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月が見ていた(ショートストーリー)

行きつけのバーは今日も賑わっていた。
俺はカウンターの隅で1人静かに飲む。
半年ほど生活を共にしていた人と別れたばかりで時間をもてあまし、毎晩のようにこの店に通っていた。

「次はどうなさいますか?」
バーテンが声をかけてきた。
「あぁ。酔えればなんでもいいよ」
そう言うと、バーテンはグラスを拭く手を止め、じっと俺を見た後、口を開いた。

「あの…この間からあなたを見てきて、どうも何かを忘れたいのに忘れられない、そんな悩みを抱えているのではないかと思っていました」

「うん。まあ当たってるかも」
「どうでしょう?当店秘伝のオリジナルカクテルを飲みませんか?」
「オリジナルカクテル?」
「えぇ。これを飲むと、現状を変えるヒントとなる夢が見られると言われています。ただし」
バーテンはもったいぶって、しばし沈黙する。
「夢が見られなかった時は、現状打破は難しい。却って絶望の淵に立たされるかもしれません」
「飲むよ」
俺は即答した。
「少々お待ちください」
バーテンが準備を始めるのをぼんやりと眺める。

別に現状を打破したいわけじゃない。なんでもいいから飲みたいんだ。喉が乾いているだけだ。
苦しい言い訳をしながら待つ。

「お待たせいたしました。こちらです」
バーテンが、すっ、とカウンターにグラスを滑らせ、俺の前に一杯のカクテルを差し出す。
やけにピンク色で、やけにシュワシュワ泡立っている。

バーテンは微笑みながら俺を見る。
俺は、一気にカクテルを飲み干した。

◆◆◆

息苦しさに目が覚めた。
視界は真っ白。
それもそのはず、俺はレースのカバーをかけたフワフワのクッションを顔に押し当てられていた。

「おいっ」
俺はクッションをつかみ、思い切りはねのけた。反動で体がトランポリンの上にいるように揺れる。俺は体が沈みこむほど柔らかなベッドに横たわっていた。
「あ、起きた」
腰まで伸びた真っ青の髪の毛に、透き通るほど白い顔色の女の子がクッションを両手に持って笑っていた。ふかふかのベッドの上で膝立ちをして、上手くバランスを保っている。

「お前、誰だよ」
言いながらクッションをつかんで引き寄せる。女の子はあっけないくらい簡単にこちらに倒れてきた。その体を腕に抱き止めてぎょっとする。髪の毛に隠れて分からなかったが、彼女は何も身に付けていなかった。

「ちょっと待て…なんでそんな格好で」
言いかけた時、部屋のドアが開き、腰まである真っ赤な髪の毛を揺らしながら女の子が入ってきた。青髪の子とそっくりな顔立ちをしている。いや、彼女の方がどこか幼く見えるな。彼女もまた全裸だった。

「あ~っ」
赤髪の子は、俺と青髪の子が抱き合っているのを見て、大声を上げる。
「ずる~い、もう2人でいちゃついてる~」
「は!?」
俺はあわてて青髪の子の体を自分から離す。
「だってあんたが途中でどっか行っちゃうから~」
青髪の子が言い返す。
「なによ~。彼はあたしのものなのに」
赤髪の子はそう言ってベッドに飛び乗った。
「違うよ。あたしたちのものでしょ」

「いや待て待て!俺はお前らのものじゃないから!」
「え?だって、いつもあたしたちのことを気にかけてくれるじゃない」
赤髪の子が言う。
「は?知らないよ。大体お前たちは何者なんだよ」
「あたしたちはあなたの恋人よ」
「忘れたの?」
「あたしはカコ」
赤髪が言う。
「あたしはミライ」
と青髪も続く。

「お前ら双子?」
「ううん、違う。似てるかな?私たちは親友。本当はもう1人いたの。けど、いなくなっちゃった」
「あなたは、そのいなくなった子の事を一番愛していた」
赤髪のカコが俺の右の頬にキスしながらそう言った。
「そう、あなたは私のこともカコのことも本当はどうでも良かった」
青髪のミライは左の頬にキスをして言う。

俺は2人の顔をしみじみと眺めた。
どこかで見たことがある顔だ。俺が悩んだり、苦しんだりしてきた時、2人とどこかで会っていた気がする。

でも、思い出せない。

考え込んでいると、カコがそっと俺の肩に手を触れて言った。

「ねぇ、お願いがあるの。あたしたちのこと、抱き締めて」

俺は左右にいるカコとミライを両手でギュッと抱き締める。2人はぴったりとくっついて俺の腕の中にすっぽりとおさまった。「くすぐった~い」と言い合いながらクスクス笑っている。2人とも同じくらい可愛らしくて、やっぱりちょっと懐かしい顔をしていた。

「ねぇ、あたしの事嫌いにならないでね」
カコが言った。
「あたしはいつもあなたを見ていたよ。あなたの涙も笑顔もみんな知ってる。あなたが誰よりも優しい人だって知ってるよ。ねぇ…今まで築き上げてきたものを否定しないで。過去の出会いや思いが、これからのあなたを作るんだってことを忘れないで」
カコは俺に口づける。彼女の舌は、何故かほろ苦い香りがした。

「あたしの事も好きでいてね」
ミライも負けじと言う。
「あなた本当はあたしの事を嫌いだよね。あたしに会いたくないって思ってたこともあった。そんなことくらい分かってる。でも、あたしはいつもあなたを愛してるよ。だってあなたが日々を懸命に生きているから。だから私は腕を広げてあなたを待っている。それを忘れないでね」
ミライはじっと俺の目を見つめる。
「私の事大切にできる?」
「…ああ」
「良かった!約束だからね」
ミライも俺にキスをする。
「じゃああなたも服を脱いで」
カコとミライが俺のシャツのボタンを交互に外し出す。楽しそうに。

「あれ?ねぇ待って、俺が一番愛してたって言ってた子はどこに行ったの?」
「気になるの?」
「大好きだもんね、イマのこと」
「その子の髪の毛は何色なの?」
俺が何気なく聞くと、カコとミライは顔を見合わせた。
「やだ、本当にあの子のこと、忘れちゃったの?」
カコが言うと、ミライも続けて
「ちょっとクセ毛の黒髪ショートで、目がクリッとしてて 、左目の縁に泣きぼくろがあって…」
と説明を始める。
「ああ…分かった」
あいつだ。
「その子は…戻ってくるのかな?」
「それは、あなた次第じゃない?」
「うん、あの子は本当はどこにも行っていないもの」
「そう、あなたの心があの子を遠ざけているだけ」

「あの子ともう一度やり直すなら、あたしたちともしっかり向き合わないとダメ」
ミライが言う。
「そうよ」
「分かったよ」
そう言うとカコとミライはニッコリと笑って…

◆◆◆

「大丈夫ですか?」
「うん…本当に夢を見たよ」
カウンターに突っ伏してた俺はそろそろと顔をあげる。強ばった背中が少し痛い。
「どうでした?何か、現状を変えるヒントが夢に出てきましたか?」
バーテンは相変わらずグラスを拭きながら俺に問う。こいつはずっとグラスを拭き続けていたのかな。
「う~ん、出てきたような、出てないような」
「そうですか…その夢が、あなたのこれからの役に立ちますように」

◆◆◆

店を出ると、もう明け方だった。
俺はあくびをしてから肩をすくめて歩き出す。
何気なく空を見ると、まだうっすらと月が出ていた。

あいつという執着を捨て去って終わったつもりだったけど、俺はこれからどこにいけばいいのか。
いつもいつも、刹那的な生き方しか出来なかった。今さえ楽しければそれで良かった。
でも、これからは。
…どうするんだろうな、俺は。


薄れかけた月に向かって左手をかざす。眩しい。何故か目に見える一切がまばゆくて美しい。

あいつにまた会って、やり直そう、将来を見据えて生きていこうって言う。口で言うのは簡単だ。俺はちゃんと実行を伴えるだろうか。過去に抱いた気持ちを否定せず、未来の腕の中に無心で飛び込めるくらい、強く生きられるだろうか。
自分の気持ちに確信が持てるほどの何かを見つけたい。でもそれは、どこにいけば見つかるのか。

きらきらと光が放ち始めた空に、かざした俺の手は透けそうなほど頼りなかった。

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