「躁は巧妙になる」『いのっちの手紙』(坂口恭平)に共感する
坂口恭平さんの『いのっちの手紙』にこんな一節がありました。
この感覚に共感します。
私の場合は、「服」です。
躁になると明らかに服が変わっていました。昨日まで暗い色の服を着ていたのに、突然明るい色の服を着て「気分転換も大事よね」などと言い始めるのです。
今は外出の時、ほぼ同じ色のトーンの服を着るように心がけています。だから「私は躁じゃない」と自分を騙すことができます。周りの人からも気づかれません。
躁は他人を巻き込むと思っています。自分を正当化したり被害者に見せたりするようにも思います。
躁は賢いのです。
そこに気づいている坂口恭平さんの、第二の視点(多分メタ※下に引用しました)のようなものがあるように思えます。
躁はいつまでも同じ様相を見せるとは限りません。「巧妙になった」躁にも気づいていきたいものです。