎「『安全犯罪』だったはずの計画が、なぜ殺人にまで発展したのか」というところがクローズアップされる。それはとりもなおさず、プロローグで登場した二人の少年の間に何があったのかという謎でもある。

もちろん謎は解き明かされるのだが、最後まで読んで、これは一種の悪女モノなんだなと思った。人旗揚げようと上京した男たちの友情や仁義は、一人の女が絡むことよってメチャクチャにされてしまう。
悪女モノとしては当の悪女にあんまり魅力はないが、これはしょうがない。この作品で重要なのは悪女によって破壊される「都会での立身を目指す男たちの共同体意識」の方であり、壊す役目を担う女は、ある意味で舞台装置なのだった。

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