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心技体+美=アートの魅力

音楽を現代の中でどう捉えるか考えるコラム。

音楽をやっているとよく見る、理論派 vs 感覚派問題。

正直な話、どっちもそれなりに必要やっちゅうねん、って見てていつも思うが、この論争に一つ明確に答えを出してみたい。


武道の「心技体」に加えて、アートの「美」を 追加した「心技体美」が音楽においてその答えだと謳いたい。

これら4つが満遍なくバランスの取れた状態で、初めて音楽が魅力的に映ると考える。

以下に定義付けする。

・心
人間味を付加すること。
人間のリスナーに音楽の魅力を分かりやすく伝えるために、以下の事項のフィルターになることが目的。

・技
音楽理論やテクニックのこと。知識的要素だと体感的要素を含む。

・体
楽曲の中で正しく、感動的な結果が得られるよう演奏・表現すること。

・美
コンセプトと個性。またはそれらを音楽的に読み取る力。


矛盾がありそうなところから斬っていこう。


1.優劣、優先順位はない。
というのも音楽を含むアートは新鮮さに絶対的な価値があり、まずその新鮮さを保つためには、柔軟な考え方が必要である。

どれかの事項に偏ってしまうと、新しいものを素直に受け入れることができない。

心技体美の4つが満遍なく、バランスよく全て必要である。

2.ボカロは心がないからダメなのか?
心が通っていないボーカロイドはダメなのかという話になるが、それは違う。


人間ではないボーカルシンセが歌うことによる、独特の表現や世界観がある。
人間には出せない音域が出せるし、ロボットが歌うからこそ嫌味に聴こえない歌もある。

しかしその魅力を引き出すには棒読みの歌声を調教して、人間が歌っているように演じさせる必要がある。

人間が歌わなくたって、音楽のパフォーマンスとして成り立つが、人間味がカギとなることは忘れてはならない。


3.理論や技術が高い=音楽的に優れているとは言えない。

音楽を始めたての頃は特にそうだが、演奏の技量で良し悪しを判断される。

また作曲の話をすると複雑なコード進行や転調など、難しい理論やテクニックが使えることが偉いみたいな風潮がある。

しかしこれらは時として、全くの誤解を生む場合があり、注意したいところだ。

それが本当ならば極論学者かスポーツマンのような音楽家が作り出した音楽が優れていることになるが、現実問題そうなのか?

おそらく、技・体に偏った場合、グルーヴやライブ感のような曖昧な要素を論理的にしか説明できない。
ヘタウマと言った矛盾的な要素が出てきた時に、それは味だと言って誤魔化すか、技術で強行突破する方法しか持っていない。

DTMのミックスで、プラグインの使い方や処理の仕方を勉強したとしても、楽曲やソース(楽器の音色やタイプ)が毎回異なるのに、どのプラグインを選定し、どんなバランスにするかまで、辞書を引いて答えを出すのか?

あるいは好みの問題という無責任な答えを出すのかも分からないが、これらの問いに対しても判断の軸があり、理論で決めるのではない。

その判断の軸となるのがコンセプトである。
音楽理論やテクニックに例外が存在したとしても、アートにおいてコンセプトに逆らうことはできない。

どの言葉、どのフレーズ、どのコードで、どんな音色で、どんな存在感で鳴らすべきか、その答えはコンセプトにあり。

どんな調合で、どの要素を強くすれば、その答えに近づけるかは、理論や技術を超えて、コンセプトをアート的に読む読み取る力が重要である。

理論や技術は習得し、鍛え続ける必要があるが、思考が硬くならないことに、くれぐれも注意したい。


4.音楽センスは天性的なものなのか?
全てが天性的とは思わない。

音楽は歌詞には文学的な要素、作曲には論理的・科学的な要素がある。

アレンジやミックスは料理のようにレシピの構築や味付けする感覚が必要。

地球上で音を鳴らす以上、物理(音響の知識)は無視できないし、楽器を演奏したり、歌うのに身体能力(教科で言えば体育)も必要。

そして音楽を魅せることにはエンターテイメントの側面だってあるし、リスナーの心を動かすのに心理的、道徳的な要素も存在する。

総じて音楽は総合的な要素を組み回せたアートであり、音をテーマに深く楽しむものである。

そうでなければ、こんなにいくつも音楽は生み出されてないし、昨今の厳しい状況下でも音楽を求めることを止めないからだ。

音楽を鳴らすのに、どのパートを選ぶのか、どんな役割が適任なのか、個性によるところが大きい。

そして、音楽を良く聴かせるセンスは心技体美の全てを満遍なくバランスよく含んでいる状態であり、経験と丹念によって開花されるものではないか?

音楽センスを磨き続けるには、新鮮味を追いかけ、人間味を感じつつ、個性を鍛えていく。
そして技術と論理的なところを実際のアンサンブルで体感し、経験を積むだけだ。

音楽的価値が高くなるほど、いろんな要素や役割を持っていたとしてもブレることはない。

それらが一つとなり、ブランドとして固有名詞になる。

音楽を何でもかんでも理論で因数分解するのは嫌いだし。

内容がおかしいのに、「音楽はハートで伝わる」 いうセリフで乗り切るのも同じくらい気に食わない。

そんな思いから今回のコラムを書いてみた。


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毒リンゴを持った日



会いたくない



Rainy Dance
※作曲・レコーディングを担当




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