見出し画像

「Rebirth(仮)」(5)

前回(4)

兄の回顧ブログの続き

2013年7月 検査と入院

半年ぶりの日本は梅雨明け直後で、飛行機から降りた途端、暑さと湿気にびっくりした(オーストラリアは7月は冬)


空港まで両親が迎えにきてくれた。それまで病気の事で気分は暗かったが、久しぶりの日本でテンションは上がった。

両親は比較的若者も発症しやすい、血液癌の可能性が高いと考え、翌日、血液内科が有名な病院へ連れて行ってくれた。

呼吸は若干しづらかったが、それ以外は元気だったので、おそらく大丈夫だろう。と家族とは話していた。


病院は父が付き添ってくれて、事情を説明して、血液検査や、CTなどやったと思う。検査後、診察室前で待っていたが、なかなか名前が呼ばれない。「どうか、癌ではないように…」と祈るような思いだった。

名前が呼ばれ、診察室に入ると先ほど撮ったCTの写真があった。「あぁ、やっぱり癌なんだな…」そう思った。

CTに映った僕の胸はめちゃくちゃに腫瘍ができていて、その影響で肺に水が溜まっていた。呼吸がしづらかったのはそのせいだったようだ。

診察を受ける前にネットで自分でもいろいろ調べていて、固形癌の場合、リンパ節に転移している時点でかなり予後が悪いというのはわかっていたので、画像を見て絶望した。肺癌なんだ。と思った。

先生「やはり、癌で間違いなさそうです」

俺「末期癌ですか?」

先生「どういうタイプの癌なのかは、まだわからないので、とりあえず即入院してください」


その後、父と病院のレストランで昼ごはんを食べたが、ほとんどなにも食べることができなかった。


2013年7月 白血病

昼食後、入院手続きをして、通されたベッドは呼吸器内科のフロアだった。

やはり、肺癌なんだ

父も横にいて、なにを喋ったかあまり覚えてないが、「できればあと10年くらい生きたいなぁ」て言った気がする。

しばらくすると、1人の若い女の先生が来た。話を聞くとまだわからないが、悪性リンパ腫を疑っているとの事だった。
気持ちが一気に晴れた。オーストラリアのドクターも悪性リンパ腫は治りやすいって言ってたし、ネットで調べた感じも、8割治るような雰囲気だった。

その後、いろんな検査を受けたり、ベッド移動したり、忙しくしていた。最終的に血液内科の病室に行き着いた。
父とは別れ、1人で夜の病院で横になっていた。

すると、1人の先生がやってきた。血液内科の先生で僕を担当するとのことだった。

僕の病気について聞いた。
僕の病気は悪性リンパ腫というより、急性リンパ性白血病とのことだった。治りやすさは今後の検査次第だが、どのタイプでも、治せる可能性は十分あるから。と

悪性リンパ腫と期待していたので、白血病と聞いて少し落ち込んだが、日中、末期の肺癌を覚悟したので、治る確率があるだけで、前向きな気持ちにはなれた。

続き(6)へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?