コロナ禍で存在を消された私たち コロナ禍で新たに不可視化される存在、そして新たな波へ

「新薬による治療の勝利はまだ来ない。
だが今さしそめている光明は、精神の癩であるレプラ・コンプレックスを、既に決定的に撃砕し始めている。我々病者も今は、ひろびろした世界的人間性と同じ地平の上に、自ら感じつつある」(*1)

これは、ハンセン病(別名:レプラ、癩)患者で歌人の光岡良二の著書『レプラ・コンプレックス』(1948年刊行)の中の文章だ。ハンセン病を患った方たちが、憲法の「基本的人権」の概念を軸として、病いを患った劣等感から「人間」として自分たちが受けた「被害」を認識し始めたことを表している(*2)のだという。
かつて、ハンセン病は「一等国」である日本に相応しくない恥ずべき病いを患った「国辱病」と呼ばれ、後進性の象徴として隔離・撲滅が図られたという歴史がある。

私たちも、このような記録を公にすることによって、2020年の感染者数を少なく抑えられた「日本モデル」という政府の成果や面子をつぶす「国辱病者」になってしまうのだろうか。
私たちは「存在を消された」存在で、歴史教科書の「感染者数」に載ることはない。感染したことも信じてもらえないだろう、社会的歴史的にも認められないだろうといって2020年の理不尽な対応をなかったことにすることはできなかった。
光岡氏のこの文章を借りれば、私たちも同様に、新薬待ちの社会から隠された感染者であったが、「コロナ・コンプレックス」を克服し、「人間」を主張する時が来たと言えるのかもしれない。

私たちは、「陽性証明がなかった」という視点でしか語ることができないが、だからこそ、気づけたこともたくさんあった。

政府の対応の矛盾
社会制度への疑問
メディアの違和感
医療のエビデンスの不確かさ
医療現場の対応の矛盾や不信感
難病指定にならない慢性疲労症候群や線維筋痛症の方たちのこと
Twitterが繋がりや交流の場でもあること
過去の感染症を経験された方たちのこと
西洋医学のこと
代替医療のこと
毎日の食事の大切さ
腸内環境のこと
添加物や化学物質、電磁波のこと
地球環境のこと
家族のこと
自分のこと
意識のこと

今の日本で、世界で、本当は何が起こっているのか。テレビや新聞では伝えない問題や課題がいくつも隠されており、今まで常識や普通とされてきたことにも懐疑的にならざるを得なくなった。
それが奇しくも「感染疑い」止まりの理不尽な扱いを味わうことで問題提起され、様々なことに気づき、生き方までも変えさせられたならば、今回の経験をすることで糧を得られたと考えた方が良いのかもしれない。ただ、私たちのような理不尽で苦しい思いは、できればもう、誰にもして欲しくない。

2022年1月現在、3回目の新型コロナワクチンの接種が始まっている。2021年2月頃から医療従事者への1回目の接種が始まり、その後は順次一般の人へと、国もメディアもひたすらワクチン接種を推し進めてきた。多くの国民が少しの副反応で接種を終えたその一方で、ワクチン接種後に亡くなられた方や後遺症に苦しむ人が出てきている。しかし、後者の亡くなられた情報や苦しむ方の情報はメディアではほぼ報じられず、彼らも世の中から隠される傾向にあるのが現状である。(※2021年12月3日、厚労省がワクチン接種後の心筋炎を重大な副反応に警戒度を引き上げ、そのニュースが取り上げられた。しかし、その時すでに多くの国民が2回目の接種を終えていた。)

今、Twitterでは「ワクチン後遺症」という言葉が生まれ、ワクチン接種後の症状を投稿する声がどんどん増えてきている。ワクチン後遺症による症状は私たちの症状と驚くほど酷似しており、たとえ接種直後の死亡であっても国は頑なにワクチンとの因果関係を認めようとしない。また、彼らがワクチン接種後の症状で医療機関へ行くと診察を断られたり、たらい回しにされたり、周囲から理解されなかったりするようで、彼らを見ているとまるで2020年の私たちのことを見ているような事態が発生している。

もう一つ、新型コロナワクチンに関して見過ごせない少数派の人たちがいる。ワクチン非接種者にも関わらず、接種者の近くにいるだけで私たちと同じような症状が起こるという、接種者からの曝露、いわゆるシェディングを受けている人たちの存在である。
接種者との接触後に意識を失うような眠気や強い倦怠感、湿疹や痺れ、小学低学年や閉経後の方にも起こる不正出血など、様々な声がTwitterなどではあがっている。彼らもまた、「まさか」「そんなはずはない」と周囲からは理解されずに苦しんでいる。
因果関係が証明されないとは言え、ワクチン接種者にはワクチン接種証明がある。社会的な観点から見ると、自身の症状について何も証明するものがない点では、ワクチン後遺症の人よりシェディングを受けている人たちの方が、私たちと近い状況に置かれているのかもしれない。

私たちは、ワクチン推進派でも反対派でもないが、ワクチンによって苦しまれている方たちも、少数派で存在を消されている私たちと同じである。私たちも検査難民や陽性にならなかった少数派であるからこそ、社会の高すぎる壁に何度もぶつかってきた。
新型コロナに限らず、私たちと同じような「少数派」で苦しむ人を、テレビは取り上げず、国は放置し、なかったことにしようとする傾向にある。
しかし、SNSが発展した今、誰もが声をあげることはできるようになった。私たちはTwitterで発信することで出会い、仲間が増え、たとえ世の中から認められない存在であったとしても共に声をあげて社会と戦ってきた。その行動を起こしたことで、少ないながらも私たちのことを知り、寄り添ってくれる人たちも現れ、後遺症についても少しずつ解明が進んでいる。
様々なことに苦しむ方、たとえば病気のことだけでなく、仕事で利用され理不尽な思いをされている方、現場で真摯に働いても搾取され苦しんでいる方、友人や知人に良いように利用されている方など、たとえ少数派で弱者と言われるような人であっても、「明らかにおかしい」と思ったことに対して簡単に声をあげることはできる。
多勢に無力で少数派の意見を隠されがちな社会において、今までは理不尽なことを我慢して耐えていただけかもしれないが、これからは世の中をより良くするために自ら声をあげていく必要がある。ワクチン後遺症で苦しむ方やその周囲の人たちが声をあげたことで、国が心筋炎への警戒度を引き上げたように、今まで国や社会が都合よく隠せてきたことは、もう隠せない時代になってきている。
少数派の声が簡単にかき消されてしまうような歴史を繰り返すことに、終止符を打てる時代が、すぐそこに来ているのかもしれない。

確かに、私たちの中にはまだ当時のことを消化できず苦悩を抱えている者もいる。近い未来に集団訴訟になる可能性も見据えて日々の体調記録をつけ続ける人もいれば、無力感から発信することを諦めた人もいる。記録者の中にもTwitterデモがきっかけで傍観者から発信者へと変わるように、皆それぞれのタイミングがある。こういう国を「選んだのは私」だと気づいた記録者もいるように、2020年から「新型コロナ症状当事者」という目線で、世の中や自身の身体と向き合ったからこそ、様々なことに気づくことができ、自分ができる行動に移してきた。

冒頭に述べたように、国目線では私たちは存在を隠したい少数派の「国辱病者」かもしれないが、それは国の都合である。新たな社会を作るのは、「数」を制しようとする何か大きな力に巻かれることではなく、私たち一人ひとりの意識の問題なのだ。たとえ、弱者で少数派の立場であったとしても、自身が主体となって考え、自身のタイミングで行動に移すことで、次第に数や弱者という立場はなくなっていくだろう。

私たちは当事者という立場に置かれたことによって、「国や政治」とは国の中央で語られる遠い話ではなく、身体を通して未知のウィルスと戦うことで、国を「体内」で感じたのだった。「地球環境」とは、各国が掲げるエコやSDGsといった表向きのスローガンに誘導されるものではなく、突然の体調不良により、添加物や洗剤等の過敏性を引き起こし苦しみ、それは同時に汚され続けた地球の苦しみでもあったのだという、地球を「体内」で感じたのだった。つまり、個人(内)のことは、政治、社会、自然を包括した全ての環境と繋がっていたのだ。

記録者の中に「言葉って、音の波だ。つまり、波動であり、周波数だ」という気づきがあったように、
周囲(外)の言葉は、波動となって自分(内)に伝わり、
自分(内)の心の中の言葉は、自分(内)の体に振動し、
自分(内)の言葉は、波を立てて、周囲(外)へと伝わっていく。
私たちも声を上げ続けたことでコロナ後遺症が徐々に認知されてきたように、自分(内)の発する言葉が、周りで波打ち、やがてうねりとなって、大きな社会(外)を変えることができる。私たち一人ひとりの言葉が、誰かの意識や行動に響き渡り、またそれが他の誰かと重なることで新たなタスペトリーを生み、新たな社会を作る波へとなれるだろう。

私たちの記録が、私たちと同じような「少数派」の人間が置かれている現状、つまりテレビでもあまり報じられず、国や社会も認めようとしない、まるで「存在しない」かのように扱おうとする社会の傾向に対し、少しでも一石を投じることができただろうか。もし、投じることができたのならば、私たちがこの『記録集』を作成したことによって、それが波となって社会に伝わったのかもしれない。
自分のことを「透明人間」などと思わずに済む世の中に、一人ひとりが輝く未来になることを切に願いつつ、そろそろこのnoteを書き終えたい。

最後に、もしあなたが、感染疑いで症状に苦しむ方やワクチン後遺症の方の家族や友人、医療従事者だったとして、まずは否定ではなく「その声」に耳を傾けてほしい。検査で異常値が出ないため心因性で片付けるのではなく、まずは「身体症状がある」という事実を認めてあげてほしい。声を聞き寄り添うだけで、あなたは孤独に苦しむ方へ「一人じゃないよ」という温かい波を届けることができる。
私たちもほんの些細な一言の優しさに触れることで、自分の心と、体と、向き合うことができ、だんだんと自分を取り戻すことができたから。

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