書評:経済学私小説「定常」の中の豊かさ

定常とはどういった状態なのであろうか?

定常の例として、本書で「走っても、走っても、前に進めないランニングマシーン」とある。日本経済は長年に渡り停滞しているが、その内部では縮小していく力と、拡大していく力が釣り合っているのである。

定常状態とはその微妙なバランスの上に成り立っており、それを無理やり成長させようとすれば経済に破滅的な影響を与える恐れもあるのだ。

それを私小説という独特の状態で書いてある。かなり無理のある設定もあるが、ヘリコプターマネーを行おうとする政治家の馬鹿馬鹿しさを表現するにはそれぐらい極端なフィクションが必要なのであろう。ただ、内容は明確な経済理論とデータに基づいている。

経済とは膨大な参加者が複雑に絡み合って成り立っている。その関係性の中で何か変化が起これば、それは互いに影響しあって広がっていく。

大きな湖に小石を一つ投げ込めば、その波紋は広がっていくが、次第に消えていく。しかし、経済では影響が一様に同心円状に広がっていくわけではない。小石によって起きた波紋は歪な形で広がって、どこかで津波に変化するかもしれないのだ。

そこを理解しないと、一次的効果のみに着目すればよいと勘違いしてしまう。

経済の深遠で広大な関係性の一端がのぞき込める一冊である。ただ、私小説とあるが、内容的にはマクロ経済学に対する一定の理解が必要である。

また、経済では同時にその関係性を構築する一つ一つの要素が、感情を持った人間であるということも忘れてはならない。そこの感情に着目した私小説があっても面白いと思う。

最後に表紙の絵について、作者はウィリアム・ターナーである。当時は酷評されていたが、歴史的にみると印象派の先駆けとなった人物である。同様に批評されながらも現在の定常状態を抜け出して、成長へと導いていくのが、我々若い世代の使命ではないだろうか。

もちろん定常状態の素晴らしさも、それを脱却する難しさも本書を読んで理解したつもりだが、常に何か新しい解決策はないのかと苦悩する必要性もある。

思考停止状態に陥る必要性はないのだ。

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