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延命について

 今朝、久しぶりに亡くなった両親の夢を見た。
 夢の中に両親が出てきてくれた日は、一日中ほっこり温かい気持ちに包まれて過ごせる。

 でも今日は、朝一でX(twitter)のおススメで出てきたスポット(呟き)を見て、両親の看取りを思い出すことになってしまった。

 その投稿がこちら↓

昨年亡くなった父は、生前に母と「お互い倒れても延命措置はしない」と約束しあっていた。それでも、父が倒れて意識を失った時に母は延命を選択した。

結果、父は倒れてから一度も意識を取り戻すことはなく病院で寝たきり、人工呼吸器をつけて20日後に死去した。人口呼吸器で呼吸をする父は、意識がないのに苦しそうで苦しそうで、特に死の直前の数日は「早く死なせてあげて」と思うほどに見えた。妹は父の呼吸が止まった時よりも葬式よりも、父のこの苦しげな姿を見た時に一番泣いていた。

「このままだとすぐに亡くなります。人口呼吸器をつけますか」

家族は心の準備なくそういう場面に直面し、すぐさま結論を出さなくてはならない。「何もしなければ死ぬけど、いいんですか?」このような聞かれ方をしたら「じゃあ、してください」と言ってしまう人が多いだろう。実際母はそうした。父との約束を反故にして。

こういう時に必要なのは咄嗟の判断ではない。日頃から決めていたこと、約束したことを守ることだろう。難しいことなのはわかっている。でも、特に高齢であればもう、自分の死に際をどうするか自分が決め、家族はただそれを尊重すべきではないのか。人口呼吸器で繋がれた最後の20日間は、父にとって本意ではなかったと今でも思う。

それでも父は、20日ですんだからいいほうかもしれない。この状態が数ヶ月、数年続いていたら?父は勿論、その日数と同じだけ母も私も妹もずっと苦しみが続く。経済的にも精神的にも大変な負荷になったはずだ。

赤の他人が綺麗事を言ってすまされる問題ではない。家族で話し合い、それぞれが常に覚悟を抱えて生きなくてはならないんだ。

X 倉田真由美さんの投稿

 認知症で施設に入居していた父は、私の仕事中に倒れ、病院に駆けつけた時には、幸い意識はあったものの寝たきりを余儀なくされ、胃ろうの処置がなされていた。
 患者本人も家族も選択は出来なかった。
 そして、すでに処置されたものを「外して下さい」とは言えない状況だった。

 両親と延命についての話しはした事がなかった。
 ずっと気になってはいたけど、子供の方からは聞けなかった。

 たぶん両親共に、延命は望まない気はしていた。
 特に、散歩が好きで食べる事が好きな父は、自分の足で歩けなくなったり、自分の手で食べられなくなったら、そこまでして生きたいとは思わないだろうと思っていた。

 それでも、父は意識があったので、選択の余地なく胃ろうの処置が施された。

 何本もの管に繋がれたその姿を見た時、「これでいいのか?」「父は辛くないだろうか?」と、何度も何度も思ったけど、触れると温かい父、話しかけると少しだけど返事をしてくれる父は、確かに生きていて、やっぱりそれが嬉しかった。

 父は、とても我慢強い人だった。

 施設長の方が父の口癖だと教えてくれた言葉通り、何があっても頑張って生きようとする人だった。

施設長の連絡ノートより

 この施設長の連絡ノートの言葉を思い出して、父は頑張って生きようとしてくれている!そう信じて過ごす事にした。

 そして約1年後、父を看取った時に思った。
 この寝たきりに期間は、父の死を、私が受け入れる為の時間だったのかもしれないと…。
 その為に、父は頑張ってくれたのかもしれないと…。

 大好きな父の死を、時間をかけて受け入れた後には、母の延命問題が待っていた。
 父に先立たれて、自身も寝たきりになった母は、初めて「延命は望まない」と口にした。
 そうだろうと思った。
 母は父ほど我慢強くない。母の意思を尊重しようと決めた。
 そして、父の時のような急変がなかったので、前もって医師に「延命はしません」と告げる事が出来た。

 母は死期を知った動物のように、自ら食べることをやめた。
 そして、静かに静かに弱って、私と私の娘に看取られて安らかに息を引き取った。

 人は死に方を選べない。
 人の数だけ死に方があって、それを看取る側は、いろんな覚悟を迫られる。
 だから、何が正しいなんてことは一つもない。

 延命を選択せざるおえなかった父と、延命を選択しなかった母。
 看取った私としては、そこに後悔はない。
 寝たきりで頑張って生きてくれた父にも、動物のように静かに死を迎えた母にも、死に様を見せてくれてありがとう…という思いだ。

 施設に必要な資金も、入院治療費も、両親が節約をして私達のために遺そうと貯めていてくれたお金で充分まかなえた。
 経済的な面も含めて、両親の死に様は立派だったと、心から尊敬できる。

 私自身は、昔から絶対に延命しないでほしいとずっと思っていた。
 でも、寝たきりでも生き続けてくれた事で、ゆっくりと父の死を受け入れられたように、もし娘が覚悟出来ずに望むのであれば、延命を受け入れて頑張って生きようと思うようになった。
 遺る娘の心が穏やかになれることが、何よりも親が望むことだから。


 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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