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第5回「ミステリ評論家・瀬戸川猛資④」

 本連載のここまでの三回では、主に瀬戸川猛資の1980年代の仕事を概観してきた。今回は少し遡って1970年代の仕事を見てみたいと思う。
 瀬戸川猛資の〈ミステリマガジン〉での、ひいては書評家としての初仕事が、原書レビュー連載「ミステリ診察室」であったことは皆様ご承知の通りだ。以降の連載について、下に時期をまとめる。

・「ミステリ診察室」:1970/9、1971/1、1971/3、1971/7(原書レビュー、全4回)
・「二人で殺人を」:1971/1~1971/6(翻訳ミステリ新刊レビュー、全6回)
・「警戒信号」:1971/8~1973/9(国内ミステリ新刊レビュー、全26回)

 これらは『二人がかりで死体をどうぞ』(書肆盛林堂、2021)に松坂健氏の同時期の評論と併せて収録されているのでそちらをご覧いただきたい。
 ところで同時期に展開された瀬戸川の「連載」のうち、一つ見逃されているものがあるのをご存じだろうか。早川書房から刊行された「世界ミステリ全集」の月報に寄稿された「名探偵群像」、およびそれに続く一連の原稿がそれである。

「名探偵群像」について

「世界ミステリ全集」は1972年2月から1973年7月まで、全18巻が毎月刊行された。それらに挟みこまれた月報に、瀬戸川は計17本の原稿を寄せている。これらの初出はおおまかに「警戒信号」の連載期間に収まることが以下のリストをご覧いただければ、お分かりいただけるだろう。

「名探偵群像01:影の薄い大探偵〈ポアロ〉」(1巻・1972年2月)
「名探偵群像02:千両役者二人〈フェル博士とH・M卿〉」(7巻・1972年3月)
「名探偵群像03:大悪党ペリー・メイスン」(2巻・1972年4月)
「名探偵群像04:男たちのバラード――八七分署」(11巻・1972年5月)
「名探偵群像05:フィリップ・マーロウ」(5巻・1972年6月)
「名探偵群像06:リュウ・アーチャー」(6巻・1972年7月)
「名探偵群像07:エラリイ・クイーン」(3巻・1972年8月)
「名探偵群像08:ヴァージル・ティッブス」(17巻・1972年9月)
「名探偵群像09:ジェイムズ・ボンド」(13巻・1972年10月)
「名探偵群像10:無名のスパイについて」(16巻・1972年11月)
「名探偵群像11:マイク・ハマー」(10巻・1973年1月)
「名探偵群像12:ドーヴァー警部に拍手!」(14巻・1973年2月)
「天性のストーリイ・テラー/アンドリュウ・ガーヴ」(8巻・1973年3月)
「怪奇サスペンスの真髄/ボアロー、ナルスジャック」(9巻・1973年4月)
「したたかなテクニシャン/セバスチアン・ジャプリゾ」(15巻・1973年5月)
「名料理人たちの饗宴」(18巻・1973年6月)
「ラブ、サスペンス、ラブ/コーネル・ウールリッチ」(4巻・1973年7月)

 ここですべての原稿について語ることはしないが、興味深い論点のいくつかについて掘り下げてみることにしよう。

■「名探偵群像」のうち、「01:影の薄い大探偵〈ポアロ〉」と「08:ヴァージル・ティッブス」は、小森収編『ミステリよりおもしろい ベスト・ミステリ論18』(宝島社新書)に収録されているため、読んだことがある人もいるかもしれない。この二つのうち、ヴァージル・ティッブス論、ひいては「黒人探偵論」は素晴らしい。「本格ミステリ」というフォーマットの中で、白人も黒人もない「名探偵という超人的ヒーロー」に属性として黒人の容貌と立場を与えることでアメリカの現実を描きだそうと試みたジョン・ボールと、ハーレムを中心とした「黒人の世界」で、棺桶エド・墓掘りジョーンズの黒人刑事コンビを徹底的にカリカチュアして大暴れさせ、結果的に異様に実在感のある物語を描いてみせたチェスター・ハイムズ、この二人の作家を並べて評価してみせる手腕は抜群である。

■「名探偵群像09:ジェイムズ・ボンド」は、瀬戸川猛資が後年の書評で示す「スパイスリラー(のうち娯楽よりのもの)観」を早くも表している点が面白い。

「ぼくはフレミングの小説のどこを愛するかというと、それはもう第一作の『カジノ・ロワイヤル』のル・シッフル以下続々と登場した、醜怪でサディスティックで超ウルトラ誇大妄想狂という素晴らしい個性を一様に備えた、あの壮大な悪玉たちである。」
「ぼくらの現実の裏側の世界に、巨大な暗黒のユートピアを築き上げようという怖るべきロマンティシズムを持った怪物どもである。そこにぼくらの現実世界の代表たるスーパー・ヒーロー、ジェイムズ・ボンドが挑戦し凄絶な死闘を展開したあげく、総てを破壊する。イアン・フレミングの小説の楽しさは、全くこの点に尽きるのだ。」

 これらの評言は、例えばテッド・オールビュリー『合衆国を売った男』(創元推理文庫、1984)の巻末に掲載された「愛しの国際陰謀団」というエッセイと軌を一にする。同時に瀬戸川は、映画版「007」シリーズの制作サイドの「決定的な勘違い」を指摘してもいる。力の入った好エッセイだ。

■「全集」も後半になるとサスペンス系の作家が増えてくるからか、「名探偵群像」は十二回で完結となり、作家評を収録したものになってくる。ガーヴについてはいつも通りであるし(ただし、前回「文庫解説」で新たな視点から評価した『ヒルダよ眠れ』は、まだ「過大評価である」と言い募っている)、「フランスミステリは分からない」というスタンスも後の「夜明けの睡魔」連載時のものと変わらない。この五つの論評のうちでとりわけ興味深く読めるのは、第18巻『37の短編』の月報に掲載された「名料理人たちの饗宴」である。「ぼくはこの短編一つを読みたいがために、東京中の古本屋を廻ったことがあるのである。」という熱の籠った、お得意の語り出し(似たような調子のものをよそで二回くらい見たことがあるゾ)で、アーサー・ウイリアムズ「この手で人を殺してから」と、伝説的アンソロジー『戦後推理小説・ベスト15』(荒地出版社)を紹介、それに続くものとして本書を位置づけた。なおこの短編は、ハヤカワ・ミステリから刊行された『天外消失―世界短篇傑作集』に収録されているので、興味の向きはこちらをお読みください。

 評論としての出来不出来に差があるのは気になるが(クリスティー論やカー論は印象論の域を出ないなど)、これらは『二人がかりで死体をどうぞ』に収録されてもよかったのではないかと思う。

『世界名探偵図鑑』を知っていますか

 第1回でも触れた通り、瀬戸川は1975年に立風書房(ジャガーバックス)から藤崎誠名義で、『世界名探偵図鑑』を刊行している。立風書房、しかもその児童書ということもあり、本書は古書的に非常に希少な一冊である。今回、幸いにもシャーロック・ホームズ研究家にして「本が届いた、今日はいい日だ」で有名な北原尚彦氏から拝借し、内容を確認することができた(国会図書館にも収蔵されているが、本稿執筆準備の段階では「デジタル化作業中のため」として閲覧できなかった)。
 本書の章立ては以下のようになっている。すなわち、

第一章:ルパン対ホームズ(シャーロック・ホームズ、アルセーヌ・ルパン)
第二章:天才名探偵(ミス・マープル、ブラウン神父、ドルリー・レーン)
第三章:日本の名探偵(明智小五郎、金田一耕助、捕物帳の名探偵たち)
第四章:刑事の名探偵(フレンチ警部、〈87分署〉の刑事たち
第五章:テレビの名探偵(刑事コロンボ、アイアンサイド、会田刑事(「非情のライセンス」)、藤堂刑事(「太陽にほえろ!」)、特別機動捜査隊、夜明けの刑事、伝七、遠山金四郎、マクロード警部)
第六章:ハードボイルドの名探偵(フィリップ・マーロウリュウ・アーチャーマイク・ハマー
第七章:名探偵勢ぞろい(オーギュスト・デュパン、隅の老人、思考機械、エルキュール・ポアロ、トミーとタペンス、チャーリー・チャン、ファイロ・ヴァンス、エラリイ・クイーン、サム・スペード、メグレ警部、ギデオン・フェル博士ペリー・メイスンヘンリー・メリヴェール、ネロ・ウルフ、神津恭介、墓掘りジョーンズと棺桶エドヴァージル・ティッブスドーヴァー警部、アル・ウィーラー、マルティン・ベック)

 第一章から第四章まで、まだ第六章では、あらすじやトリック(ネタバレあり!)を紹介しながら様々な名探偵を描いている。第五章・第七章は、紹介している探偵の数からも分かる通り、多くて一人一ページ割り当てのためにそこまで子細な内容ではないが、「テレビの名探偵」で、リアルタイムに放映されていた日本の刑事ドラマが多く取り上げられているのは、類書でも異色と言えるのではないだろうか。
 本連載として注目したいのは第七章の内容である。ポアロ、フェル博士とH・M、メイスン、クイーン、ティッブス(および墓掘り・棺桶コンビ)、ドーヴァー警部……第六章までで紹介されてきた〈87分署〉の刑事たちやマーロウ、アーチャー、ハマーと合わせると、上で紹介した「名探偵群像」の目次にピッタリ合致するのがお分かりいただけるだろう(ジェイムズ・ボンドや無名のスパイは「名探偵」ではないということでしょう)。
 本書の成立の経緯は分からない。藤崎誠の別名義を使っての仕事は「刑事コロンボ」ノベライゼーション翻訳に続いての二つ目なので、同様のプロダクションからの依頼か?と想像できるが、本人あるいは関係者の証言があるわけではないので、極言は避けよう。ただ、本書の内容の下敷きとして、早川書房での仕事があったことは間違いない。

 最後のおまけとして、瀬戸川猛資が富士総合研究所の雑誌〈Φ〉に連載した「ミステリー・ワンダーランド」という連載をご紹介したい。こちらは1992年1月号から12月号まで、全12回に渡って掲載された連載で副題は「西洋の知的強者たち」。ある種の「名探偵紹介」をその内容としている。扱われている名探偵は「オーギュスト・デュパン」「思考機械」「隅の老人」「ソーンダイク博士」「アントニー・ギリンガム」「フレンチ警部」「コンチネンタル探偵社の「わたし」」「フィリップ・マーロウ」「リュウ・アーチャー」「〈87分署〉の刑事たち」「コーデリア・グレイ」「モース警部」である。
 おやっと思った人は鋭い。そう、このラインナップのうち八つまでが、『世界名探偵図鑑』に紹介されている「名探偵」なのだ。さすがにこの連載においても瀬戸川が『世界名探偵図鑑』を参照したとまでは思わないが、こうして何度も取り上げるうちに、瀬戸川の「名探偵観」が完成していったに違いないと見て間違いではないだろう。

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