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時間と現代的音楽家の関係

音楽を今の時代の中で、どう捉えるべきか考えるコラム。

今回のテーマは時間。

音楽家に唯一戦うべき相手がいるとすれば、時間ではないかと。

そしてその時間の使い方を変えたスマホというデジタルツールと今は向き合う必要がありそうだ。

1.時間は最大の資源
時間は音楽家にとって他に変えがたい大切な資源。言うなればその価値はお金の比ではない。

その真意は音楽家にとって、アイディアやひらめきは新鮮さが重要であり、それを逃さず、いかに素早くストレスなく形にすることが最も幸福になれるからだ。

しかし単に時間をかければ良いものが出来るという訳ではなく、芸術作品はフレッシュさを保たなくてはならない。

音楽が溢れる時代においても、新譜は常に求められるし、フラゲなんて言葉もあるくらいだから、いち早く新しいものに出会いたいのが人間心理ではないだろうか?

音楽家はさまざまな形で人生の時間を作品に変換し続ける。たった1分30秒の楽曲だったもしてもそれが聴けるようになるまで、数えられない程のエネルギーが注ぎ込まれる。

だから音楽での成果物に時給換算するのはアートとしてナンセンスだ。
どんな苦労があろうとも音楽が流れるその中で、評価が下されるのはどの時代も変わらない。

そしてアートとして本当に素晴らしいものは、金額的な価値を越えて評価される。

音楽家としてリスペクトを払うのなら、その時間、すなわち絶対的な価値を無視してはならない。


2.便利=音楽的な魅力、ではない。
その時間の使い方を変えたのがデジタルシフト、大雑把に言うとスマホである。

デジタルシフトにより、費用、時間、距離など、あらゆる概念に対して無駄を省き、豊かな生活を送ることができている。

しかし聴くことに時間を要する、音楽にこの性質はどこまで受け入れられるのだろう?

リスナーとしては配信ダウンロードやサブスクリプションサービスにより、スマホでいつでもどこでもお気に入りの曲を呼び出すことが出来るようになったし、YouTubeやニコ動で最新MVを無料で見るのが当たり前になった。

AIの発達で好きそうなアーティストまでオススメされるようになり、今リスナーは情報を選ぶことに悩まされている。


一方、創作を行う音楽家にもデジタルシフトにおける効率化という側面は、すっかり浸透している。

DAWやスマホの作曲アプリ使えば、コード進行はワンクリックで組めるし、打ち込みを鬼のように頑張れば、オーケストラのような大所帯のアンサンブルを一人で構築することも可能。

また譜面が読めなくても、ピアノが弾けなくても、頭でイメージした音をこれらのツールで鳴らすことさえできれば、容易に作曲ができるし、この環境下から出来た音楽に新たな時代を感じる。

しかし便利であることが音楽のアートな部分を殺してしまう怖さもある。

「レコーディング・ミキシングの全知識」でDAWによるデメリットが便利であること、の意味が最初はまるで分からなかった。

アナログ時代に比べれば、再生、巻き戻しは一瞬だし、パンチイン、ピッチやリズムのエディットも容易。シミュレーターの進化によりそれとなく演奏が収穫できていれば、後からいくらでも料理ができる。これの何が問題なのか?

しかしレコーディングを続けていくうちにこの利便性やノンリニアな性質がアートにおいて、非常に危険な存在であることが分かった。

例えばギターソロ、ほとんどいい感じに録れたが、最後のフレーズで1フレット間違えて弾いてしまった。
普通ならギターソロ丸々録り直しするのが妥当だし、せめて繋がり的におかしくないところでパンチインして応急処置する。
しかしこの技の本質を理解せず、フレーズをぶった斬って修正が入ることがあってはならない。

他にも人間的な心地よいグルーヴをしているのに、物差し的にグリットに正確なリズムを強制させたり、極端な例だと、生歌が一番の聴かせどころのバンドなのに、ボーカロイドでハモリをつけようとしたり。

DAWに操られたり、DAWのタイムライン上で音並べゲームが起こるようなことがあってはならない。

あくまで音楽の演奏はリニアであって、人間側の都合で誤魔化しや効率化のためにアートが崩れてしまっては本末転倒だ。

打ち込みだけで楽曲を構築する場合においても、こうしたアート的な側面は無視しないようにしたい。

レコーディングで収録する際、このような不自然な事項に対して拒絶反応が起こるのは、音楽家として正しい姿だと思う。

現場によってはやむおえないケースもあるのだろうが、これらのツールは100%のパフォーマンスを更に磨くのに使うべき。


3.時間とスマホの捉え方
新鮮であることに芸術の評価が下されるのであれば、デジタルシフト=スマホの動きは無視できない。

常に革新的な価値をスピーディに生み出すデジタルな技術、サービスは音楽の聴き方、文化を大きく変えてしまった。

例え素晴らしいものが出来上がったとしても、現代のプラットフォーム上で視聴出来なければ、情報が溢れる時代においてはスタートラインにすら立てていない。

まもなく5Gが到来し、大きなデータも高速で取り扱えるようになるが、おそらく時間をたくさんかけてコンテンツを膨大に消費する方向には向かない。

映画館での2時間の上映ですら、携帯が気になって我慢できないらしい。
デジタルシフトで時間を短縮出来たとしても、限りある時間を量産できる訳ではないので、技術革新により、量より質が重視されると予想している。

それならば、これから発信する音楽は絶対的な価値の高いものが重宝される。

その人にしか生み出せないアナログ元来からの個性がより重要視され、ホンモノだけが生き残るフィールドへとシビアに変わっていく。

そうなった時に、しっかりとその人ならではの音楽を感じてもらえるよう、作品や個性を磨くのに時間をかけていきたい。

何をやっても類似させられそうな厳しい時代かもしれないが、、

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