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トラウマやカルマなんてない説

アドラーはトラウマはない「目的説」を唱えている
フロイトは原因が結果を生む「原因説」

どちらもそうだし、どちらも違うと私は想う

心理の観点からすると理解できるが本質の靈的な意識(宇宙の話じゃなくてもっとリアルな生活での精神面)からすればそんなことはどうでもいいのだ

カルマやトラウマはその人を支える言い訳や意味付けとして大活躍するのは間違いない

こんなカルマがあるからこうなっているんだな、
こんなトラウマがあって、、、

それは一時的な一問題に対しての助けにはなる
しかし、それらは原因として認知しているとそれらをなくせば今の苦しみがなくなると思考は働く
依存的な人(特に女性性強い人、女性)は信じ込みやすい

そこを客観的にとらえていること
つまり、靈的に目覚めていること(スピじゃないよ)

人間は肉体と精神と魂(靈)が一体であるから体験することがベース

ところが思考が働いて身体を忘れてしまう、嫌な体験を避ける、ので頭の中で知識で理解したつもりになって解決(したつもり)になる
するとまた同じようなことが起こる

例えば、男性との関係性で嫌な想いをして男性恐怖があるとする
(私はこれが潜在意識の中に押し込められてしまいこまれていたことをとある体験で知る)

その体験は色んなセラピーで楽にはなっても体験をしていないので頭の中で作り変えられただけになってしまってて「知っている」だけで本来の安息ではない

だから男性との関係、親との関係、でなにかあるのならばそれはまたその間柄での体験でしか現実は塗り替えられない

何十年と避けてきて、元旦那様ともできなかった男性恐怖がこのところ融解してきている
それは一段ずつ上がる階段のように男性たち(友だち含め)と接して、今までできなかったことをやっとできるようになっていったから

「どうせ聞いてくれない」
「私の話はいつも男に断ち切られる」
「大声で罵倒されて終わる」

このようなビリーフ(過去の経験から)があったみたい(あることすらわからないようにしまいこんでいるのが恐怖)
認知できたときが祝祭なのだがこの後がまた大切で、、、
マインドはこれを腑に落ちて、その後またそれをビリーフにしてしまう
健在意識に上がるとそのとき体感で腑に落ちてても時間がたつと今度はそれを掴み信じ込み、都合よく意味付けをして使い出す

ここは注意(常に自分に戻る)


何でもかんでもトラウマやカルマのせいにするのは女性に多い

男性との関係は男性との関係でしか払拭できない
もう一度トライしてみて「あれ?そんな男性だけじゃなかった」って氣づいたときに初めて男性への偏見がなくなる

癒やしは自分が氣づいたときに起こる
誰かが癒やしてくれるのではない
自分の内側に触れたときに起こる

わざわざ掘り起こさないで
出てきたら対処する
それは対処療法とは違う
なかったものにするのではなく
出てきたときに面倒をみる
なくしたい!と掘り起こしたり、変えようとしているのは抵抗だから

それが来たときに受け入れられるようになればそのプロセスを体験できるときが満ちた、きた、ということ
体験でしか変えることはできないから

変えたら幸せになるのではなく、本当に今の自分を受容できることが大切


先日、男性の友人にキレた
こんなことは絶対にできなかったことだけど本性を出してみた(笑)
というと大げさだけど今の自分の怒りをなかったものにせずに綺麗事にもせず、頭で抑えずにそのまま出してみた

嫌われる、と想いながら・・・

ところがその友人は優しかった

いつもの私の男性像ならここで違う態度をされるはずなのに体験が違った

これは彼が優しい人、だからじゃない
私が私を出してなかったら、たぶん、私の「体験」にはならない
「彼はいい人」で終わってしまう
私が自分の隠さずに自分を感じてそれを出したことがポイント
そうでないとまた創造のストーリーになってしまう

もう一つ、、、もやもやざわざわしていたことをはっきり男性へ伝えた
それをする労力がもったいないとかしかしされたらどうしようとか色々と思考は動いていたけどやっぱり女性を守るために言おう!と決意して怖かったけど率直に告げた、、、

私の言葉が全く伝わってなくて逆に私が悪いと言わんばかりの返信にもっと傷ついた、、、

彼は自分を防御する言葉を返してきて私の言葉を受け取らなかった
でも、あきらめずにまた返信した

すると謝ってくれた・・・

女性の友人がそこまでするにはあなたには「愛があるんだね」って言われて泣いた
そうだ、愛を信じている

頭で理解するのではなくて体験してやっと全身で、靈で、やっと報われた

人はちゃんと感じている
心がつながるのは本当の自分を出したときだ
一番心に響くのは今起きている自分をありのまま出しているとき
だから共鳴して最善が起きる
それはいつもいいこととも限らない
でも、絶対に最善である

だから最近出すようにしている
なかなか40年以上のクセがあるので難しいが日々練習

男性への偏見は自分の内側がつくっているものでそれが現実をつくっているから体験で徐々に本当の世界にしている

それができるようになったのは自分を愛せるようになってから

すると出逢う男性も女性も変わった

昔の過去の自分が間違っていたわけじゃなくてそれは必要な過程だとつくづく実感する

アドラーの目的説で言うならば、そこには何か自分の中で達成したいものがあるのだ
だから私たちはそれを観るだけでいい

うまく生きようとすると本来の道や自分じゃなく付き合い、生きてしまうから、やっぱり今自分に氣づいていることが一番いいと自己探求でいろいろな学びやセラピーをやってきて想う

どんだけやってきたろうか(笑)

どんだけ本を読み、セミナーへ行ったろうか

本当はシンプルだったんだ

でも自我は逃げたがる

OSHOの瞑想をやりたい、って人は相当な覚悟が決まった人だ
ちょっとやってわかったつもりじゃ人生つまらない

もっともっと感じて、マインドを手放したところに生きる醍醐味がある!

そのことを今本当に感じている

パートナーシップでも本当の愛を探求しているからこそ嫉妬も起こるし、起きたら感じる、逃げない
嫉妬をなくすのではない
その先にやっと光が視えてくる「体験」があった
これは体験しないと行動しないと視えないんだ


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