娘として泣き合った日【エッセイ】
notoを見ていたら、【#やさしさに救われて】というテーマが目に入った。
やさしさ?
やさしさってなんだろう?
たぶん…
生きてきた中で、たくさんたくさん【やさしさ】に包まれて、救われて生きてきた筈。
それでも、やさしさの定義って、私には難しく思えて…。
私が過去に救われてきたのは、人の親切じゃないかなって…。
そんな風にごちゃごちゃと頭の中で、やさしさの定義をこねくり回していたら、脳内に、ユーミンの『やさしさに包まれたなら』が流れた。
ああ…
やさしさって…気づけるか気づけないかの差があるだけで、木漏れ日のように、世の中にたくさん溢れているものなのかも…って思った。
そうやって目を閉じると、やさしかった時間、やさしかった空間が思い出せる。
昨日、両親の七回忌を終えてようやく自分の中の後悔を超えられたエッセイ【晩年の父と母との物語】を書いてる時に、ふと思い出した『やさしかった時間』について、今日は書いてみようと思う。
高校を卒業してから45年。
今ようやく、私たちって「親友かもね」と思える、高校時代の同級生がいる。
彼女とは、仲良しグループの中での付き合いで、そこまで深く交流を持ったことがなかったのだけど、付かず離れずの関係がずっと続いた唯一の友人。
彼女は、いい意味で変人で、取説の難しい人。
根っこはすっごいやさしさでできていて、外面の花の部分も親しみやすいのに、距離感間違えてぐっと踏み込むと、どこにあったのその棘?っといった感じで、痛い思いをするし、蜜かと思ったら毒だったりする。
親しみがブラックジョークに変換される性質(タチ)で、長い長い付き合いの中で、何度もムカついたことがある。
それでも、全くムカつくことのない友人よりも、俄然面白味がある。
まるでクセのあるパクチーみたいで、クセがあるけど大好物、みたいな感じ。
そんな彼女と、ぐっと距離が縮まったのが、親の介護、そして看取りを乗り越えた後だった。
彼女の母は体が弱かったそうで、「いつでも私が元気でいなきゃ」と思って育ってきたらしい。
そして私は、文句の多い母に気をつかって、母の顔色を伺って育ってきた。
だからお互いに、親に甘えることをせずに、強がって生きてきた感じが、ちょっと似ている。
そして決定的に同じなのは…
だけど、母が大好きだった!
という事。
そんな彼女のお母様が亡くなった後に、電話で話した。
内容なんて覚えていない。
ただただ、泣きながら喋り続けた。
あの時間、あの空間、私たちは、ただの娘だった。
娘として泣きじゃくって、「お母さん!」と心の中で叫んでた。
失ってより気づく。
自分を産み育ててくれた存在への、理屈じゃない思いに。
そしてそれが、すごくすごく心地よかった。
心が開放感に溢れていた。
ただの娘になれた…あの時間。
ただの娘で泣けた…あの空間。
あの時こそが、やさしさに救われた時だなぁ〜。
まさか、取説の難しい彼女と、あんなにやさしい時間を共有できるなんて…。
やさしさって、まるで奇跡だなって思う。
了
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