生涯苦手な父親との寿司の思い出
もう40歳手前になるのだが、いまでも親父が怖いし苦手だ。
私の息子が小さい頃、「パパ遊んで」なんて言うものだから、何か楽しませてやろうと色々考えたんだけど、あまりに思いつかなすぎて先輩に相談した。
「子供と遊ぶなんて、自分の親父にしてもらった事、そのままやるだけなんだから簡単なものだろ?」
んんん・・・。
やっぱり、よく分からない。遊んでもらった記憶が無いのだ。
とにかく、よく怒られた。簡単な事で、すぐに怒られた。
何か褒められた記憶も無い。
怒られて辛くて泣くと、その泣き声が気に入らないようで余計に怒るもんだから、追い討ちをかけられるように泣かされて辛かった。
辛い時に、なぐさめてもらったり、ハグしてもらった記憶も一切無いので、自分の子供との接し方に難渋した。
私の息子が泣くと、私が余計にヒートアップして怒るものだから、見かねた私の母が、「あんた、父さんと同じ怒り方してるよ。子供の叱り方も一緒。」
「母さん、俺って父さんと何して遊んでた?」
「一緒に、遊んでいるとこ見た事ないね。あの人、そういう人だから。」
やっぱりそうか。
冷静になって考えてみると、3交代勤務で、私が起きる前には仕事に行き、私が学校から帰った時には夜勤に備えて寝ていた。物理的なすれ違い生活も要因だと気づくのは大きくなってからだった。
たまたま、noteのページを開いていると
「元気をもらったあの食事」といった題が目に入った。
自分の中で、一番思い出に残った食事は何だろう?
その時に、若い頃の親父がバーーーンと頭の中に戻ってきた。
私の10歳の誕生日
「大きくなったなー。記念すべき10歳の誕生日には何でも好きな物を食べさせてやる。何でもだ」
「テレビでやってた、マグロのトロの寿司が食べてみたい」
「分かった」
家族で少し高い料理屋さんに連れて行ってもらって、親父が
「この子に、マグロのトロの寿司をたくさん食べさせてやって」
料理屋さんは、「うち、そんな上等なマグロ入れていないから、あるにはあるけどすごい値段になるよ。それでもいい?」
寿司桶いっぱいに、上マグロの握り寿司がやってきた。
本当に、マグロだけ。
旨かった。本当に旨かった。お腹がはじける寸前までマグロを堪能した。
たかが10歳で。
会計も、凄かった。皆の合わせた食事代と、私のお寿司の値段がトントンだった。
でも、この事を思い出すと、30年前なのに、まだ口の中に味を覚えている。
「旨い、旨い! 父さんありがとう」
「たくさん食べて、大きくなれよ。誕生日おめでとう!」
帰りの駐車場まで、手を繋いだ事と、親父の笑顔も覚えている。
ああ、私は親父に愛されていたんだ。
何か、遊んでくれた記憶も無いけど、時々に奮発して特別美味しいものを食べさせてもらった。
それが、私の親父の子供の接し方、愛し方なのだろう。
当時の親父の年齢ほどになり、家族・子供に「衣」「食」「住」の心配をさせずに生活を維持すること、そのためには、しっかり働かなきゃいけない事。奮発した食事をご馳走するには、もっと稼がないと。私のため、家族のために朝・夜かかわらず働いてくれた事、勤め上げた事。本当に大変だわ。
親父の事は、今でも苦手だけど、もっと感謝を伝えておかなければいけないね。
ありがとう。
私は、息子の中に「遊んでくれた父親像」を少しでも記憶に残そうと思っている。親父へのささやかな抵抗だ。
最近は、残業が続き、家族との時間も少なくなる。些細な言い合いで、息子とも溝ができる。男同士ってこんなものなのかな?
今日は、たまたま4月1日。
今日から新年度開始。仕切り直しで、しっかり働いて、稼いで、旨いもの食べるぞー!
みんなで特別旨い物を食べた記憶は、30年先も、その先も残る!
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