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死ぬとは



「死」は あまりにもネガティブに描かれてきたと思う

歳を取ることもそうかもしれない

誰もが
生まれてきた時点で死へ向かっているのに
死なない、死にたくないと想いこんで生きている(笑)

何をアホみたいにあんなに(こんなに)恐れているのだろう
何を抵抗しながら若いほうが価値があるように思わされているのだろう



死ぬときは苦しまずに?

いや、たしかに母親が死んでいくとき
いっぱい管につながれてたから苦しんでなかったな

静かに行った、といえるのかな?
ずっとその様子を眺めていたけれど・・・わからない

葬式がしたいのは死ぬ人じゃない
葬式は残された人のためにある

肉体が終わったのだ

観た人ならわかるだろうが
逝ったあとの死体はまるで蝋人形のようにまるで別の「質」の「物」になる

「生きてる」ってことが解る

動き(氣)が止まるんだよね

肉体のすごさ、血が通っているということの素晴らしさが際立つ

死ぬとはどういうことか
死ぬとは生きていた、ということだ

葬式で思った

悲しまなければいけないのではなく
悲しめよ

ちゃんと悲しめよ

故人とつながれよ、って

茶番すぎて笑えたんです母の葬儀

死んでから戒名とか 名誉賞とか 

誰のためなの?

泣くのもいいけど ひたるのは違う
故人との思い出を振り返ったり どんな人だったかを考えたり、、、
そんな時間がお別れの会だと思う

母は立派な葬儀とか墓とかそんなことより
きっともっとセブンスターを吸って、スーパードライの500mlを誰にも文句を言われずに飲みたいだけ飲みたかったろうと思う

聖マリアンナ病院に併設された中華のチャーハンを美味しいって食べたかったんだろうと思う(最後に一緒に行ったとき注文したチャーハンは一口しか食べれなかった)

父に疑われても友達と飲みに行ったり、ダンスしたり、大好きな演歌を歌いたかったろうと思う


人の死は生きることの大切さを教えてくれる


ちなみに私は葬式も墓も要らない
それよりも氣になるのは「死に方」かも
やっぱり看取ってくれる人は欲しいなぁ(天涯孤独の身)

「老い」はどうか



私の中でなぜこんなに「老い」への恐怖が幼少期からあるのだろうと不思議でして

それは個人的すぎて理解ができないくらいの(自分でもできないのですから)レベルなんだけど

特に日本は恋愛、性愛、産業、ビジネス・・・すべてにおいて
女性はセクシー系よりもかわいい系、若い女性のほうが男性に人氣がある
(もちろんそうじゃない人もいるのを前提として)

若いこと(見た目)が称賛され、年配になると「おじさん」「おばさん」という単一の言葉で侮辱する

(これは自分より弱い立場のほうが支配、優越、できるからだろうか?)

海外のゴシップ誌では有名人たちの昔と今の写真を比較して
歳を取ったことがまるで悪い、醜くくなったと話題にしたり

美魔女、のように「実はこの人◯◯歳!」などという実年齢よりも若いことがいいことだという意識

シワやたるみをなくすことをうたった商品たち

若返りはいつの世も求められ、良い商売になる

そう、見た目に翻弄されている
(いや〜、なぜこれほどまでにってほど恐怖〜〜〜)

なんか歳を取ることに価値が下がっていくような、、、

なんて悲しいことだろうか

でもやっぱりあるよねぇ

「醜くなっていく」ってビリーフ!


これをとことん逃げずに感じてみたらね
すごく苦しかったけどその先にいっぱいポジティブが出てきた(笑)

出そうと思ってなかったけど、出てきて
そしたら恐怖が減ったんですよね

また浮上するから都度感じるしかないんです

だってそこに在るんだもの

在るものを在るがまま受け取る

受け取らずにあらがることほど生きることに抵抗しててもったいないよね


「若くていいな」
って思うけど

それは自分が経験してきたから、何だと思う

いい人生だったから

やりなおしたい、ってそこで出てきたなら
いま、できる
いま、やるときなんだよね

先送りにしてると一生できない
今が一番若いってよく言うけどまさにあれですよね

後悔先に立たず

だから今この瞬間、自分に与えてあげることを意識しています

生命も 時間も 限り在るものだから

エネルギー(氣)を動かすんだ!



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