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「半自伝的エッセイ(37)」定跡と素数と親知らず

ある時、急に悪寒がしてきて、立っているのも辛くなった。幸い自分のアパートの部屋にいる時だったので、すぐに敷きっぱなしの布団に潜り込んだ。どれぐらい寝たのか定かでなかったが、大量の汗をかいて目が覚めた。布団に入ったのは夕方だったが、周囲が真っ暗になっていたから夜だということはわかった。汗でぐっしょりのTシャツを新しいものに替え、その上にトレーナーを着込み、それでもまだ寒いので半纏を着込んでまた寝た。

汗をかいては着ているものを替え、また寝るの繰り返しで、何日経ったかもわからないあたりで流石に空腹を覚えたものの、冷蔵庫には牛乳ぐらいしかなく、それもあっという間に飲んでしまい、電話などという高級な文明の利器は引いていなかったから誰かに助けを求めることもできず、ひたすら寝ていた。

熱のせいで感覚が鋭敏になっていたのか、雨垂れが地面に落ちた音が耳の奥に響いてきたかと思うと、誰かが夢枕に立った。中世風のマントのようなものを羽織った人物で、顔は見えないが、長い顎髭をたくわえているのはわかった。そのおそらくは老人と思われる人物が、何か大仰な仕草を交えながら「これを打開しない限りお前の熱が下がることはないだろう」と言って、駒が載ったチェス盤を差し出した。

その局面には見覚えがあった。白番においてある序盤戦術を採用した時、自分が少しでも不利にならないように指していくと、その局面になるのであった。そして困ったことに、その局面になってしまうと、もうドロー(引き分け)にするしかないのである。それを知っている黒はこの局面に持ち込もうとするが、それを回避する方法もなかった。散々考えた進行とその結果の局面だった。打開の方法はないというのが私の結論であって、どうしようもなかった。その局面を嫌うのであれば、別の序盤戦術を採用するしかない。

私は老人に向かって「無理だ」という意味で小さく手を振った。老人は手にしていたチェス盤をマントの中にしまうと姿を消した。姿が消えた場所に、小さく折り畳まれた紙が残されていた。開いてみると、なんの数だか知らないが延々と数字が列記されていた。

その翌日あたりだったと思うが、ようやく熱が下がり、布団から起き上がることができた。部屋中に散乱したTシャツやトレーナーからは汗の饐えた匂いが立ち込めていた。それらをビニール袋に詰め、アパートを出た。コインランドリーの洗濯機に洗い物を放り込み、近くの牛丼屋に行った。久しぶりの食事であり、胃が受け付けるかどうかと心配したが、並盛りを食べ終えたところでまだ空腹は満たされず、もう一杯食べてしまった。牛丼屋でお代わりしたのは後にも先にもこれが最初で最後である。

コインランドリーに戻ると洗濯は終了していた。あとは乾燥機にかけるだけである。普段はこの待ち時間の間、持ってきた本を読んでいたのだがその日はそんなことに頭が回らず、手持ち無沙汰になってしまった。ぼうっと回転するドラムを眺めていたら、夢で見た老人が置いていった紙が思い出された。たしか数字が延々と並んでいるだけだった。その数字を思い出していくと、何のことはない、素数がランダムに並んでいるだけであった。しかし、なぜ素数なのか? 膠着したチェスの局面とどんな関係があるのか?

答えがわからぬまましばらく経ったある日、私はチェス喫茶「R」にいた。誰かとチェス盤を挟んでおり、私は白を持っていた。その三手目の時である。突然、なにかの啓示のように頭の中に素数の羅列が流れてきた。素数というのはそもそも規則性がなく出現するものであって、次に現れる時を誰も予測することができない。待てよ、チェスの定跡には手順があるが、手順があるから相手にその先の進行を読まれてしまうのではないか? だったらランダムに駒を動かしていったらどうだろうか?

ということで、私は三手目に誰も絶対に動かさないであろう駒を動かしてみた。相手はかなり悩んでそれを受けるような手を指してきた。ここで私は当初の定跡を作る手に戻した。中盤過ぎまではどうやら私が優勢だったが、三手目に動かした駒が負担になり、負けてしまった。やはり簡単には定跡を外すことは難しいと認識したものの、かすかな可能性は感じた。

そうなるとその可能性を研究しないとすまないのが私の性格のようで、その日から定跡の手順を変更する研究に没頭し始めた。といっても、先人たちが延々を築いてきた定跡の牙城を崩すことはそんなに簡単ではなく、あっちがよくなるとこっちがだめとなり、そのだめな部分を修正しようとすると、今度は別の箇所に瑕を抱えるという具合で、一筋縄ではいかなかった。

しかしである、白の定跡は変更がかなり難しいことが判明した一方、黒のいくつかの定跡は私が考えた手順のほうが優れているのではないかと思われるものが見つかった。その黒の定跡をチェス喫茶「R」で試してみたところ、おおなんと黒で勝率が9割ほどになってしまった。それもそのはずで、その時誰もその手順を知らなかったのだから。

黒番での勝率が9割などというのはチェスではあり得ないことであり、パチンコで延々とフィーバーが続いているような状態である。しかしここで私に試練が襲ってきた。最初は奥歯に違和感のようなものを感じていただけであったが、数日すると猛烈に痛み出した。市販の鎮痛薬などで引くような痛みでは到底なく、私は近くの歯医者に駆け込んだ。レントゲンを撮影されるなどして判明したのは、親知らずの根元が炎症を起こしているということだった。歯科医は大きなマスクをしていてはっきりとはわからないものの、声の感じや話し方からまだ三十代と思われる女性だった。「親知らずだから抜いてしまうね」やさしい声で囁かれた。

抗生物質の服用のおかげで炎症が止まった一週間後ぐらいに抜歯した。その際、「左奥も親知らずだから抜いてしまったほうがいいと思うけど、どうする?」と訊かれたので、またこんな痛みに襲われても嫌だから、その一週間後ぐらいにまた抜いてもらった。

歯を抜いてスッキリした私は2〜3週間ぶりにチェス喫茶「R」に顔を出した。ところが、黒番であんなに勝っていたのにどうも勝手が違っていた。うまくいかないのである。私の頭に去来したのは、親知らずを抜いてしまったから駄目になったのかもしれない、というまったく根拠もない理由づけであった。なんとなく綺麗な感じのする女医さんに言われるがままに歯を抜いたことを激しく後悔したが、なんのことはない、私がいない間に白の対応が練られていただけのことだった。

しかし、ひとつだけ白の対応が難しい手順が残った。私は奥歯を二本失って、黒番のそれなりに指せる手順を得た。都合、得をしたのかなんなのかわからないが、黒番のその手順は今でも指しているから、悪い取引ではなかったのだろうと思いたいが、親知らずとはいえ奥歯が減ってからはなんとなく食の好みが変化したから、私の人生においてさざなみ程度の影響ぐらいはあったかもしれない。


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