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第6回「ミステリ評論家・瀬戸川猛資⑤」

 今回は前回の補填からはじめる。『世界名探偵図鑑』について、Twitterにて「藤崎誠の『世界名探偵図鑑』で瀬戸川猛資ってるところは、巻末のベスト表だと思うんだが、言及されてないのぉ。」というご指摘をいただいた。Exactly!(そのとおりでございます)

 ということで、改めてベスト表を見てみよう。ここでは「ヒッチコック・マガジンのベスト10」「藤崎誠が選ぶベスト10」が掲載されている。前者は色々なところに掲載されているので割愛する。同ページには補足的に「アメリカの探偵小説雑誌〈ヒッチコック・マガジン〉が選んだもの」と説明があるが、これが日本版〈ヒッチコック・マガジン〉の誌上企画であることはご存じの通り。では「藤崎誠が選ぶベスト10」はいかなるものか。

  1. イーデン・フィルポッツ『赤毛のレッドメーンズ』(創元推理文庫、1959、大岡訳/宇野訳は1970)

  2. ロス・マクドナルド『さむけ』(ハヤカワ・ミステリ文庫、1976)

  3. エラリー・クイーン『災厄の町』(ハヤカワ・ミステリ文庫、1977)

  4. ディクスン・カー『火刑法廷』(ハヤカワ・ミステリ文庫、1976)

  5. フランシス・アイルズ『殺意』(創元推理文庫、1971)

  6. アガサ・クリスティ『予告殺人』(ハヤカワ・ミステリ文庫、1976)

  7. ジョイス・ポーター『ドーヴァー4/切断』(ハヤカワ・ミステリ文庫、1976)

  8. ビル・S・バリンジャー『歯と爪』(創元推理文庫、1977)

  9. ヒラリー・ウォー『失踪当時の服装は』(創元推理文庫、1960)

  10. ペール・ヴァール他『笑う警官』(角川文庫、1972)

 なるほど、1960年のベスト投票よりも格段に現代的なベスト10になっている。ただし、本書の主な読者層であったろう小中学生への配慮はない(文脈抜きでいきなりマルティン・ベックものを読ませるかね)。
 内容的にもそうだが、問題なのが「そもそも本が手に入らない」という点だ。書名に附した数字は「全集・ポケミスなどから文庫化されて本が入手可能になった年」だが、見て分かる通り1975年時点でまともに入手できる本が少なすぎる。この時期は、ハヤカワ・ミステリ文庫創刊以前、クイーン、カー、クリスティーといったメジャー級作家にすら、新刊での入手が絶望的な作品が山ほどあった時期である(カーは今でも入手困難な本があるって? 知らんなあ)。「藤崎誠先生のベスト10が読みたい!」と書店に走った小学生が、どこの新刊書店でも見つけることができず、涙ながらにお小遣いやお年玉を費やす古本修羅となっていく様が見て取れるようだ。まったく、瀬戸川猛資の罪の深さは無類である。

 閑話休題。「ミステリ評論家・瀬戸川猛資」を振り返るパートは今回で終了となる。それにあたって、今回はこれまで扱ってきたもののような「長期の連載」とは路線の異なる単発の原稿、またある程度の回数連続して書かれた小連載的原稿を見ていきたい。

 最初に取り上げるのは、〈ミステリマガジン〉の1990年4月号に寄稿された「『あの血まみれの男は誰だ?』に見られるミステリ的伝統」という単発原稿である。この号は「作家特集:サイモン・ブレット」ということで、ブレットのインタビュー(The Armchair Detectives誌掲載のもの)、短編「駐車スペース」と併せてこの長文エッセイが掲載された。
 瀬戸川は、本連載でも紹介した新刊時評においてかなり頻繁にブレットを取り上げ賞賛している。残念ながら翻訳されなくなって久しいサイモン・ブレットは今では(当時も?)話題に上がることも少ないが、瀬戸川はその無聊をこんな言葉で慰める。

「サイモン・ブレットは理屈ぬきに楽しむ。楽しみたい人だけが楽しむ。人に押しつけたりしない。読んでない人も四の五の言わない。そういう掟で支配されるべきミステリであると思う。」

 理屈をこねるほど面白く見えなくなるのは何故だと煩悶しつつ、しかし瀬戸川はこの『あの血まみれの男は誰だ?』だけはぜひ読もうと力説する。本書の中で語られる「日常にシェイクスピアが活きている感覚」こそ、英国ミステリが今も変わらず読み継がれる理由なのだと、彼は語っている。
 ところで、恥ずかしながら私はサイモン・ブレットを読まずに来てしまったのだが、このエッセイにつられて読み今更ながらハマってしまった。「語る必要はない、でも語りたい」という瀬戸川の困った気持ちがよ~く分かりましたゾ。

 次に取り上げるのは、雑誌〈スターログ日本版〉に寄稿された「SF周辺領域オデッセイ」という原稿だ。〈スターログ日本版〉は、1978年8月にツルモトルームという版元から刊行が開始された雑誌で、1号から4号までは隔月刊、5号以降は月刊となった。瀬戸川は1980年11月から翌年3月までの期間に、計4回このコーナーに寄稿した。このコーナーは「SFと別ジャンル」の近接領域に属する作品を執筆者がかわるがわる紹介するという体のもので、瀬戸川の場合は「SFとミステリ(含むスリラー小説)」の近接領域に属する作品を紹介した。以下が、扱われた作品のリストである。

・第4回:エドワード・D・ホックの〝コンピューター検察局シリーズ〟
・第5回:レン・デイトンの『SS-GB』
・第6回:トレヴェニアン『シブミ』
・第7回:ジョン・ゴーディ『ザ・スネーク』

 未来社会を舞台にしたミステリ、パラレル・ワールドを舞台にしたミステリ、と2回目までは順調にSFと言っても遜色のないミステリを紹介しているが、3回目で「?」が付きはじめ、4回目に至ってSFどころかミステリですらほとんどない(いわゆるパニック・スリラー)。だが、縛りから離れれば離れるほど、逆に瀬戸川の言いたいこと・書きたいことが立ち上がってくる辺りは面白い(が、編集部からすれば「依頼したのと全然違うのを書いてきやがった」と胃を痛くしたかもしれない)。
 第6回の冒頭、瀬戸川は盟友鏡明の発言をやや曖昧に引用する。「近ごろの冒険小説、どんどんスケールが大きくなってきて、SF的な設定やムードを持つものが増えている。これは一般には冒険小説がSFの味を取り入れてきたと解釈されているが、実は逆で、SFの一部が冒険スリラーに帰ったものではないか。」
 この言葉に感心した瀬戸川は、これを「高踏かつ文学的になった現代SFについてゆけなくなったSFリアリズム派が冒険小説に戻った、という見方もできるんじゃないだろうか。クライブ・カッスラーが30年前に登場していたら、SF作家のレッテルを貼られていたと思うよ。きっと。」と読みかえ、その分野の近年の収穫として『シブミ』を取り上げる……という流れである。これは、田中光二『凶獣の島』解説で瀬戸川が展開した「田中光二はSF作家ではなく、冒険作家である(冒険小説が真剣な「リアル」として成立する舞台を求めた結果、SF小説を書くことになった)論と表裏一体を為すといっていい。SF評論家にもミステリ評論家にも書けない、瀬戸川独自の論として、大変興味深く読んだ。

 最後にご紹介するのは、宅和宏名義で発表した山田風太郎にまつわる二つの論考、「早く来すぎたミステリ作家――フータローニアンの推理作家・山田風太郎」「風太郎忍法帖――ゲームの規則」である。
 前者は、忍法帖や時代小説についての論考を中心に構成された『山田風太郎の世界』(別冊新評、1979年7月刊)の中で『十三角関係』「黄色い下宿人」『太陽黒点』『誰にも出来る殺人』「厨子家の悪霊」といった、著者のキャリアの初期に発表されたミステリ小説を扱っている点で異色、というか空気読まなさが半端ない。
 遠慮なくネタバレを連打しているということで悪名高い論考だが、紹介されている作品のほとんどは、廣済堂文庫の〈山田風太郎傑作大全〉や光文社文庫の〈山田風太郎ミステリー傑作選〉などが刊行される90年代末からゼロ年代初頭まで本気で入手不可能だったわけで……いや、ネタバレの罪が軽くなるわけではない(本人も「悪いことをしている」自覚があるので許してあげよう)のだが、以下のような言説が当時の若き本格ミステリマニアたちを熱狂させたことに疑いはない。

「風太郎ミステリの本質的な魅力を一口で言うなら、〝意外性〟ということに尽きる。それも生易しいのではない。よく「あっという意外性」などと言うが、ぼくは彼の作品を読むたびに、「あっ」どころか「えっ」「うっ」「おっ」「ほ、本当か、これは」と仰天のしっぱなしだったのである。
決して、ムチャクチャな意外性ではない。そこには明確な論理があり、緻密な伏線がある。ただ、その論理があまりにも常識にとらわれないものであり、着想や構成のテクニックも桁はずれに独創的であったために、ミステリとしてまっ当な評価を与えられなかったのだろう。」

 このように語り出し、そして手の内の限りを尽くして山田風太郎の初期ミステリを大絶賛した瀬戸川はこのように論を締めている。

「昭和20年代でこそ新しすぎた彼のミステリも、今なら正しい評価を受けるだろう。もっとも、彼のことだから、今度は昭和80年代のミステリを書くかもしれないのだが。」

『魔界転生』映画化にあたって〈キネマ旬報〉1981年6月上半期号に寄稿された、山田風太郎の忍法帖小説を紹介するコラムである後者においてもこのように書いている。

「(前略)風太郎忍法帖とは、いってみれば、忍法というルールにのっとった一種のゲーム小説である。そして、そのゲームを生みだしているのは作者の知的で理性的なお遊びの精神なのだ。このことは、山田風太郎という作家がミステリ専門誌〈宝石〉の出身であり、かなり奇想天外ではあるにせよ、『十三角関係』『太陽黒点』「黄色い下宿人」といった知的で論理的なミステリ、謎解きゲーム小説の秀作をいくつも書いてきた、という事実を考えれば大いに納得がゆく。
彼は、アングロサクソン風の知的なお遊びの精神を持った、実はきわめて日本ばなれのした作家なのである。その作品にしばしば見られる陰惨、幻妖怪異のムードに眩惑されてはいけない。そのあたりは、この食えない作家の巧妙なカムフラージュである。」

 こういった言説は、翻訳ミステリをよく知る評者ならではの秀逸な指摘と言って過言ではあるまい。
 先ほども述べた通り、山田風太郎の初期ミステリが真の意味で再評価されるに至るのは、この論の十数年後、日下三蔵という最大の理解者、紹介者を得て以降のことになる。ようやく、日本のミステリシーンが1980年の瀬戸川のヴィジョンに追いついたという事実は、感動的といっていい。瀬戸川がそのすべてを見届けることなく、また復刊された風太郎ミステリに言及する機会がないまま亡くなったのは実に残念だ(瀬戸川が1992年に毎日新聞の書評欄で『柳生十兵衛死す』を取り上げ、作者の「『列外』の着想」を改めて絶賛しているという点は、付言しておく)。

 他にも瀬戸川猛資がミステリをテーマに展開した単発原稿や小連載的原稿には枚挙にいとまがない。とはいえ無制限に紹介することもできないので、代表的なもの、文庫解説などに流用されていないものという観点でまとめさせていただいた。ご容赦頂ければ幸いです。

 次回以降は章を改め、「BOOKMAN・瀬戸川」編として、80年代中盤以降にジャンルの枠を脱して文芸評論家として開花していく瀬戸川に迫っていく予定である。乞うご期待。

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