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第1回「忘れられた瀬戸川猛資」

君は瀬戸川猛資の何を覚えているか?

 瀬戸川猛資が戦後(1948年生まれの彼が成人後、各媒体への寄稿を始めた70年代以降というべきか)に登場したミステリ評論家の中でも、最も幸福な一人であることは議論を俟たない。「面白いもの大好き」な、読者としての間口の広さを感じさせる独特の視点、扇動的で畳みかけるような文章の面白さ、そして何よりページをめくるたびに伝わってくる人柄の良さこそは、彼の第一評論集『夜明けの睡魔』(1987)が現在でも版を重ね、愛読者を増やし続けている理由であろう。
 しかし、瀬戸川が主として『夜明けの睡魔』における「古典探偵小説」への言及(例えば「ロス・マクドナルド本格ミステリ説」「ジョン・ディクスン・カーと空襲」など)「によってのみ」読者に記憶されているという点は不幸と言わざるを得ない。彼の活動領域は、ミステリに留まらずありとあらゆるジャンルに及ぶ(ミステリの熱烈な愛好者であったことは確かだが)。しかしその原稿の大半は週刊誌や中間小説誌、日刊新聞の書評欄やコラム欄に掲載されたまま、まとめられることもなくその存在を忘れ去られている。とはいえ、これは80年代から90年代の、雑誌や新聞における書評・評論がマスへの強い影響力を持っていた時代に活動した評論家たちのほぼすべてに当てはまることかもしれない。その中で、今もなお記憶されている、言及されているというだけでも、瀬戸川は稀有な存在なのかもしれないが……

評論家・瀬戸川猛資を概観する

 本連載は、評論家・瀬戸川猛資の、捉えられないほどに広がった全体像を通観することをその目標とする。しかし「全体像」といっても、大多数の読者にはピンとこないだろう。そこで、彼の文業の大まかな姿をまとめるところから始めてみたい。
 まず、瀬戸川の著書(編書/訳書)を以下に示そう。

(訳)『二枚のドガの絵』(リンク&レビンソン、藤崎誠名義)
   二見書房、1974/8
(単)『世界名探偵図鑑』(藤崎誠名義)
   立風書房、1975/5
(単)『夜明けの睡魔:海外ミステリの新しい波』
   早川書房、1987/10→創元ライブラリ、1999/5
   連載:〈ミステリマガジン〉1980/7~1982/12/1984/1~1985/12
(単)『夢想の研究:活字と映像の想像力』
   早川書房、1993/2→創元ライブラリ、1999/7
   連載:〈ミステリマガジン〉1989/1~1991/8
(編)『ミステリ・ベスト201』
   新書館、1994/8(新装版、2004/12)
(編)『ミステリ絶対名作201』
   新書館、1995/12
(単)『シネマ古今集』
   新書館、1997/7
   連載:〈サンデー毎日〉1993/9~1995/9
(単)『シネマ免許皆伝』
   新書館、1998/4
   連載:〈サンデー毎日〉1995/9~1997/9
(共)『今日も映画日和』(和田誠、川本三郎と)
   文藝春秋、1999/9→文春文庫2002/9
   連載:〈カピタン〉1997/7~1998/6
(共)『二人がかりで死体をどうぞ』(松坂健と)
   書肆盛林堂、2021/12
   連載:〈ミステリマガジン〉「ミステリ診察室」1970/9~1971/1/
   「二人で殺人を」1971/1~1971/6/「警戒信号」1971/8~1973/9

 瀬戸川の評論家としての出発は、1970年から〈ミステリマガジン〉に断続的に連載した原書レビュー「ミステリ診察室」である。続いて、翻訳ミステリ新作レビュー「二人で殺人を」、国内ミステリ新作レビュー「警戒信号」と、徐々にミステリ評論家としての地歩を固めていった。また、テレビドラマ『刑事コロンボ』のノベライズでありながらドラマと異なる、しかもより完成度の高い結末に改変されていることで有名な“翻訳”『二枚のドガの絵』(1974)、立風書房の児童向け叢書「ジャガーバックス」に書き下ろされた『世界名探偵図鑑』(1975)を、ともに藤崎誠名義で発表した。
 1980年代に入ると瀬戸川は堰を切ったように雑誌への寄稿を開始する。その代表格はもちろん〈ミステリマガジン〉に連載された『夜明けの睡魔』である。しかし彼はそこに留まらず、並行して始まる〈ミステリマガジン〉での新作レビューの他、様々な媒体で新作レビューや時評を書くようになり、ミステリ評論家として一気に開花した。また、当時刊行点数が爆発的に増えた文庫の解説も多く手掛けている……というのが、一般的な瀬戸川ファンが想像するミステリ評論家としての彼の経歴であろう。
 しかし、『夜明けの睡魔』以前の1977年から角川書店の総合雑誌〈バラエティ〉に瀬戸川が散発的に寄稿(次々に映画化されていた横溝正史の「金田一耕助シリーズ」の解説など)を行っていたこと、そして1979年から1984年まで新刊レビューコーナーを担当していたことも、瀬戸川の評論家としての経歴の中では見逃すことができない。これらの寄稿の中で瀬戸川は、ミステリに留まらず、文芸、ノンフィクション、果てはコミックまで様々なジャンルの書評を発表するようになった。更に1981年、〈バラエティ〉の連載枠をそのまま拡張するような形で、光文社の週刊誌〈週刊宝石〉の読書欄「本のレストラン」の常連寄稿者となる。さらに出版社トパーズプレスを立ち上げ、雑誌〈BOOKMAN〉を創刊、「自分の書きたい評論」を発表する準備を整えていった。
 1983年、〈文藝春秋〉の読書欄「文春図書館」に書評を寄稿しはじめた瀬戸川は、1985年に「瀬戸川猛資の本をめぐる人々」という連載を開始する。〈BOOKMAN〉以来の人脈を軸に据え、「本にまつわる小さいけれど面白いこと」について瀬戸川がインタビューして回る、という体裁のこの連載は好評をもって迎えられ、一年半・30回に渡って掲載された。
 瀬戸川が己の文業の軸足を新聞書評に移すのは1988年、毎日新聞のリレー書評コーナー「いまこの本が面白い」からである。取り扱う作品は、当初こそ翻訳ミステリが主を占めるが、徐々に国内外のノンフィクション作品が増え、バラエティ豊かな内容になっていく。1992年、同紙の読書欄改変に伴って、主幹の丸谷才一の誘いもあり「今週の本棚」へ移籍。1998年までこの欄への寄稿を続けた瀬戸川は、400字の短評から欄の顔である1200字の大書評まで大小100本以上の書評を執筆した。
 ここまで主に書評について書いてきたが、熱心な映画ファンという瀬戸川のもう一つの顔にも触れておく。私が映画や映画評の世界について疎いこともあり、ある程度の調査を行ったものの、現時点では瀬戸川の映画評が映画の専門雑誌やパンフレットなどに掲載された形跡をほとんど発見することができていない。定期的な連載が始まるのは、〈ミステリマガジン〉の『夢想の研究』(1989~)からである。その完結後、1993年9月から〈サンデー毎日〉にて「シネマ古今集」の連載が開始。途中で「シネマ免許皆伝」と題を変えて1998年10月まで252回に渡って掲載された。また映画評ということでは、1994年10月から〈GEO〉に連載された「夢想のクロニクル」も重要だ。タイトルといい、いかにも『夢想の研究』に続く連載として構想されたと思しいが、その名に負けずクオリティは抜群で、『夢想の研究』読者、ひいては瀬戸川ファンには必読の逸品である。

今後の進行について

 大まかにまとめると書いたのに随分長くなってしまった。しかしこれで、瀬戸川が書いた(しかも素晴らしい内容の!)原稿が単行本未収録のまま大量に残されているということがお分かりいただけたのではないか。瀬戸川の四冊の評論集は確かに珠玉だが、全体からするとあくまでも氷山の一角なのである。
 先に述べたように、この連載では瀬戸川の評論の全体像を通観することを目標とする。各回では、上で太字としたような重要な連載やテーマを取り上げ、個々に説明を付していくことになるだろう。順序も上の通り、ミステリ評論、文芸評論、映画評論と進める予定である。どうぞお楽しみに。

 最後に今更ながら……私は瀬戸川ファンとしてはまったくの若輩で(大学サークルの先輩から『夜明けの睡魔』を押し付けられたのが2006年だから、「たったの」17年目だ)、あるきっかけから瀬戸川の評論の書誌情報をまとめてみようと思い立ち、その流れでこの連載を始めたのに過ぎない。故人に直接お会いしたこともなく、敬意、敬愛を捧げてきた期間という点で諸先輩方に遠く及ぶべくもない。連載を続ける中で、事実の間違いや要修正項目が浮かび上がってくる可能性は大いにある。なので、もし気がついたことがあれば、各記事へのコメントでも三門のtwitterへのメンションでも、適宜ご指摘いただければ大変ありがたく存じます。お手数をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。

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