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たかがとも言えるけど『されど』であれ!

 最近、結婚や離婚にまつわる執筆をしていた。
 そこで、色々な人の話しを聞く機会があり、本当に結婚への経緯も、離婚への経緯も十人十色で様々だなぁと感慨深く思った。

 婚姻届や離婚届に対しての思いも人それぞれ。
 すごく大切に思い扱う人もいれば、たかが紙切れ一枚と簡単に扱う人も。

 私の場合は、ずっと離婚したくてしたくて仕方なかったのにも関わらず、ようやく協議離婚が成立した時は、解放感もあったけど、一抹の寂しさがあった。
 まさか自分がこんな気持ちになるとは、全く予想外だった。
 でも、ちゃんと生涯家族であろうと覚悟して結婚した相手なわけだから、それが叶わなかった寂しさはあって当然か。

 私は自分の親世代を見て育ったから、昔から【結婚は長い生活】と思っていて、恋愛の先に結婚というイメージはなかった。
 もちろん、付き合う人とはいつかは結婚したいといつも思って付き合っていた。
 それでも、この人は結婚に向かないなとか、生活力がないなと思ったら、泣く泣く損切りしてきた。

 私が大恋愛を終わりにしてまで、元夫を選んだ理由は、ズバリ【生活力】だった。
 経済力ではなく生活力。
 だって、結婚した時は、元夫は貯金もなく、私が妊娠した途端会社を辞めて起業したくらいで、経済力も安定もなかった。
 それでも、「どんな事をしても家族を路頭に迷わすようなことは絶対にしない」という力強い言葉は信用できた。

 だから起業したての頃は、留守中に裁判所の執行官が家にいて、家財道具を差押えられた経験もあるし、家計簿を付けてしっかりと節約していた時期も長かったけど、すごく困ることも、将来に不安を持つこともなかった。
 そんな風に、一緒にいて将来に不安を持たずにいられるのが、私の中で生活力があるという事だ。

 結婚=生活(家族)というイメージが昔から強かったから、離婚というのは家族を壊すイメージが強く、婚姻届よりも離婚届の方が、私にとっては重く感じられた。

 そして、数多くの結婚式に参列してきたけど、神の前で誓ったり、誓約書にサインする場面を見ては、厳かな気分になったものだ。
 そんな風に、結婚とは契約であり、離婚で揉めるのは、その契約に違反するからで、たかが紙切れ一枚だけど、それは重いものだという認識が私にはある。
 私が参列した結婚の三分の一くらいは離婚しちゃったけど、でもやっぱり昭和世代なんだろう、私と同じようにそこには重きをおいていた印象が強い。

 だけど最近は、割とそのへんがライトになってきている印象がある。
 それが悪いとは思わないけど、やっぱり約束とか、誓いって、あまり軽く見過ぎない方がいいんじゃないかとは思う。

 たかが紙切れだけど、されど、約束であり、誓いの紙なのだから、やっぱりそこに覚悟とか、深い思いを持つ方が、人生芳醇じゃないかな?なんて思ったりする。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました😊


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