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自分の価値を否定している真犯人

私はものづくりをして生きていきたいと思っている。

価値のあるものを制作し、販売することで生活をしていきたい。

それには制作しているもの、つまり私の生み出す作品が
「売れる」ということが大前提だ。
売れなければ、制作できないどころか生きていくことさえできない。
仕事としてものづくりをするためには、
なにはともあれ「売る」ことをしないといけないのだ。

私は「売る」という才能はないと思う。
接客業に携わったことはこれまでも何度もある。

すでにその商品の価値が世の中に認められており、
売れる商品を売っているから売れたのであって、
私が売っているから売れているわけではなかった。

今まで携わってきた売るという行為は「私」にではなく、
「商品」に価値があり、誰が売っても同じだけ売れるものだった。

特に難しいのはネットを使って販売することだ。
委託販売をしているときはぼちぼち売れていたのに、
ネットでの販売は5年で3つ。

我ながらよくやめたくならないな~と思う。
根気があるのか、あきらめが悪いのか。

ネットでのお悩み相談で売れないと嘆いている記事があった。
「SNSで3ヶ月も販売しているのに
ひとつも売れない。どうすればいいのだろう?」と。

あぁ普通の人は3ヶ月で売れないと悩むものなのか。
私は自己肯定感が低い人間だという自覚がある。
「私の作品なんて…」
「私の作るものなんて売れないよね…」
ということが前提にある。

きっとそれが作品や作品説明などににじみ出ているのかもしれない。

私はものづくりをしていることを
家族以外の人間には教えないようにしている。

なぜなら売れてもいないのに「ものづくりしています」なんて
恥ずかしくて言えないからだ。

そのため制作した作品は家族に見てもらう。
家族は私の作品を「いいじゃん!」「かわいい!欲しい」と
言ってくれる。

私はそれを素直に受け入れられなかった。
どの親も我が子が書いた絵を「うちの子の絵が一番上手♪」と思うように、
家族がどんなに褒めてくれても世間の評価とは違うだろうと。

しかし自分の周りにいる人たちに「かわいい」と思ってもらえない作品が、
不特定多数の人に「素敵」「買いたい」などと思ってもらえるわけがない。

身近な人に胸を張って見せられない作品になんの価値があるのか?

大切な人にこそオススメできるものが最高の作品ではないだろうか?

自分の作品に誇りを持たなければ、販売をする価値はない。
自己肯定感の低い私の作品には魅力がないのだ。

それなら身近な人にオススメできるような
クオリティの作品を作ればいい。
自分の作品が恥ずかしいなんて、作品にも失礼だし、
なにより自分がかわいそうだ。

あるとき初めて知り合いに私の作品を見せた。
ごはんを食べていたとき「作品見せて!」という
話の流れになってしまったのだ。
断り切れず見せることにした私はとっさに
「変とか言われたら凹むし、何を思っても傷つくこと言わないで欲しい」と保険をかけた。

作品を見た彼女は
「え??マジですごいんだけど。なんで変っていうと思ったの?
言うわけないじゃん!」と言った。

「友人にプレゼントしたいからオーダーしたい」とも言ってくれた。

すごく嬉しかった。

私はその時にはじめて気が付いた。

「あれ?今まで作品を見せてきた人たちは
一度も私の作品を否定するようなことは言っていない。
あぁ…そうか、「恥ずかしい」「売れるはずがない」と
作品の価値を常に否定していたのは私だけだったんだ」

私や作品の価値を否定し続けていた真犯人は自分自身だったことにようやく気が付いた。

身近な人に「見せるのが恥ずかしい…」と感じてしまう時点で、
自分に負けてしまっているのだ。

目からウロコが落ちた瞬間だった。

「私ってすごいでしょ!」
「私の作品見て!とってもかわいいの!」と考えられるようになるのは
私の自己肯定感レベルではあと100万年はかかるだろう。

「ものづくりをして生活する」という夢を現世で叶えるためには、
まずは大切な人たちにこそ、大切な作品を「素敵」だと思ってもらえるような作品を作ること。

夢はまだまだ遠いけれど、3歩進んで2歩下がるくらい軽い気持ちで進んでいけたらいいなと思う。

noteに記録をつけながら。


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