親は関係無いと言えるまで

毒親の話を見聞きすると、決まって

「親せいにするのはどうかと思う」と鈍器のような言葉を振りかざす人がいますが

(実際言われたことありますしね)


当事者が「親は関係ないよ」って言えるのなら理解出来るのですが

他人、ましてや近しい人から言われると絶望的になります。



やっぱり難しいと思うんです、

つめたーい空気の漂う家に帰る虚しさや、

あるいは親に思考力を奪われ逃げることもままならない無気力さ、

その他当事者しか語れない状況は多岐に渡ると思うんですが、

なかなか共有出来ない想いを抱えていると思うんです。

言い出すこともままならない、恥ずかしい思いやいたたまれない思い、無力感であったり抑うつ感。

誰かに助けてほしいけど、痛めつけられているから、素直に助けを求められないもどかしさ。


共感してくれる人ってなかなか居ないんです。

悲しみが支配していて、苦しくて苦しくて、どうしたらいいのか分からない。迷っている。理解してほしい。助けてほしい。。。


堂々巡りです。

もはや自分ですら自分が理解出来ずに堂々巡りしてました。


悲しみや不安が混ざり合って、着地点が分からず闇雲にその怒りは親に向かっていき、

傷つけられた痛みや、甘えられなかった悲しみ、訳の分からない孤独感、そんな代償を払わされているのだから、取り返したくなります。


ですが以前にも書きましたが、そもそもそこで応えてくれるような親であれば

恐らく親を恨むような状況には陥っていないと思います。



だからこそ、自分から「親は関係ない」と言うことが大事だな、と今では思えます。


ダメだダメだと言われ続け、ダメだと諦めていたけれど、

ダメだと思わされている部分は、親の尺度でジャッジされているだけです。

ダメじゃなくするにはと頑張っているけれど、縛られすぎて自分の思うような生き方が出来ていないのではないか?結局は親に合わせることが目的になっていないか?

何かをする度に揶揄されたり批判され、何も出来ずにいたけど本当は何がしたかったんだろう?

とても無理をして在りたい自分とは別の人になろうとしているのではないだろうか?



「親は関係無い」

憎しみの渦中に居るとなかなか気持ちを切り替えられないけれど、本当に親は関係無い。

自分の人格は今から自分で作ることが出来る。その方が楽しい。

自分は選べる。生きることは選択していく事。

憎んで、そこに熱量を奪われる必要もない。憎むって物凄いエネルギーです。

そのエネルギーは自分に費やして良い。


もう親の尺度に合わせようとしなくて良い。

自分で選んだ世界で、生きていくこと。


「親のせいにするのはどうかと思う」と言われ、やっぱり私はダメなのか・・・とショックを受けたこともありますが、

自分から「親は関係無い」と言える。


それが大事なのかなと、今では思えます。


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