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大学とは何をする場所なのかー入学して3年目、大学に来た意味を考えるー

湿った空気のにおいと、温かい風。ふと、大学の入学式を思い出す。そして、もう3年生か、高校だったら最終学年だと時の流れる速さを感じる。さて、残す2年間。私はどうすごしたいのか、ここでなにをしたいのか、を改めて考えてみることにする。

なぜ大学に来たのか、この学部にしたのか、これから受験する人も考えたことはあるだろうか。自身を持って言えるだろうか。

ただ4年間を送っているもったいない学生がたくさんいるからこそ伝えたい。(私がそうだから。)

ただ好きな体育・スポーツを学びたかった

私は現在、体育学部に所属しているが、その理由は”スポーツが好きだから”。せっかく大学に行くのだから好きな物を学びたいと思っていた。当時、将来の夢や社会で何をしたいかなんてわかっていなかったから、行けば何かしら見つかるだろうと思っていた。(今思うと考えが甘い)。

「やりたいことをするための方法=大学で学べる」は間違いだった

これは、私に限ったことかもしれないが、やりたいことが見えてきた今、この学部にいる意味がわからなくなってしまった。

勿論、やりたいことはスポーツに関することであるが、実際それをやろうと考えたときに、体育学部では、「ビジネス」「プログラミング」を学べないことに気づいたからだ。

つまり、実用的なこと、卒業後社会に出て自分でできることがないことに気づいてしまった。いわゆる「スキル」である。いくら、体育の歴史や筋肉の動かし方、健康問題についての知識を覚えたところで、”思い”にはつながるが、ただの理想論で終わってしまう。

大学のテストはなんのアウトプットにもならない

大学の講義で出た単語を試験のために丸暗記したところで、自分のものになっていない。せっかく授業に出た時間が水の泡となる。誰が、暗記テストを受ける(なんなら試験前だけに必死に覚える)ことで、その後に役立つのだろうか。

その分野に興味をもつきっかけ、先生を知るきっかけにはなるかもしれないが、社会に出て役立つとは思えない。

好成績をとることが「優秀な人」なのか

毎授業かかさず出て出席点を稼ぎ、試験勉強に命を捧げ、「A」の数にこだわる人がいる(もちろん、私のことであるが)。これは果たして、優秀な人であろうか。成績なんて、大学の先生がテストの点数だけでつけたものでしかない。

かつては、成績にこだわり、「B」が付くだけで一喜一憂していたが、なぜ他人が付けた評価にこんなにこだわっているのかと謎になった。

単位を取るため=卒業するため=大卒というブランドが欲しいために学校へ行く

今考えると、好成績は社会に認めてもらえるから、就活に役立ちそうだから、という他人からの評価ばかり気にしていた自分に気づく。

そもそも大学にきた理由は、社会に出れる大人になるためであるはずなのに、その目的と手段が間違っていた。まあ、幸い好きな分野であるから、授業内で興味が湧くことを見つけることはできたが。ほとんどの学生は肩書きが欲しいでだけであろうから、出席点のない授業には出ない、出たとしてもスマホか寝る、という極めて無駄な時間を過ごしている。(代行を頼むなんて普通。)

単位をとるため、いい成績をとるために授業を受けるよりも、自分の興味ある授業を受けた方が、断然頭に入る。たしかに、これが将来に直接使えるといったら違うが、「思い」を育むことに繋がるから。

私の大学は恵まれたことに総合大学であるから、3年生の春からは、体育の授業は単位がもらえる程度に出席をし、「経営」と「情報」と「デザイン」の授業に出ることを心して決めている。勿論、やりたいことに繋がりそうな体育の授業には出るつもり。

そもそもやりたいことがない学生が多いのに、それを見つけられる環境ではないし、学生も見つけようとしていない

これは、2年間で気づいてしまったこと。

大学は、やりたいことを見つけられる環境ではない。ただ授業を(単位取得のために)受け、先生が一方的に話ているのを座って聞いているだけ。これでやりたいことが見つかる方が稀である。

学生が自ら、授業外に調べたり、クラブ活動やボランティアに参加するなら気づきを得られる。が、こんなことをしている学生は少数。クラブ活動に関しては(ここでは部活とする)、それだけに夢中になり学問がおざなりな人もいるが。

つまり、「将来を考えるきっかけ」がないのである。

就活によって将来を考えさせられる、意味のない自己分析

就活。これはほとんどの人が直面することであろうが、私達はこれを目の当たりにして初めて「将来なにするか」「やりたいことはなにか」を考え始める。

そして、それらがわからないと”自己分析”が始まるのだ。私にはこれが謎である。なぜ就活のために自己分析をするのか、今まで将来のことを考えようともしなかった学生が、自分を理解したところでやりたいことが見つかるのか。

そもそも、受動的にやる自己分析なんて何にも役に立たない。自己分析をやらされている時点で、もう遅いのだ。

しかし、これは社会という環境が作っていると考える。やりたいことをするために、自分を理解している上で大学にきている人がどれほどいるのだろうか。周りが行くから、親に言われたから、いいとこに就職したいからという理由がほとんど。

つまり、大学を選んでいる高校2年生から、私達は間違っていたのである。

では、今から挽回するにはどうしたらいいのか。

大学という環境を利用する

大学には「教授」「友達」という素晴らしい資源が存在する。

教授はある1つの分野を徹底的に研究している逸材であるし、なんといってもネットワークがすごい(私自身も、教授パワーで留学が決まった)。授業を聞いていて、少しでも興味をもったら即研究室に訪問するのがいい。

友達に関しては、将来のことを一緒に考えられる素晴らしい存在である。例え今はそういう話ができなくても、卒業後話せる相手にもなる。同じ大学ということは、そこそこ価値観は似ている。たわいのない話でも、熱く語れるのが友達。

学生というブランドを活用して、社会人と絡む

不思議なことに、学生であると不審に思われることがなく信頼される。どんどん社会人のいる場に飛び込み、何でもいいから話してみるといい。

学生より経験値があるだけあってどんな話も刺激的になる。

「やりたいことが見つからない」という話題でも十分いい。学生に対しては親身になってなんでも話してくれるはず。

帰り際に、TwitterかFacebookをフォローしておけば、これで1つのコネクションが生まれる。

他大学の人と絡む、異分野の人だとGOOD

自分と環境が異なり、かつ同年代の人から話を聞くことは、最大の刺激になる。これは日々実感しているし、やる気に繋がる。

わからないことは助け合える関係にもなるし、普段は知れない情報を得られることだってできる。

学生団体とか都内の方で集まったりしているので、それに参加するのが1つのやり方。ここで、都内に行くのがめんどい、行けない地方の人におすすめなのがオンライン。

今の時期(コロナ流行)だから気づけたとも言えるが、オンラインで何人もの人と自宅で話し、気づきが得れるのだから、こんなに効率のいい方法はないと思う。

しかし、いきなり見知らぬ人とTwitter等から繋がるのは厳しいかもしれないので、何かの団体やコミュニティに入ることを勧める。

そうすれば、会ったことがなくても同じ団体だったら相手もオンラインで話してくれるだろう。「○○をテーマに話しませんか」「○○について情報共有しませんか」とグループラインやスラックがあるなら、ばんばん聞く。(実際この方法で、かなりの気づきを得れた。一番の驚きは、話した相手が春から起業する学生で、あまりにもやりたいことや思いが似ていたのでスピード入社することに笑)

最後に

もしこの文章を読んでいるあなたが、高校生や浪人生であるなら、今一度大学に行く意味を考えてみてほしい。お金を払って4年間を過ごすわけだから、慎重に考えてみてほしい。国公立だから、早慶MARCHだからという理由が一番に思いついたなら、それは危険信号。

次に大学生。今からでも挽回できる。わたしがそうだから、もしこの思いに共感してくれるのなら、一緒に頑張っていこ。

大学に行くのは手段にすぎない

こんなに長々と語ってしまったが、伝えたいことはこれだけ。

大学に行って満足することだけはやめるように(これは入学当時のわたし)。

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