見出し画像

他人は躁には何も言わない(その3)

 (その3)から記事を出します。のちに(その1)(その2)も出ます。
 
 先日は、「行けば喜ばれるかもしれない」会がありました。何日も前から行くかぐるぐる迷っていました。けれど、その会は数年前に軽躁になるきっかけになっていたことに、記録で気づいていたのです。
 
 そして、本当に行きたいのか分からなかったのです。
 去年も同じ会に行ったのですが、あまり楽しくなくて…。迷う私の頭の中には色々な人の処世訓のようなものが飛び交っていました。
 ・いろんな人と仲良くしなさい
 ・自分から関わるようにしなさい(「来てね」と誘われなくても)
 ・人との繋がりを持ちなさい(老後のためにも)

 ・きっと行けば喜んでもらえるよ
 ・感動的な体験になるだろうよ(去年はならなかったけど)

 ・私にもお役に立てることがあるかもしれないよ

 それでも、最後に「行かない」と決めました。
 躁がどこかで発動する気がする…。将来自分がこの文章を見て「心配し過ぎだったね」と思うかもしれないけれど、今までは(過去の記録を見ては)心配し過ぎと思ったことはないし。

 1つのことをやらなかったとしたら、別の選択肢が未来に必ずあるわけで、私は去年とは違う見たことのない道に一歩踏み出したような気がしました。小さな選択でしたが、落ち着いて迷えてよかったです。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?