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第2回「ミステリ評論家・瀬戸川猛資①」

 前回の総論に引き続き、今回からは各論ということで、瀬戸川猛資が手掛けた様々な評論を見ていくことにする。今回取り上げるのは、〈ミステリマガジン〉および〈ダカーポ〉における月次の新刊書評である。

ミステリマガジンの新刊書評について

 瀬戸川猛資が〈ミステリマガジン〉に書いた新刊書評のうち、まだ単行本にまとめられていないものには「HMM BOOK BOX」「HMMブック・レビュー」「みすてり長屋」の三つがある。これらと「夜明けの睡魔」「夢想の研究」を併せると、以下のようになる。

①1980/3~1982/12の約三年間に、26回掲載された「HMM BOOK BOX」
◆1980/7~1982/12:「夜明けの睡魔」
②1983/1~1983/12の一年間に、毎号掲載された「HMMブック・レビュー」
◆1984/1~1985/12:「新・夜明けの睡魔」
③1986/1~1988/12の三年間に、毎号掲載された「みすてり長屋」
◆1989/1~1991/8:「夢想の研究」

 すなわち、1980年半ばから1991年半ばまでの〈ミステリマガジン〉には、常に瀬戸川猛資の評論が一本以上、何らかの形で掲載されていたということになる。約11年間の皆勤には驚かされる。
 これらの中でも『夜明けの睡魔』読者を中心とする瀬戸川ファンにとって特に興味深いのは、①の「HMM BOOK BOX」だろう。というのも、毎月一、二冊の新刊を取り上げ書評する本コーナーを、並行して連載された「夜明けの睡魔」を読み比べることで、瀬戸川の評論の舞台裏が明らかになっていくからである。
 例えば瀬戸川は、「夜明けの睡魔」連載開始前号にあたる1980年6月号のこのコーナーで「新人女流作家のお手並み拝見」という企画に取り組んでいる。これはワイルズ『九月の滑走路』/ポール『わが子が消えた』/オドンネル『美容師殺人事件』(すべてカッパ・ノベルス)、ロウ『淑女は探偵が好き』(角川書店)、そしてゴズリング『逃げるアヒル』(ハヤカワ・ミステリ)を読んで比較せよという編集部からの要請によるものだが、瀬戸川はそのいずれもなで斬りにし、厳しく批判するという姿勢で応えた。これは憶測レベルの妄想にすぎないが、瀬戸川が「夜明けの睡魔」連載第1回で「女王位継承争い」と題してモイーズ/ジェイムズ/ポーターの比較を行っているのは、「女流作家腕比べの企画を作りたいのなら、こういう一流どころを揃えてもらわなきゃね」というある種の当てつけだったのかもしれない。
 また、「夜明けの睡魔」の第13回「偶然と必然」(1981/7)で瀬戸川は「今後は扱うミステリの幅をもう少し広げてみることにします」と書いているが、これは実質的な「ネタ切れ」宣言だろう。一年12回もやれば好きな作品を取り上げるだけでは続かなくなるのも無理からぬところだ。
【この「当初想定していた連載期間」についての記述は媒体によってまちまちで、『夜明けの睡魔』単行本あとがきには「最初は一年の予定だったのが編集長におだてられるまま伸びていった」とあるし、〈ミステリマガジン〉に一九九七年に書いたコラムでは「当初は六回完結の予定だった」とある。このコラム曰く、現代作家を取り上げるコーナーを想定していたのに、第5回の時点でジョン・ディクスン・カーを使うほどネタに困っており、第6回では破れかぶれでよく知らない作家を取り上げた。第7回からは評価の定着した作家で凌いだが、第13回以降は本格物という枠を取り払わざるを得なくなった。しかし、それが結果として連載の方向性を決めた……とか。】
 とはいえ新作(のとりわけ傑作)をそうそう読めるものでもない。かくして瀬戸川は、「HMM BOOK BOXで書評した作品」を連載のネタとして頻繁に再利用していくことになる。第14回「最後の一撃」(1981/8)ではニーリイ『心ひき裂かれて』(1981/3)を、第15回「奇想の系譜Ⅰ」(1981/9)ではデイトン『SS-GB』(1980/12)を、第21回「大団円の研究」(1982/3)ではデアンドリア『ホッグ連続殺人』(1982/1)を、第28回「ラビュリントス」(1982/10)ではリーバーマン『魔性の森』(1982/8)を、といった具合である。また、連載当時大いに物議を醸したという第17回「鉤十字の神話」(1981/11)は、シャガン『ジェネシスを追え』の書評(1981/4)でぶちあげた「安易なナチ物」への不満に連なる内容であり、彼の中では「書評→連載」の流れが一貫していたと思われる。ただし、読者がそこまで彼の思考を追えるかどうかは、また別の話である。
 ところで、26回の登板で書評した34冊の中に、明確に「瀬戸川好み」が現れているのは注目に値する。四回取り上げているデイトンを筆頭に、デクスター、デアンドリアなどは、瀬戸川が終生追いかけていく作家となった。殊にデアンドリア『ホッグ連続殺人』の、入れ込み過ぎるあまりに筆が滑りまくった激熱書評は、彼のミステリ評論家としてのキャリアの中でも特に重要なものである。既に『夜明けの睡魔』の該当回や文庫解説を読んだという方にも、この若気の至り(笑)原稿をぜひお読みいただきたいものだ。

 ②の「HMMブック・レビュー」は、取り上げる作品数が毎月三、四冊となり個々の作品の分量が半減、あらすじを中心に紹介するスタイルも相まって内容的にはやや食い足りないかもしれない。その中で力が入っていると感じさせるのが、リード『評決』(1983/6)の書評だ。ポール・ニューマン主演の映画(1982)と、その日本公開にタイミングを合わせて邦訳された原作に対する瀬戸川の姿勢は一貫していて、例えば〈紙魚の手帖〉1983年5月号に書いた映画評では、映画『評決』はセンチメンタルな社会派メロドラマであり、法廷ミステリとしては明確に原作に軍配が上がるとしている(「『評決』――残念ながら法廷ミステリ映画ではない」)。この〈ミステリマガジン〉の書評では、原作側からその法廷ミステリとしての魅力を大いに語っているが、結果、他の作品について書くスペースがほんのわずかしかないというオトボケをかましている。また、スミス『午後の死』の書評(1983/9)もいい。マクロイ『暗い鏡の中に』を枕に、この手の女流作家の特徴である「あまりにも単純、あっけらかんとした着想がもたらす独特のカタルシス、無邪気さと可愛らしさ。繊細で洗練されたサスペンス」を体現する作品として本作を紹介し、「現在までのところ、今年読んだミステリのうちでベストワン」と言い切る。このような「瀬戸川好み」を強く押し出した書評は読み応えがあり、すぐにも買って読まなければというワクワクヒリヒリとした焦燥感に駆られること必至だ。

 なお、③の「みすてり長屋」は、毎月三作品について三人の評者(瀬戸川と都筑道夫・関口苑生)が短文と星取りを付すというものだが、①や②と比べると精彩を欠き(「この作品は読んでいないので評価なし」のような回まである)、正直取り上げるほどの意義は見出しがたいので割愛する。

ダカーポの新刊書評について

 次に〈ダカーポ〉の連載についてもご紹介しよう。「瀬戸川猛資の海外ミステリーガイド」は、1984年2月5日号から1988年3月16日号まで、「本」のコーナーに全49回連載された。コラムのタイトルは、当初は「瀬戸川猛資のミステリーガイド」であったが1984年7月20日号から「海外」が追加されている。また、コラムの文字組みは他の原稿に合わせた不定形なものであったが、1986年11月19日号以降、「山岸真のSFガイド」と1/2ページを分けあう形に統一された(なお、〈ダカーポ〉は隔週刊誌であり、瀬戸川のコラムが載らない号には「新保博久の日本ミステリーガイド」「深野有のペーパーバックスガイド」が掲載された)。
 ミステリマガジンの②と同じく、文字数に限界がある中での新刊時評ではあるものの、ウッズ『警察署長』、ウィルソン『城塞』、ブレット『死のようにロマンティック』、リューイン『消えた女』『刑事の誇り』といった「瀬戸川好み」の作品に送る熱いエールは健在。また、〈ミステリマガジン〉に掲載された書評(『薔薇の殺意』、1982/4)やコラム(「“狂気”なんて呼ばないで」、1987/6)でははっきりとは分からなかった、レンデルに対するアンビバレントな評価を見て取ることができるのも面白い。『ロウフィールド館の惨劇』『マンダリンの囁き』『死のカルテット』と邦訳が出そろってくるにしたがって、「小説としては評価できるが、ミステリとしては評価できない」という見方が明確になってくるのだ。一面では評価しているからこそ安易な類似作を戒めるような発言をした、という瀬戸川のスタンスを知ることができたのは収穫だった。
 また、これは次回別の連載の話で触れる内容とも関連するが、1986年7月20日号の「サンケイ文庫創刊で翻訳ミステリー戦争開始」というコラムは興味深い。「評判作の翻訳権が高額で買われている」「他社で活躍して実績を誇る翻訳家の争奪戦が起こるのではないか」というこの時期ならではのバブリーな話題について読者目線で面白がりつつも、「一、翻訳の質を落とさない。二、抄訳をしない。三、定価をあげない。四、なるべく分冊にはしない。 各社、オリジナリティーを発揮して競ってもらいたいものである。」とピシャリ。
 褒めるべきは褒め、貶すべきは貶しの姿勢を崩さず、最終回はリテル『スリーパーにシグナルを送れ』を絶賛して終えている。

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