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(※追記 2024-05)本当の歴史はない・タルタリア(考察 ロシア・シナの存在自体の怪しさ)/スワルー11(マリ)


なぜ本当の歴史はないのか⏰  2024-02-22

Hello my friends. Thank you for being here with me again.
I hope you are happy and well today, I send you all a big hug.
I am Mari.
この情報は、SFとして、または見る人が一番良いと思うように見ることができます。エンターテイメントとしてのみ投稿しています。でも私は自分の情報をとても真剣に受け止めていて、この情報をよりよく理解するために、前の2つのビデオを見ることをお勧めします。

このビデオを理解するために、まず心に留めておいてほしいことがあります。時間というものは、それを知覚として生み出している意識から独立して存在できるものではないということ。
時間は存在しない、あるいは幻想としてしか存在しない。
意識、注意であることの結果です。

過去2本のビデオで、私は6次元 hexad dimensionalの時空の概念について説明しました。これは3次元の空間と3次元の時間です。
インターステラー文化で使われているこのモデルは、タイムパラドックスが存在しない理由と、一般的に時間がどのように作用するのかを説明するのに非常に適しています。
しかし、それはあくまでもモデルであり、時間が知覚以外の何かであるということを意味するものではない。だが空間もまた同じなので、結局のところ、すべての時間と空間は、地球上で使われている伝統的な4次元の時間空間モデルであれ、インターステラー文化で使われている6次元モデルであれ、知覚、マインドと意識がソースに強いつながりを持つ魂に与えるトリックにすぎず、限定と、有限であるという知覚に基づいた経験を与えるように設計されている。
本当の歴史が存在しない理由を、より形而上学的な観点から考えてみましょう。
もし時間というものが、誰がそれを認識しているかということとは無関係に、単なる認識という行為の結果として存在するのであれば、時間の枠 time frameというものは存在しない。
知覚としてそれを生み出している人の意識の外側に、期間や時間の順序が設定されること。
歴史や過去がある理由は、次の3つのことが相互に関係しているからです。今より前に経験したことの記憶がある、過去の行動の結果を生きている、そして、過去があると言われているからです。

私たちは過去があったと考えている、それはかつて起こった状況のことで、なぜなら私たちは、宇宙とその時間は、私たち自身が認識しているように機能していると思い込んでいるからです。そしてはい、私たちの特別な注意点から、私たちの視点からは、宇宙は私たちが認識しているとおりに動いています。
しかしまた、それは単なる知覚にすぎず、対象によって変化するもので、したがってそれは宇宙の統一された性質や属性ではありません。

それは、マインドを同じくする注意点の集団、つまり知覚に基づく何かが現実として集団的に受け入れられるとき、個人は知覚の合意を保持します。だがそれは普遍的なものではない。
存在するものはすべて、何らかの形で意識を持っています。
岩や砂粒でさえ、ソースの注意点や他の、ある種の原始的な意識も持っていて、それらはそうでなければ存在しえない。
しかし、ここで私が言いたいのは、意識の注意点のことで、私たちはそれが人々であると考えています。
もし時間の長さを認識する人がいなければ、そのような時間は存在しない、したがって地球上で使われている、何千年、何百万年という単位で計算された時間枠を使う概念は、本当の意味をなさず、抽象的な計算でしかない。
自身をを科学者だと思い込んでいる人々の集団が、合意として受け入れたものです。しかし彼らの文化がその仕事を許可することに同意しているからにほかならない。

彼らは放射性崩壊や天文学的な計算を、出来事の時間枠の参考とするかもしれない。だが、また彼らの結論は、彼ら自身の認識の合意の結果にすぎない。
そして、その結論は彼らが事前に到達した、それらの認識協定は、彼らが科学と呼んでいる、権力者によって大きくコントロールされている科学的メソッドに基づいている。
これは、ここで忘れてはならない非常に重要な点です。
地球上の人々は、歴史書に書かれている通りに過去が起こったと思い込んでいます、なぜなら権威者(権威のある存在)を信じるように条件づけられ、訓練されているからです。
そのような本を書いた誰でも、それらを本当の歴史として押し付ける人々も、彼らにとっては権威者であす、少なくとも地球上では。
もし誰も過去を直接記憶する人がいなければ、人々の認識をコントロールするために作られた偽りの物語、偽りの歴史を押し付けるのは簡単です。

もし、1700年代の10年間を直接認識できる人が今日残っていないのであれば、今生きている人々は、自分が今感じている10年間と同じであるべきだと思い込むだけです。
つまり、地球の支配者は、起こったすべての出来事の歴史的記録を消し去り、彼らの人口コントロールのニーズに合わせて、偽りの物語をでっち上げることが簡単にできるということです。
そして、我々が持っているすべての証拠は、まさにこれが地球上で起こっていることを示している。
貴重な歴史的証拠はすべて、あらゆる種類の人工物、それが文字で書かれてあっても、歴史的価値のある遺跡や建造物でも、公の場から抹消されようとしている。
カバルが後援していない研究者や一般市民がそれらを利用できないようにしている。これは今に始まったことではなく、とても昔から行われている。
アレクサンドリア図書館の破壊が証明しているように、もし過去を覚えている者がいなくなれば、もはや決まった時間枠は存在しない。時間の長さや時間というものは、マインドに由来する認識でしかないのだから。

ある人々の歴史を抹消すれば、その民族を好きなように扱うことができる。
具体的なアイデンティティーがないのだから、人々は脆弱で不安定になり簡単に話をでっちあげることができ、簡単に搾取できるようなアイデアを植え付ける、これが地球上のすべてのリセットの主な目的である。
もし集団の本当の過去を消し去れば、権力者のニーズに合った偽りの物語を押し付けることができるからです。

今、地球で生きている人々のグループより前に起こったすべての出来事は、 それ自体が一致する時間枠の中に置くことはできない。大きく操作された歴史的記録の中にしか存在しないためで、そのほとんどは完全に捏造されていますが、私が言いたいのは、もし時間の認識と間隔を生み出す人がいないのであれば、年表のようなものを決める唯一の方法は歴史的な文書や記録で、それらをコントロールする者は誰でも、過去の時間認識とその順序を支配する、これが地球のケースです。

6次元時空モデルで説明したように、未来から観察できるような固定された場所は、過去には存在しない。
私たちは、歴史上の出来事のまったく同じ瞬間や場所に戻ることはできない。時間は3次元のうちの他の2つでも動いているので、そのような歴史的瞬間の別のバージョンを常に作り出すことになる。

だから時間跳躍する宇宙船に乗り、ある歴史的瞬間を訪れ、そして今ここに戻ってくるというような単純なことではありません。このYouTubeチャンネルでもどこでも、私たちの発見を発表することができます。

しかし過去に地球を訪れたことのある人の、時間跳躍する宇宙船からの限られた観測では、地球上で一般の人々が容易に入手できる情報に点と点を結びます。特に近年、ある結論に達することができる。

19世紀の前半で間違いなく何度か、地球規模のリセット great global resetがあった。

わたしたちはそれ以前に高度でグロ-バルな文明があったという結論に達した。地球上の多くの研究者がタルタリアと呼んでいる文明である。
わたしたちはそれを確信しています、なぜならタルタリアは現在の中央ロシア、シベリアの南部に位置し、西は現在のモスクワ近くまで広がっていて、東は現在のアラスカ、ユーコン準州まで続いていて、南は中国中央部まで続いていたかもしれない強力な国家または地域であったと結論付けています。
ヒマラヤ山脈をある種の地理的フロンティアとし、そして北は極点を境界としてハイパーボリアの領土とつながっている。
私たちが多くのタルタリア研究者と異なるのは、タルタリアがグローバルな文明の名前であったとは考えていないことである。
それは地域の名前としてであって、地球上の現代社会や文化がグローバルであるのと同じように、その影響はグローバルなものでありますが、明確な名前はありません。
その手がかりのひとつは、19世紀半ばに建てられたとされる非常に精巧でよく似た建築物が世界中に乱立していることです。
地球上に存在したタルタリアとその世界的な影響が、どの程度まで遡ることができるのかは不明です。しかし、われわれの最良のデータによれば、タルタリアはヨーロッパのいわゆる中世と共存していて、タルタリアが繁栄していた時代にはヨーロッパでは、ローマのカトリック教会の逆行する弾圧下にあった。
私たちの証拠が示しているのは、古代ローマとギリシャは、エジプト帝国の終わりに栄え、その後、いわゆる中世とルネサンスのより高い部分へと移行した。ルネサンスはその名前からして、最新のリセット後の別の社会の復活を示しています。
いわゆるローマの滅亡とされるものが、わたしたちはローマは滅亡しなかったと知っています。単に現在のバチカンがコントロールする構造へと移行しただけである。

中世の大部分は、単にそのようなものとして存在していなかった。
私たちには、説得力のある広範な証拠があり、それはどの時代の出来事にも、特に中世の下層部では、単なる操作による嘘としてでっち上げられたか
、歴史年表をより長い時間を知覚させるため、言い換えると、出来事の順序の嘘の年表を埋めるために、出来事を引き伸ばした。
だからエジプトは大ローマ帝国にリセットされたように、それからローマ帝国がグローバルな文化にリセットされた、その中にはタルタリアも文化的なパワーポイントとして含まれていた。そして現代社会にリセットされた、19世紀初頭のある時期に。
私たちが目にするリセットポイントは、エジプト崩壊とアレクサンドリア図書館の焼失である。それは過去を没収、削除するためにされた。ローマ自体以外で最大の文書保管所であったからです。

この瞬間、エジプト最後の女王としてのクレオパトラの没落も含まれ、彼女がエジプトの統治をローマのカバルに委ねた。
その後、ローマ帝国はバチカンがすべてをコントロールするという中世のコンセプトに移行した。ローマ法王は本質的にシーザーである。
しかし別の名前で共存し、タルタリアを含むグローバルな文化へと移行した。そして、タルタリアとその世界の住人が知識と知恵を身につけすぎたとき、リセットされ、ナポレオン戦争(1803-1815)、ロシアとの戦いの時点で破壊された。
そしてまた、いわゆる産業革命の時代の期間にも。

20世紀の2つの大戦争もまた、ヨーロッパの歴史的な都市を組織的に爆撃することで、このような広大で豊かなグローバル社会の記憶を消し去るために利用された。
お気づきのように、私は参照に曖昧な日付しか示していません。
なぜなら、時間というものは、それを体験している人の知覚の時間枠の外では計算できないからです。
この話題はまだ続きます。
(※2024年5月現在続編はない) 

Thank you for watching my video, and for liking sharing and subscribing.
I appreciate it a lot, and I hope hope to see you here next time.
Take care, with much love, your friend.

Mari swaruu


タルタリアに対するロシアの怪しさについて、個人的な目線での考察

陰謀論と決めつける論調の主だったものはそれ自体を否定すると言うより、Chinese Tartaryとして大陸の一部なだけ、遊牧民を全てそう呼んだり、モンゴル人を西洋人から見た呼び方という、曖昧な使い方をされていたという言い分が目立つ。
日本国旗こそ間違っているが、下の画像は1865年に米国で発行された万博の書籍のもの。そこにはタルタリアは領土か地域として間違いなく存在している。


日本の国旗の間違いについて、知恵袋での博識な人の回答
1860年に、日米修好通商条約の批准書交換のために、日本の使節団が渡米した際には、既に日の丸が日本の国旗として米国に認知されていました。 当時まだ日本に関する情報がロクにない時代に、何かの間違いで日本の国旗として収録されたと思われる。「青地に白横引き」のデザインの旗は、江戸時代の日本で、港湾の水深を表示する「水戸(港)浅深信旗」で「一寸」を意味するものに使われていました。それを、日本の港に接近する機会があった外国船員が、あちこちで見かけることで「あれが日本の旗だ」と誤認識し、それを帰国して伝え、それが国旗として間違って収録されたのではないかと思います。


スワルーがロシア帝国と言わないという事は、ロシアそのものの歴史もかなり怪しいので、以下にタルタリアの支配地の予想図を作ってみる。
モスクワまでということはウラル山脈より西側に入った部分ということになる。

以前はバルカン半島までと言っていたが、今回はモスクワまでなのでとりあえずそこまでを

以前よりウラル山脈より東になぜスラブ人がいるのか非常に謎だったが、下は拡大前の「モスクワ大公国 (1340–1547)」の領土で、ウラル山脈より西にしっかりと、現タタールスタンを含むテュルク圏を除いた外側でしっかり収まっている。
ご存知のようにロシアは勝手に多くの民族を征服しただけなのだが、誰でも一度はなぜここまで短期間での拡大が可能だったのか、と疑問に思ったと思います。というかなぜ他の民族が阻止をしなかったのかという謎。

1390年から1525年にかけてのモスクワ大公国の領土の変遷
タタールスタン共和国/テュルク系民族の現在の分布
ノヴゴロドの位置と領域(1400年代)

ロシアの支配機構変遷
ノヴゴロド公国 (12c–15c)
モスクワ大公国 (1340–1547)
ロシア・ツァーリ国 (1547–1721)
ロシア帝国 (1721–1917)

一般世界史レベルでは、シベリアの西側はノヴゴロドによって既に征服されていたらしい、そしてさらに16世紀末から17世紀にロシア・ツァーリ国によって、シベリア征服がすんなりと行われたらしい、当然西はずっと争っているし、南東はテュルク系民族も多数いて交戦していたはずなのに、、笑
(以下面倒なので、ツァーリはほぼ同じのロシア帝国で統一します)
仮にも19世紀になってから兵器で行ったならまだ理解できるが、大航海時代のように船と兵器でもなく、地続きを移動して武力で治めていく?やはりそれこそチンギスハン的なやり方である、しかもヨーロッパ側の圧力もある中、なぜか今度は西から東へ、モンゴルもあったはずなのに?考えれば考えるほど違和感がある。

さらにタルタリアの範囲が完全にシナの元々の漢民族のかつての領土までというのは、万里の長城の位置とも一致する、やはり万里の長城はタルタリアによって建設されたことになる。

ちなみに南シベリアでやや北よりは、Novosibirskという都市だが、この都市の歴史はなぜか1900年より前にはほとんど出てこない、テュルク系民族がいたとあるだけである。だが1900年から急速に開発し、現在ではロシア第3の都市となっている。一部の白黒写真はモダンな作りである、一見ヨーロッパ風であるが、ほとんどロシア感はなく、共産主義っぽい建物とも違う。よくアメリカにあるタルタリアの建造物とされるものに少し近く、全体的に非常に怪しい。

第2の都市サンクトペテルブルク Saint Petersburgで、ロシア人のピョートル大帝によって1703年に名付けられたにも関わらずドイツ語で「聖ペテロの街」を意味する。
ちなみにドイツの影響の強かった当時存在した神聖ローマ帝国は1600年代まで存在している。様式は見ての通り普通にヨーロッパ風である。

ついでに、第4の都市エカテリンブルクはモスクワと同じ丸い屋根、配色がロシア風である。下はいわゆるシベリアのもので特徴はあまりない。

これは19世紀のタルタリア(仮)の崩壊後。さらっとロシア帝国が盗んだから、この範囲の領土を治めることになったという可能性はどうだろうか。もちろんタルタリアそのものにスラブ系民族がいなかったとは限らないが、今のロシアに直接通じる国ではないのではと思います。ましてやナポレオンが破壊した後の、空白地帯で現在まで続く構造、意図的に作られた西と東のパワーバランスを見るに、西のバチカンによって東のユーラシアをロシアが支配するように命じられ、カバルが暖簾分けしただけに思えるのです。

(wikiより)「ロシア」という地域名が最初に文献に登場するのは15世紀末、広く用いられるようになったのは16世紀になってからのことである。「ロシア」がどこから出発したかが曖昧である。
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東ローマ帝国の滅亡後、すなわちヴァシーリー2世の時代以降、モスクワ大公国は正教会の擁護者としての意識を高める。1472年イヴァン3世は東ローマ帝国最後の皇帝コンスタンティノス11世の姪ソフィア(ゾイ・パレオロギナ)を2番目の妻とし、ローマ帝国の継承者であることを宣言し、モスクワを(ローマ、コンスタンティノープルに続く)「第3のローマ」と称し、初めてツァーリロシア皇帝)の称号を名乗り、ルーシの諸公国を併合(たとえばノヴゴロド公国1478年トヴェリ大公国は1485年に併合)し、また1480年イヴァン3世ジョチ・ウルスから事実上の独立を果たした(ウグラ河畔の対峙)。

完全な仮説ですが、ロシアという呼称を使いだした頃から1500年代後半の、特にロマノフ朝のロシア帝国あたりから歴史が嘘なのでは?と思います。少なくとも20世紀初めにロマノフ朝が終わる段階では本当だと思いますが、歴史の引き延ばしや創作をして(ロシア・ツァーリを含む) ロシア帝国の強大さを盛っているように思います。
この間だけで急にアラスカ前まで勢力を伸ばし過ぎだし、なによりそれほどまで強大ならスワルーが言ったローマのように実際に滅びるように思えません。近世の大陸で300年超統治するってだいぶヤバい力がないと無理ですし。実際その後のソビエト連邦を見ても中枢の権力構造はさして変わっていませんし、ロマノフ家の滅亡からはカバルのイメチェンという名のリセットなのではと。
ちなみにこの1600年代後半にはロシア帝国では貴族が皆、西洋風の服を着るようになり、それを強制するため一般にも取り締まったらしいです。
これは日本の明治売国政府に近いきな臭さを感じます、当時の日本人も大日本帝国とか中二病こじらせてましたし。


※追記 2024-05 モンゴル・満州・シナの全部が怪しい

完全な仮説でしたが、あまり興味がなくスルーしていた大陸の歴史を調べたところ、モンゴル=シナを調べることでかなり疑いの可能性が濃厚になりました。

(wikiより引用)
(シナでは) 17世紀初頭に明の冊封下で、満洲に住む女直(jušen、以下「女真」)の統一を進めたヌルハチが、1616年に建国した後金国(amaga aisin gurun)が清の前身である。
~~~
「清」が1636年に満洲に建国され、漢民族を征圧し1644年から1912年まで中国本土とモンゴル高原を支配した最後の統一王朝である。

明清交替(みんしんこうたい)は、それまで中国大陸を支配していたから、中国東北部に居住していた満洲人愛新覚羅氏が建国した清への移行を指す。この移行は、17世紀初頭から数十年をかけて行われた。
(引用終わり)

后金=後金
シナの歴代支配者

これってちょうど1600年頃のできことで、この国が一応20世紀まで続くわけです、まったくロシア帝国と同じ流れです。しかも多民族、共産主義、独裁システムまでも。
急に出てきた満州民族、エリアもちょうど万里の長城の上側なわけで。
流れ的に簡単に言うと、満州国が明とモンゴルを融合(支配)して清になるという、、都合良すぎませんか???笑
これって今の陰謀感覚で言うと絶対に裏でコントロールしてるパターンのやつなわけで、いやそもそも清~よくわからない中華民国~現在の中共にいたるまで漢民族はまともに統治してると言えないわけで。よくこれで愛国とかナショナリズムを煽れるなって話です。こうなるとその前身の明は満州エリアを自分の領土内に記載しているが、当然タルタリアのエリアなわけで、虚偽の可能性が高い、そもそも本当に漢民族出身者による統治だったかどうかすら怪しい。

1600年からタルタリア崩壊とされる1800年くらいまで、カバルに与えられた元タルタリアの領土である、シベリアからシナ地域までを正当化するため、歴史が水増しされている可能性がかなりあります。
モンゴルだけじゃなく、文字を持たずモンゴル文字を徴用して、その時わざわざ満州文字を作ったとしている満州自体も作為的に作られた可能性が高い。(そのモンゴル文字も古代ウイグル文字を参考にしている)


共産主義のはじまり

パリのドイツ人団体が正義者同盟を設立
(1838年に分裂し、最初の共産主義団体誕生)
両親ともにユダヤ人のカール マルクスは1840年ごろから無神論の著作を書く、マルクスに影響を与えた同じユダヤ人のモーゼス ヘスは同じ頃、社会主義者のライン新聞を刊行中
1847年6月に正義者同盟は共産主義者同盟と完全に改称
マルクスとエンゲルスが綱領的文書の作成し、共産党宣言(共産主義者宣言)にある。

ロシア内の流れ
1914年          第一次世界大戦
1917年          十月革命
1918-1922年 ロシア内戦
1922年          世界初共産主義のソビエト連邦誕生

カバルはいいタイミングで共産主義という材料を見つけ、大きな二元性を作るために採用し、東の勢力にテコ入れをしてより新しい思想であり・宗教である共産主義国家を作りだしたように見えます。

これだけでも神聖ローマ(=ユダヤ)=ドイツ=憧れすぎるこじらしたロシア人の構図が臭いすぎると思いませんか?実際本当にロシア人だったのか笑
よく中世では貴族がヨーロッパの各国に行って無関係に王の位置に就くというのを聞いたことがあると思いますが。完全にそこから続く権力関係の背景の上に成り立っていることが分かります。

現在のロシアは長い期間、カバルの別派閥だったので昔ほど西洋(今でいうNATO)にべったりではない部分はあるかもしれませんが、本質的にはライバル役を演じてるだけでしょう。本当にかつてロシア自体にタルタリアのような大きな文明があってそれを潰されたことを一部でも一般人が知っていたら、今のように従順なキリスト教徒なども同国内で広まる土壌もなかったでしょうし、かつての主要な民族は中枢は殺され、一般人は周りの国に亡命したのではないかと思います。そこでほとんどの知識は失われたと。
本当にロシア人由来の文明なら、キリスト教はずっと前から普及していたのであれば、同じ白人同士、むしろ文明が潰される前に手を結んで悪の道に落とされそうなもんです草 まさに今の傀儡売国日本政府のように。
よってタルタリアはロシアの過去の栄光というのはまず考えられない。

当然ですが、これを理解しているとナチスも同じ構造で機能していたことがわかり、現代社会のほとんどは意図的に操作されていることが分かります。
本当か分かりませんが、ヒトラーはユダヤ人についてそこまで気にかけていなかったらしく、いろいろ計画を立ててるうちに周りに言われてそういう話になったってことみたいです。それもこれもイスラエル建国の為の布石でしょうね。だって実際ゲルマン人も混血だし、ユダヤ人も混血であり、ヨーロッパ人なら誰でもそれが分かってる事なので。
現に最近ではヨーロッパの識者すらイスラエルは、ナチスよりも反ユダヤ国家だと言われています。(その辺を説明すると長くなるので端的に言うと、ISISが国を作ったようなもので、イスラエルと世界中のユダヤ人は全く別物だってことです)

スワルーが言うような地域としてのタルタリアはモンゴル人やテュルク系遊牧民のいた地域、または民族名で間違いないでしょう。しかしあるなしの話ではなく、それを含むさらに大きな文明があったという少し斜めの意見は見たことがなく、新しい視点です。
タルタリアは(今回の)世界で最初の本当の多民族大国家だったかもしれません。どこかを中心にした連邦制のような、でもスワルーも話しているようによくあるアメリカのタルタリア様式のようなものが出回っている写真で正しいなら、その建築様式から見るに、モンゴル系には見えない、中央アジア系の民族だったのか、イスラム感もないので推測すら難しいですね。しかもヒマラヤまでってことはインドやチベットのスピリチュアル性も共存していた可能性も高いですし。

一応ですが、タルタリアとマッドフラッドは同一視していません、スワルーが少なくとも巨人ではないといっていましたが、他について言及したことはないので、それらを混同するとより嘘くさくなるため避けました。

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だが究極の陰謀なので上の話を支持できる方のみ推奨

上の記事で以前スワルーは、地球の実際の歴史は600年ほどしかなく、モンゴル人は今の場所ににいなかった、連れてこられただけと言っていて、チンギスハンごと居ないことになるのかはさておき、これでロシア自体も嘘だとするならば、世界史の中で、度々東から西ヨーロッパまで攻めてくる謎の勢力の正体がモンゴルだけでなくタルタリアに関連するとすれば、全然あり得ます。
元寇はあったかもしれないが、日本とはそれ以降近世までまったくコンタクトがなかったようで、その辺も非常に謎だし、そもそも研究者が調べても、朝鮮自体の歴史もかなり怪しく、元が満州から降りてきた蛮族と言われていて、そういったルーツで彼らも遊牧民・騎馬民族だったのかもしれません。現在のモンゴル人もあまりにも人口が少なすぎるし、モンゴルは国としては早い段階で一度ほとんど滅んだ可能性も高いですね。



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