「不戦の誓い」を胸に、私はニワトリを飼う
「二度と戦争なんてしちゃダメよ」
毎年この時期になると祖母の言葉を思い出す。力強くも悲しみに満ちたその言葉を。
長崎原爆の日、疎開していた祖母は直接被爆を免れた。
直後、市内に戻って見た光景を「地獄のようだった」と語った。
地平線が見えそうなほど破壊された街。瓦礫の山。丸焦げの焼死体。強者によって弱者が蹂躙された光景である。
祖母の口は重く、途中で話を切り上げてしまった。語ってくれたのはこれが最初で最後だった。
そんな祖母は2015年8月6日に亡くなった。戦後70年の節目、広島原爆の日。何の因果か、火葬日は8月9日。長崎原爆の日に灰になったのである。
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「ともだちになってくれてありがとう」
死んでしまったカブトムシの墓標に手を合わせながら、5歳の息子が呟いた。
生き物との触れ合いは命の大切さと儚さを教え、優しい心を育んでくれる。
生きとし生けるものは等しくその命を尊重されなければならない
それが当然のことであると思ってほしい。
持論だが、そのためには生き物との触れ合いが必要である。
そのために私はニワトリ(雌)を3羽飼っている。
彼女たちは、息子に弱肉強食の理を説く先生である。
「あー!まってー!」
息子が飼っているカエルくんの小屋掃除をしていた時のこと。
元気なカエルくんがピョーンと外へ飛び出した。
カエルくんを追いかける息子の声を聞きつけ、ニワトリたちが駆け寄ってくる。
「だめー!」
息子の声も虚しく、目の前で食べられてしまうカエルくん。号泣する息子。
弱者は強者に蹂躙される。残酷だがこれが現実だ。
人間社会では、多数派による少数派の蹂躙をよく目にする。
「メグちゃん、おはなし苦手なの」
息子が幼稚園の様子を話してくれる。4月に転入してきたメグちゃんはどうやら日本語が苦手らしく、誰とも話さず1人でいることが多いらしい。
「メグちゃんが悲しそうにしてたらさ、優しくゆっくり話しかけてあげたら喜ぶんじゃないかな?」
パパがそう伝えた後、キミはきっとパパが望んだ以上にメグちゃんに優しく接してあげたんだね。
「今日メグちゃんに『結婚しよう』って言われたんだ」
教えてくれるキミの顔は誇らしげで、パパはとっても嬉しかった。
優しいキミの存在が、彼女の心の支えになっているのかもしれない。
生き物との触れ合いが息子の優しさに繋がっているのかはわからない。
だが意味があると信じて継続していく。
それが「不戦の誓い」を守ることに繋がると信じて。
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