見出し画像

第4回「ミステリ評論家・瀬戸川猛資③」

「文庫解説」は書評家の仕事の「華」だ。週刊誌や月刊誌の時評・新刊書評は、その時々には読まれても後世まで読み継がれるというわけにはいかないし、その媒体を手に取る読者も限られる。それに比べて文庫解説は、より多くの・より広い層の読者に届く。また、リアルタイムだけでなく、後世の読者の目に触れる可能性もある。まさに力の入れどころである。
 瀬戸川猛資が書評家/文芸評論家として活動した1970年代末から1980年代は、大手出版社が文庫サイズの本を競って刊行し始める「文庫ブーム」の時期でもあった(一般に、1971年の講談社文庫創刊以降、中公文庫・文春文庫・集英社文庫・ハヤカワ文庫他が登場した70年代の動きを「第三次文庫ブーム」、光文社文庫・徳間文庫・PHP文庫・ちくま文庫他が登場した80年代の動きを「第四次文庫ブーム」と呼ぶ)。刊行点数の増加はすなわち解説子の需要の増加、瀬戸川猛資もそれなりの数の執筆依頼を受けているはず……と調べてみると、瀬戸川が執筆した解説は28本あった。広義のミステリ・エンターテインメントに属さないものを外した24本の内訳を、以下に示す。

・アンドリュウ・ガーヴ『ヒルダよ眠れ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)1979/6
・草野唯雄『瀬戸内海殺人事件』(集英社文庫)1982/3
・田中光二『凶獣の島』(講談社文庫)1982/5
・フィリップ・マクドナルド『ゲスリン最後の事件』(創元推理文庫)1983/1
・海渡英祐『死の国のアリス』(集英社文庫)1983/7
・海渡英祐『罠のなかの八人』(集英社文庫)1984/4
・ジョン・ディクスン・カー『ロンドン橋が落ちる』(ハヤカワ・ミステリ)1984/10
・ウィリアム・L・デアンドリア『五時の稲妻』(ハヤカワ・ミステリ文庫)1984/10
・紀田順一郎『古本屋探偵登場』(文春文庫)1985/9
・ウィリアム・L・デアンドリア『殺人アイス・リンク』(ハヤカワ・ミステリ文庫)1985/11
・ピーター・ラヴゼイ『マダム・タッソーがお待ちかね』(ハヤカワ・ミステリ文庫)1986/7
・スチュアート・ウッズ『警察署長』(ハヤカワ文庫NV)1987/3
・草野唯雄『瀬戸内海殺人事件』(角川文庫)1987/5
・P・D・ジェイムズ『女には向かない職業』(ハヤカワ・ミステリ文庫)1987/9
・ケネス・フィアリング『大時計』(ハヤカワ・ミステリ文庫)1988/1
・逢坂剛『情状鑑定人』(集英社文庫)1988/2
・アイザック・アシモフ『象牙の塔の殺人』(創元推理文庫)1988/2
・田中文雄『猫窓』(集英社文庫)1988/7
・P・D・ジェイムズ『罪なき血』(ハヤカワ・ミステリ文庫)1988/8
・コリン・デクスター『ニコラス・クインの静かな世界』(ハヤカワ・ミステリ文庫)1990/12
・マイクル・Z・リューイン『消えた女』(ハヤカワ・ミステリ文庫)1994/10
・『復刻エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジンNo.1-3』(早川書房)1995/10
・アーサー・コナン・ドイル『失われた世界――ロストワールド』(ハヤカワ文庫SF)1996/8
・福永武彦・中村真一郎・丸谷才一『深夜の散歩』(ハヤカワ文庫JA)1997/11

 20年間で24本というのは決して多い数ではない。ハヤカワ文庫での仕事が多いのは瀬戸川のキャリアの成り立ちからすると納得だが、それでも「好きな本の仕事しかしていないのでは」と言いたくなるほど偏りがある。実際、『夜明けの睡魔』読者には見覚えがあろう、カー、デアンドリア、ジェイムズ、ラヴゼイ、デクスター、リューインといった作家が大勢を占めており、瀬戸川の評からこれらの作家の本を手に取った読者にとっては、「やっぱり書いているな」「でも『夜明けの睡魔』で見た内容だな」と思うことも多かったのではないだろうか。
 今回は、個々の解説を読み解きながら、そこに「瀬戸川らしさ」を見出して、「この本の解説に解説を書いているのは見落としていた」「いまからでも本文と併せて読んでみたい」と思わせるような内容とすることを目標に据えるが、それゆえに特にハヤカワ・ミステリ文庫の、見知った人が多く現在もリーチしやすい本の解説については敢えて外していくつもりである。

 と言いつつ、最初に取り上げるのはアンドリュウ・ガーヴ『ヒルダよ眠れ』の解説である。これは瀬戸川が寄稿した初めての文庫解説だ。
 1979年6月刊ということは、〈ミステリマガジン〉「夜明けの睡魔」連載開始以前の仕事であり、70年代初期の学生時代の原稿とは一線を画する、早川書房における初の「プロ」原稿だったと見ていい。
 本稿における瀬戸川の論の展開を要約すると、以下のようになる。

・『ヒルダよ眠れ』は、『悪女イヴ』(チェイス)、『わらの女』(アルレー)と並ぶ、「悪女ものスリラーの名作」として巷間では評価されている。
・正直自分はこの作品を大した作品とは思っていなかった。しかし読み返してみたら印象が変わった。
・この作品は「悪女もの」ではなく、「誰もが殺したくなる人間」を被害者として〝殺される側の論理〟を徹底的に追及し、かつ謎解きミステリとしても成立させた趣向作である。
・通常のミステリが加害者の動機、すなわち〝殺す側の論理〟を読者に納得させることを目指していることを考えると、これを逆転させた異色の試みは評価されるべきだ。

 読者に新たな視点を提供しつつ起承転結の組み立ても完璧な、名解説といえる。
 瀬戸川のキャリアにおけるこの解説の意義は、「夜明けの睡魔」連載開始前にその第二部(1984/1以降)である「昨日の睡魔/名作巡礼」のフォーマットが早くも固まっていたという事実である。『Yの悲劇』『アクロイド殺し』のような彼の中での評価は高くなかった「いわゆる名作」を読み返し、改めて(一般的なものとは異なる、瀬戸川独自の形で)評価しなおすという形式の端緒が、早くもここに現れていたとは驚きだ。
 なお本稿は、現行流通している(していない)新訳版『ヒルダよ眠れ』(2008年刊、宇佐川晶子訳)には再録されていない(こちらは香山二三郎氏の解説あり)。どうしても瀬戸川解説を読みたいという向きは、旧訳文庫版『ヒルダよ眠れ』(福島正実訳)を参照のこと。

 続いて取り上げるのは海渡英祐『罠のなかの八人』の解説。瀬戸川は『死の国のアリス』で海渡に対して非常に好意的な解説を書いているが、この解説ではどうにも困り果ててしまったようだ。何しろ、作者本人が「ミステリィ版フレンチ・ポップス―「あとがき」にかえて―」と題して、ご丁寧に個々の作品に解題を付し、さらに本書の現代ミステリにおける位置づけまでしっかり語ってくれているからである。おいおい、ここまでやられちゃ解説者の立場がないじゃないか!と開き直った瀬戸川は、なんとこの「解説」の解説を書き始めてしまう。
 クラシック音楽の話、雑誌『宝石』の話、海渡の師である高木彬光の話、鮎川哲也の話、競馬の話……とりとめなく展開するように見える瀬戸川の語りは、「海渡英祐はロマンティックな作家である」という一点に収束する。そして、「そういう彼がクラシックに少々疲れてきて、フレンチ・ポップスを好むようになってきたという。同時に、古典的でよくまとまった作品スタイルを自らくずしてみたくなった。本書『罠のなかの八人』は、そのような時期に書かれた短編を一冊にまとめたものだ。」と、ここで本書の話に戻り、独自の視点で各編の解説を述べていく。このバランス感覚が素晴らしい。世にも特異な「先に読んだ方が楽しめるあとがき」として海渡の試みを評価する締めまで、作品にも劣らずトリッキーかつスリリングな解説で、非常に楽しめる。

 このように瀬戸川の解説は、「作品にピタリと寄り添いながらその面白さを改めて発見する」という彼の連載や時評とまったく同じ気質で書かれたものである。そのいずれも面白く、本当はすべて紹介したいところなのだが、一応文字数の限界はあるので最後に一冊だけ。『深夜の散歩』の解説を眺めて締めとしたい。福永武彦・中村真一郎・丸谷才一の三人が〈エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン〉誌上で連載したコラムをまとめたもので、1963年に早川書房から刊行されて以降、決定版が講談社から出て(78)、それが講談社文庫で文庫化され(81)、ハヤカワ文庫JAで再度文庫化され(97、本書)が、現行は創元推理文庫の完全版(19)が流通している。瀬戸川の解説は完全版に収録されていないので、読みたい場合はハヤカワ文庫JA版を用意する必要がある。
「一九五〇年代、六〇年代の海外ミステリを俎上にのせたエッセー集」で「高級でゴージャスな本」。そう読んできたし人に勧めてきたという瀬戸川が、解説を書くために二十数年ぶりに改めて読み直してみて気がついた「肝心な要素」、古めかしい作品を取り上げているにもかかわらず、本書が時代に埋もれずミステリの批評書として常に輝かしい地位を占めることができている理由、それは……というのは読んでのお楽しみ。ただ、その点は(彼が意識していたかどうかは分からないが)瀬戸川自身の評論においても当てはまると思う。長年ミステリ/エンタメに正面から向かい合ってきた彼だからこそ、偉大な批評家たちと同じ地平で読者をワクワクさせ続けることができている、というのは嬉しい気づきだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?