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頭でわかってる事を心が理解できるとは限らない【エッセイ】

 昨日ある対談動画を見ていて、初めて【プルジットジョブ】という言葉を知った。

 【プルジットジョブ】とは…

アメリカの人類学者デヴィッド・グレーバーによる2018年の著書『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』(英: Bullshit Jobs:A Theory)の理論で、無意味な仕事の存在と、その社会的有害性を分析している。彼は、社会的仕事の半分以上は無意味であり、仕事を自尊心と関連付ける労働倫理と一体となったときに心理的に破壊的になると主張している

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

 そして対談の中でのエピソードを引用させていただくと、あるシステムエンジニアの人が、「あなたに作ってほしいシステムがある」と言われて入社したものの、そのシステムは、しっかりとシステム化して各部署が連携してますよと対外に示す為だけのただのお飾りのシステムで、その会社の慣習上は全く活用されないものだった。
 つまり、どんなに時間と技術を使って作業をしても、結果が全く無意味だった。
 自分の学んできたことや技術を活かして役に立ちたいと思って仕事をしているその人は、辞めようかと悩むのだけど、周りから「でも、それでお給料もらえるんだからいいじゃない」と言われて、「まあ確かになぁ」と辞めずに仕事を続けたのだが、次第に遅刻が増えたり、服装が乱れて、心が病んでいく。
 このままじゃダメだと思った時に「これがプルジットジョブだ」とわかって、そこからは逃げるべきだと知った…という。

こちらの↓動画からの引用です。

 これを知って、「ああ!私のあの状態もこれだったんだ!あれはプルジットジョブだったんだ〜」と合点がいった。
 私は以前、有料老人介護施設でパートをしていた事がある。
 私はホームヘルパー2級(現・介護職員初任者研修)の資格を持っている。
 資格取得の後に両親の介護が始まった為、両親に対しては活用できたけど、その資格を仕事に活かす事はなかった。
 それでも、人の役に立ちたいと思って取った資格だし、その資格は活かしたいけど、年齢的に介護職はもう身体がキツいだろうと思って、介護施設の受付(有資格者優遇)という求人があったので、そこに応募して採用された。

 面接の時に、「資格をお持ちなので、受付の仕事以外に、介護職員の手が足りない時は、見守りなどをお願いすると思います」と、課長は言っていたのに、いざ働いてみると、受付には常にホーム長や相談員、ケアマネージャーがいて、受付がするべき仕事もやってしまうので、殆ど仕事がない上に、介護職の手が足りない時でも、相談員に「素人だからダメ」と言われ、手伝わせてもらえない。
 資格を持っているからと言っても、「経験はないでしょ」と言う。
 じゃあいったいどこで経験を積むんだ?資格のない人に、車椅子のご利用者様の送迎を、違反なのにやらせているくせに。
 そして、どうでもいいような雑務だけを押しつけてくる。

 その上、同時入社で平日勤務が多い若い同僚は、申し送りノートに「週末って作業少なくて楽でイイですね」とか、簡単な作業を引き継ごうと伝えると「平日は忙しいので出来ません」と書いてくる。
 直接言葉を交わせれば対応の仕様もあるけど、会わずにノートだけでやり取りをしていると、言い返す事もできずにストレスだけが溜まっていく。

 そんなこんなが積み重なって、
 『ああ…これってドラマでよく見る、退職させたい人を窓際に追いやるヤツと同じだなぁ』と思って、友人達にも「窓際族と呼ばれる人の気持ちがよくわかるようになった」と何度も言っていた。

 それでも家から徒歩で行けるし、お給料もらえるからと思って続けていたけど、どんどん寝つきが悪くなって、眠りの質も悪くなり、頭がボーッとする事が多くなり、不定愁訴も増えていった。
 睡眠導入剤だけ貰えればというのと、心療内科受診という事実は、辞める時の口実に使えると思い、あまり期待せずに受診した近所の心療内科では、問診の時に状況を話しても「まあ、職場ではよくある事だよね」と医者に言われ、『そうなんだよ。言葉にすればよくある事だけど、その言葉にすると陳腐なストレスが、塵のように積もって取り返しがつかなくなっていくんだよ!』と、使えない医者に心の中で毒づいて、処方箋だけは勝ち取った。

 そして、受付という狭い事務所に一日中居続けるとドンドン病んでいくので、注意されてもなるべく席を外して、介護職員の人達やご利用者様と交流を持つようにしたら、いろんな話しを聞けた。
 外面はいいけど、職員に対する好き嫌いが激しく、それがもろに態度に出るし、差別的な発言もする権力者のホーム長、その腰巾着で力ある人には常にへつらい、ご利用者様の相談には乗らない相談員、そしてやる気のない雑なケアマネージャー。
 そんな環境で「昔からやる気がある人や仕事ができる人に限ってすぐに辞めてしまう」という事を知った。

 そしてその時期に、ご利用者様達から人気のある介護職員2人と看護士と派遣職員が、4人も辞めると耳にした。
 私は、心療内科受診の印籠も手に入れたし、一度に5人も辞めるとなったら、本部の方にも現場の問題が伝わるだろうと、彼らに合わせて辞める事にした。

 さすがに本部の方で問題になったようだし、ホーム長が会議で泣いたという噂は聞いたが、現場を牛耳っているトップ数人が移動にならない限り、絶対に職場の体質改善はされない。
 泣いたからって、どうせあのホーム長は反省しないし。
 介護施設では働き手の出入りが激しいとは聞くけど、ここほど人がすぐに辞めてしまうところはなかなかないと、別の施設で働く介護職の友人に聞いた。
 介護職員の派遣事務所でも評判は良くないそうだ。

 本当にあの時辞めて良かったとつくづく思う。
 そして、私のあの「職場ではよくある事」「些細な悩み」という、些末なストレスを抱えていた仕事に対して、ちゃんと名前があって、それがしっかりと理論として発表されていた事に、改めて溜飲が下がる思いだ。

 生活のためには働かなきゃいけない。
 お金を稼ぐ事は大切なことだ。
 それでも、そこに少しも成果や、誰かしらの役に立っているというささやかな価値すら生まれなくて、自分の存在が蔑ろにされるような仕事なら、逃げた方がいい。

 私の同級生の中には、定年退職後、同じ職場なのに、仕事が些末なものになり、給料も下がり、もう上司でもないから年下の職員からの態度もうっすらと変化していく状況で、心が病んでしまった男性が数人いる。
 私の世代の昭和を生きてきた男性は、男性が働いて家族を養うべきという考え方が根深いから、元気な内は働こうとするけど、何者でもなくなった自分で、お金の為だけに、価値を感じられない仕事に手を出すと、頭で理解していても、心が受け入れられない状況に陥って、心が病んで、逆に家族に苦労をかける事になりかねないから、本当に気をつけてほしいと思う。
 お金の為と割り切って、余暇を好きな事に使える人ならともかく、仕事に人生の価値を感じていた世代だからこそ、価値を感じられない仕事に手を出すのは危険だ。

 「よくある些細な不満」って、見過ごしてしまいがちだけど、頭でわかってる事が心も理解できるとは限らない。
 利口ぶった自分じゃなくて、お腹が空いたら泣く赤ちゃんのような素直さで、心に聞くべきだよね。
 じゃないと、骨折とかの外傷は周りからも理解されやすいし、いずれ治る事がわかるけど、心の傷や病は、自分も周りも理解しにくいし、治るかどうかもわからない厄介なものだから、絶対に甘くみない方がいい。

 という事で、長くなってしまいましたが、半年で仕事を辞めちゃうというちょっとした私の黒歴史に、しっかりと名前があった!という溜飲が下がる思いと、プルジットジョブというのは自分の心にとって、すごく危険な事なんだって事を書かせて頂きました。

 そして、まだ定年が先の人は、今の生活費のためだけじゃなく、定年退職後にも出来るという事を見越して、今から副業を始めておくのも、大事かもしれないですね。

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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