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「半自伝的エッセイ(11)」インベーダーゲーム

チェス喫茶「R」で知り合った人に塚田君というのがいた。同じ年齢で別の大学に通っていた。私と違って大学に真面目に通っているらしく、「R」に顔を出すのは月に一回か二回、いずれも日曜日だった。

その塚田君に誘われたことがあった。「ちょっと、うちに来ない?」と。次の日曜日、塚田君の家にお邪魔した。実家暮らしの塚田君の二階の部屋に案内されると、そこには、六畳ほどの広さだったが、他を圧するように大きなパソコンの筐体とモニターが置かれていた。

塚田君はパソコンに電源を入れた。「ちょっと待ってて」と言って塚田君は部屋を出て行った。パソコンはうい〜んとかブ〜ンとか言うだけでモニターは真っ暗なままだった。塚田君が二人分のアイスコーヒーを持って戻ってきた頃にようやくモニターが明るくなった。

パソコンの前の座布団に座った塚田君がキーボードになにやら打ち込むと、そこにはチェス盤らしきものがぼやっと浮き出た。しばらくすると駒と見えるものがやはり浮かんできたが、駒の違いが明瞭ではなく、どれもインベーダーゲームの侵略者のように見えた。
「自信作なんだ」と塚田君は言った。
私は塚田君が作ったというチェスプログラムと対局することになった。

私が移動させる駒の符号を口頭で言うと塚田君がそれを打ち込むというスタイルだった。塚田君が素早くキーボードを打ち込むと、ややあってからモニター上のチェス盤に変化があり、のっそりと駒が動いた。

私を困惑させたのは駒の動作ののろさではなく、よくわからない手を指してくることだった。いちいち相手の、というのはコンピューターのことだが、手の意味を考えないといけなかった。人間はある程度定跡に則った手を指すものだから、定跡を外れることがあればそこでその意味を考えればいいが、塚田君のコンピューターは定跡を知らないようだった。

どうにか勝つには勝ったが、私は今までにない疲労を覚えた。
「どう?」と塚田君が訊いた。
「どうもこうも、これなに?」
「人が指さないような手ばかりを指すようにプログラムしてみた」
「なんのために?」
「藤井君を困らせるため」
「十分困ったけど」
「それなら成功だ」
「そんなことより最強のプログラムを作ったら?」
「それはIBMとかがやればいい」
「僕を困らせてもしようがないでしょ」
「いや」と言って塚田君が説明し出したことのほとんどを私は理解できなかった。私が理解できたのは、哲学を学んでいる塚田君の実験の材料に私がされたことだけだった。

その日、私はアパートの部屋に戻ってから、塚田君のプログラムが指した手をマグネット盤のチェスセットの上で再現してみた。たぶん私はチェスの定跡をすべて知っていたが、それら定跡がどうして定跡として定着したのか、知らなかったことに気づかされた。

それから私は一から定跡を学び直すことにした。それには膨大な時間を要した。なにしろソフトやAIのない時代のことである。すべての手を盤上で動かし、戻し、また動かし、そうやって一年ぐらいが過ぎた。その頃には、十手前後で相手を投了に追い込む技も身につけた。

そして数十年が経った。ソフトやAIの恩恵を受けて研究するようになると自分がかつて編み出した手順にも瑕があることがわかり、また序盤の研究をしなくてはいけなくなってしまった。それが今から五年ほど前のことである。そこから中盤の研究に進むわけだが、まだ終わっていない。いつ終わるのかもわかっていない。

文中に登場する人物等は全て仮名です。


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