延命について
今朝、久しぶりに亡くなった両親の夢を見た。
夢の中に両親が出てきてくれた日は、一日中ほっこり温かい気持ちに包まれて過ごせる。
でも今日は、朝一でX(twitter)のおススメで出てきたスポット(呟き)を見て、両親の看取りを思い出すことになってしまった。
その投稿がこちら↓
認知症で施設に入居していた父は、私の仕事中に倒れ、病院に駆けつけた時には、幸い意識はあったものの寝たきりを余儀なくされ、胃ろうの処置がなされていた。
患者本人も家族も選択は出来なかった。
そして、すでに処置されたものを「外して下さい」とは言えない状況だった。
両親と延命についての話しはした事がなかった。
ずっと気になってはいたけど、子供の方からは聞けなかった。
たぶん両親共に、延命は望まない気はしていた。
特に、散歩が好きで食べる事が好きな父は、自分の足で歩けなくなったり、自分の手で食べられなくなったら、そこまでして生きたいとは思わないだろうと思っていた。
それでも、父は意識があったので、選択の余地なく胃ろうの処置が施された。
何本もの管に繋がれたその姿を見た時、「これでいいのか?」「父は辛くないだろうか?」と、何度も何度も思ったけど、触れると温かい父、話しかけると少しだけど返事をしてくれる父は、確かに生きていて、やっぱりそれが嬉しかった。
父は、とても我慢強い人だった。
施設長の方が父の口癖だと教えてくれた言葉通り、何があっても頑張って生きようとする人だった。
この施設長の連絡ノートの言葉を思い出して、父は頑張って生きようとしてくれている!そう信じて過ごす事にした。
そして約1年後、父を看取った時に思った。
この寝たきりに期間は、父の死を、私が受け入れる為の時間だったのかもしれないと…。
その為に、父は頑張ってくれたのかもしれないと…。
大好きな父の死を、時間をかけて受け入れた後には、母の延命問題が待っていた。
父に先立たれて、自身も寝たきりになった母は、初めて「延命は望まない」と口にした。
そうだろうと思った。
母は父ほど我慢強くない。母の意思を尊重しようと決めた。
そして、父の時のような急変がなかったので、前もって医師に「延命はしません」と告げる事が出来た。
母は死期を知った動物のように、自ら食べることをやめた。
そして、静かに静かに弱って、私と私の娘に看取られて安らかに息を引き取った。
人は死に方を選べない。
人の数だけ死に方があって、それを看取る側は、いろんな覚悟を迫られる。
だから、何が正しいなんてことは一つもない。
延命を選択せざるおえなかった父と、延命を選択しなかった母。
看取った私としては、そこに後悔はない。
寝たきりで頑張って生きてくれた父にも、動物のように静かに死を迎えた母にも、死に様を見せてくれてありがとう…という思いだ。
施設に必要な資金も、入院治療費も、両親が節約をして私達のために遺そうと貯めていてくれたお金で充分まかなえた。
経済的な面も含めて、両親の死に様は立派だったと、心から尊敬できる。
私自身は、昔から絶対に延命しないでほしいとずっと思っていた。
でも、寝たきりでも生き続けてくれた事で、ゆっくりと父の死を受け入れられたように、もし娘が覚悟出来ずに望むのであれば、延命を受け入れて頑張って生きようと思うようになった。
遺る娘の心が穏やかになれることが、何よりも親が望むことだから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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