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他人の生き方や生活に偉そうに口出すなキャンペーン【エッセイ】

 植物も昆虫類も動物も、目的も夢もなくただ生きているだけで許されるのに、なぜ人間は、目的も夢もなくただ生きているだけということが許されないのだろうか?
 でも、植物も昆虫類も、邪魔だったら引っこ抜かれたり殺されたりするし、動物も悲劇的な扱いを受けることは多々あるから、そこと比べるのは妥当ではないけれど…。

 健康なのに何もしない息子や娘に対して、自分が死んだ後の経済的なことを思って親が口出しするのはわかる。
 でも、全く無関係で、利害関係もない周りの他人が、とやかく口出すのは、私はとても気持ちが悪いことだと思う。

 ちょっと話それるけど、結婚したらすぐに「赤ちゃんは?」と聞かれたり、子供ができたらできたで、2人目ができないと「ひとりっ子は可哀想よ」とか言われたりする。
 それは一体なんなんだ?
 子供が欲しくてなかなかできない人だったら、「赤ちゃんはまだ?」という何気ない一言が刃になるし、「ひとりっ子は可哀想」というのは、どこで発表されている、どれだけ集められたデータなのだろうか?
 なぜ関係性もないのに、平気で他人の生活や生き方に口を出してくるのだろう?

 そして、話を元に戻すと、自分が何かを頑張っている人間に限って、何もしていない人間を簡単に責め立ててくる。
 そして本人は、全く責めている気はなくて、親切心だったりするから厄介だ。

 私自身は、プロフィールに書いてある通り、いろんな事をしてきた。
 たった一度の人生だから、何でもやりたい!と思って生きてきた。
 高校生の時、同級生に「やりたい事があっていいね。羨ましい」と言われた時も、何でやりたいことがないんだろう?と不思議に思ったりした。
 それでも、人生長く生きていると、やりたい事が見つからない時もあった。
 そして、それはとてもとても辛いことだった。

 健康で身体は動けるのに、やりたい事が見つからない…そしてそんな自分を好きになれなくて、どんどん自己肯定感が低くなっていく。
 そんな時は、側から見たら、「呑気で何もしていない人」に見えるかもしれないけど、心の中は大嵐なのだ。
 それなのに、ただの良かれと思うお節介で、周りから色々言われたら、更に自己否定が加速して、自傷に走ったり、自死を選んでしまったり、犯罪に走って人を傷つけたりしかねない。

 文明が発達する前、水道ガス電気などがない頃は、ご飯を作るのも、掃除も洗濯もお風呂を沸かすのも、水を汲んできたり、薪を割ったり、火を起こしたり、ただ生きていくというだけの作業に日々明け暮れていた。
 それが当たり前で、生きていくってそういう事だった。
 でも、ライフラインが整って時間ができた今、ただ生きているだけじゃダメですか?
 ただ生きているだけというのは、無駄ですか?
 生産性がないとダメですか?
 世の中の役に立たなきゃダメですか?
 あなたに何か迷惑をかけましたか?

 私はただ生きているだけでいいと思います。
 犯罪を犯したり、誰かを傷つけるよりも、他人からは何もしていないように見えても、心の中では何かを求めて試行錯誤して、それでもなかなか見つからなくて自己否定と戦っている人達は、懸命に生きているんだと思います。
 それなのに、その人の心の中は見えないのに、見えてる事象だけで、安易に人の生き方に口出してくるのは浅はかだとしか思えない。

 最近ね、SNSのアンチうんちコメントよりも、ポジティブ人間の他人への「お前は何様だ?」という口出しの方へ気持ち悪さを感じることが多くなったので、今回はこんな事を書いてみました。
 地球に優しく!と言う前に、社会の中で人の心を追い詰めないように、安易に人の生き方に口出すのはやめにしましょうよ。
 自分の小さなモノサシで、人の生き方を測るのは、傲慢だと思います。

 そんなこんなで、私は死ぬまで【他人の生き方や生活に偉そうに口出すなキャンペーン】を細々と1人で広げていく所存です。
 もし賛同して頂けたら、スキ♡してね!

 では、また。

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