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第3回「ミステリ評論家・瀬戸川猛資②」

 前回取り上げた〈ミステリマガジン〉〈ダカーポ〉の個人的な印象は、前者は「ミステリ、殊に翻訳ミステリの専門誌」、後者は「文学、サブカルチャーなどを積極的に取り入れた総合誌」といった感じである。では瀬戸川のミステリ評論家の仕事がこういったカルチャー誌に限られていたかというとさにあらず。もっと堅い雑誌の書評・時評欄にも登場している。そこで今回は、産業経済新聞社の二誌における瀬戸川の仕事について解説する。

週刊サンケイの新刊書評について

 前回、〈ミステリマガジン〉誌上において「夜明けの睡魔」「HMM BOOK BOX」が1980年7月号から並行して連載されていた旨を述べたが、瀬戸川がほぼ同時期の1980年7月10日号から〈週刊サンケイ〉「現代ミステリー事情」というコーナーにコラムを寄せていたことはほとんど知られていない。この「現代ミステリー事情」というコーナーは〈週刊サンケイ〉で1980年7月3日号からはじまった「読書室」内のコーナーの一つで、各務三郎(ミステリー)、柴野拓美(SF)、田村隆一(ノンフィクション)の三人と瀬戸川(ミステリー)が持ち回りで寄稿していた。ただし、田村隆一の「現代NF事情」は4回で終了したため(1980年10月23日号まで)、以降は三名での持ち回りとなる。この体制は後に「読書室」が改組される1982年10月7日号まで続き、瀬戸川は42回(「年間総括」を執筆した3回を含む)登板した。このうち、柴野拓美の寄稿分は『柴野拓美SF評論集:理性と自走性——黎明より』に採録されている。なお、同じく「ミステリー」をテーマとする各務三郎と瀬戸川は、概ね各務が翻訳、瀬戸川が国内のそれぞれ新刊作品を扱うことで棲み分けていた。つまり「翻訳物の新刊」を書評していた〈ミステリマガジン〉の「HMM BOOK BOX」とはまったく別の作品を扱っていたということになるわけで、一読者としては嬉しい限りである。
 瀬戸川の国内ミステリ新刊書評ということでは、書肆盛林堂から刊行された『二人がかりで死体をどうぞ』(2021年12月刊)の「警戒信号」があるが、その遠慮のない徹底的なダメ出しに驚いた読者もいるかもしれない。十年の年月を経て、瀬戸川猛資も素人大学生から大人の評論家になった……と言いたいところだが、叩くべきところは厳しく叩くというスタンス自体に変化はない。
 例えば第一回の草野唯雄『支笏湖殺人事件』の書評(1980/7/10)。瀬戸川は本書を「古典的パターンにのっとった追跡型サスペンススリラー」、「たんねんに書きこまれているので、歯ごたえは十分」、「一本一本しっかりと糸の通った〝手作りの感触〟が楽しめる」と高く評価する。そこで止めておけばいいところを、返す刀で「珍妙なトリックで凝り固まった〝いいかげん本格〟や、水っぽいサスペンス小説や、三流劇画まがいの冒険スリラーの目立つ昨今の日本ミステリーの中では、この種の作品は、なかなか貴重な存在と言うべきだろう」と言わずもがなの口撃を繰り出している。この男、まったく成長していない……斯界の重鎮や大ベテランに周りを固められての第一回からこんな暴れん坊ぶりで、よく怒られなかったものだ。
 もちろん短い言葉で作品・作者の本質を抉り出す秀逸な評もある。例えば松本清張『十万分の一の偶然』(1981/8/6)を「報道写真、という大義名分の裏にひそむ、傍観の姿勢や功名心を鋭く告発している」と評し、また中町信『散歩する死者』(1982/8/12)を「小説テクニックはイマイチという感じがあるのだが、この作家の創意と工夫、趣向のオリジナリティに賭ける迫力にはいつも唸らせられてしまう」とズバリ真っ二つにし、といった具合だ。
 ところで、瀬戸川の文庫解説については次回触れる予定だが、この欄で親本を書評したことがきっかけとなり執筆の依頼を受けたのではないかと思われるものがいくつかある。例えば、丸谷才一編『探偵たちよスパイたちよ』紀田順一郎『古本屋探偵登場』(ともに文春文庫)の解説は、親本の書評を増補する形で書かれているし(前者は1981/11/19、後者は1982/9/23)、田中光二の短編集『凶獣の島』(講談社文庫)の解説は、エッセイ集『ぼくはエイリアン』の書評(1981/4/16)と同趣旨である。このような形で実力を認められることもあるのですね。
 ちなみに「読書室」の改組後、「現代ミステリー事情」はタイトルを「ミステリー」に変更し、毎号掲載されるようになった。瀬戸川の登板頻度は大きく増え、1983年7月7日号までの34回のうち28回執筆している。それまで各務が担当していた翻訳ミステリを取り上げる機会が増え、またノンフィクションを取り上げるなど仕事の幅が広がっているのはいいことなのだが、少し残念な部分もある。
 というのは瀬戸川がこの欄に寄せた翻訳ミステリの書評は、同時期に〈ミステリマガジン〉の「HMMブック・レビュー」に書いた書評を事実上「再利用」したものだからである。具体的に言うと「ミステリー」で扱われた14冊の翻訳ミステリのうち、フォーサイス『帝王』(角川書店)を除く13冊は「HMMブック・レビュー」でも扱われており、ほぼ同一の内容である。とはいえ、まったく丸写ししているというわけではない。〈ミステリマガジン〉読者向けのくすぐりをオミットしたり、ミステリマニアにしてみれば常識と思われるまくらの部分を補填したりするなど一般誌に掲載するための工夫をしてはいる。しかし、結局内容は同じなので並べて読むと少し残念な気分になる。
 ①〈ミステリマガジン〉と〈週刊サンケイ〉で読者層は被らない
 ②媒体によって読み分け、書き分けができるほど新刊が出ていない
 ③そもそも毎月そんなに読めない
といった理由や事情はありそうだが……

正論のミステリ時評について

〈週刊サンケイ〉の連載が1983年7月7日号で終了した後(「読書室」から「ミステリー」のコーナーがなくなったため)、1983年10月号から〈正論〉「BOOKS」というコーナーで「ミステリー昨今」と題する連載が始まる。〈週刊サンケイ〉と〈正論〉は同じく産業経済新聞社の雑誌であるため、事実上の後継連載なのかもしれない。1989年5月号までの約五年半の間に43回掲載された。なお、「ミステリー昨今」が載らなかった号に「出版短信」という原稿が、藤崎誠名義で掲載されたことが4回、瀬戸川猛資名義で掲載されたことが1回ある。これはおそらく、原稿の趣旨がミステリと明らかに関係のないものであったためと思われる。
 この欄には新刊書評が載ることもあるが、より広い話題で書こうとしている印象がある。第一回こそ、ロス・マクドナルドの訃報を受けてその本格ミステリと親和性の高い作風を概観しつつ、「ハードボイルドの苦手な人に、ぜひ一読をおすすめしたい」と締める「いつもの瀬戸川節」であったが、第二回は〝講談社文庫殺人事件〟というミステリーフェアを扱う時事的な内容である。大々的な宣伝を打ち、赤と青のセロファン紙を貼った立体めがねを栞代わりに挟みこんだこのフェアを面白がる瀬戸川は、「十六冊は多すぎる、一冊だけ読むとすれば」というミステリ初心者の読者(=〈正論〉の読者層)に、松本清張『随筆 黒い手帳』を勧めている。この原稿が掲載された1983年という年は清張作品のドラマ化・再ドラマ化が加速した時期でもあった。非マニアでもその名を知る人の多い作家の、映像化作品から入った読者には小説ではないため見落とされがちな作品をしっかりと勧めていく辺りは、時宜を踏まえた見事なセレクトだと言える。
 時評という点では、毎年のように取り上げた「私の年間ベスト3」「ミステリー各賞の動向」といったテーマが興味深い。殊に「サントリーミステリー大賞」が繰り返し俎上に載せられ、毎回のように苦言を呈されている。ここで瀬戸川が批判しているのは作品の内容というよりは賞そのもののあり方や選考の不透明さである。「(乱歩賞の本には載っているのに)賞の趣旨説明や大賞の選評、選考委員が書籍に載っていないのはなぜか、また何の説明もない「読者賞」とは何なのか」と糺す箇所は痛烈で、「釈然としない部分が多いのだ。受賞作を一つに絞り、世間一般ではなくミステリーの愛読者を喜ばせる作を募ること、そうしないと、いつまでたっても乱歩賞には追いつけない。およそミステリー的興味の湧かない今年の受賞作を読みながら、そう思った。」(1986/10)とかなり厳しい物言いをしている。
 新刊書評の中で意外だったのが、日影丈吉『夢の播種』(早川書房)を扱っているところ(1986/4)で、彼は本書で〈宝石〉に発表されて以来埋もれていた幻想短編「旅愁」をついに読めたという喜びを語っている。正直、これまで瀬戸川に日影ファンという印象を抱いたことはなかったのだが、確認を進めていくと、瀬戸川が大学生の時にワセダミステリクラブの機関誌〈PHOENIX〉「かむなぎのうたはノスタルジアの調べ——日影丈吉寸論」という小論を寄せていることが分かった(桜田順名義、第58号)。なるほど、学生時代に敬愛した作家の憧れの作品を十数年越しに読むことができたというのであれば、その喜びようにも納得するというものだ。
 なお、この連載は1989年6月号以降、「BOOKS」のコーナーが大幅に改組され、エンタメ部門の書評が掲載されなくなったことで終了した。

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