noteを始める

少し照れながら書き始めています。
三日坊主で終わるかもしれないという恐怖が横たわっている、、
というか終わる。

改めてみてもユーザー名が酷い。
とても25歳社会人男性が思いつくような名前ではない。
でもこれぐらいの軽さがポップな感じを出しつつアイロニーな雰囲気を出していて(自分に酔っています)、今の私の気分に合っているのです。

ああ、きっと自分のnoteを見返すうちに、いつか羞恥心を感じることでしょう。
そしてもしこのnoteが誰かの目に止まったら、共感性羞恥を感じさせてしまうことでしょう。でもいいんです、三日坊主で終わるんだから。

ではそれを承知でなぜ始めるのでしょうか。
先ほどお風呂に入っていた時に、非常に私の独り言がやかましく、お風呂場に空虚にも響き渡っておりました。一緒に暮らす両親もさぞ心配したでしょう。
私はその空虚に空回る独り言を聞き、とてももったいなく感じてしまったのです。

私は人前で素を出すことがかなり苦手です。私が完全に素を出せるのは数少ない大学の友人と、2ヶ月前に振られた元カノぐらいでしょう。
私は他人じゃないので他人がどこまで素を出しているのか分かりませんが、少なくとも自覚できるぐらいには素を全くと言っていいほど出せていないのです。
特に社会(会社)では完全に猫をかぶっています。30匹ぐらいいます。
「なぜ私は猫をかぶるのか」に対して明確な答えを持ち合わせておりませんが、恐らく素を出して嫌われるのが怖いというありきたりなものでしょう。そんな私なので人前では常に緊張しています。その緊張にとある最悪の要素が加わり、私はコミュ障になってしまうのです。それも私の生涯の悩みであり一番の特徴でもある「滑舌の悪さ」です。滑舌の悪さといえば「どもり」「吃音」「噛む」「発音が悪い」等色々なタイプがありますが、私は全てを持ち合わせており、社会では円滑に会話をすることが珍しいぐらいです。たまに先輩や店員さんから数奇な目で見られることもありますが、決して怪しい者ではございません。滑舌が悪いだけなのです。ありし日のレジ打ちのバイトをしていた時は、お爺ちゃんから「お兄ちゃん日本人?」と言われるくらいには酷いです。すごいですよね。数十年日本語を使い続けた歴戦の日本語ネイティブに日本語かどうか怪しまれるのですから。当時はあの爺ちゃんの耳が遠かったんだと自分に言い聞かせて正気を保ちました。
話がずれましたが、私が滑舌が悪く、特に緊張している時は酷いです。
では逆に緊張していなければ滑舌がいいのかというと不思議とそうではないのです。大学の友人や元カノと話している時は、むしろ話したいことや伝えたいことがありすぎて、めちゃくちゃ早口&かみかみ&吃りまくりのえらいことになります。
そうです、私は全ての環境において滑舌が悪いのです。

そんな僕がお風呂場での我が独り言を聞いた時に、ある違和感を感じました。それは、「めちゃくちゃ流暢に喋っている!」という驚きでした。おかしいですよね。英語を話す自分にそう驚くなら理解できますが、ネイティブである自分の日本語を自分で聞いて驚くって、、自身が可愛くて仕方ありません。

とにかく、”その流暢に喋っている日本語=自分がリラックスした状態で無意識に発していた思い”が空回るのはあまりにも勿体無いと感じたのです。だからそれに似た感覚をnoteで綴って誰かが見てくれたらなと思いました。ええ?でもnoteに書くのは文字であって、喋っているわけではないから違うんじゃないかって?
細かいことはいいんです。今なるべく本心で書こうと努力しているのです。自分が出てきた言葉をそのまま書き起こすようにしています。なので話があっちこっちに散乱しております(私がちゃんと考えて書いたところで散らかるのは目に見えていますが)。この本心を誰かが見てくれたら報われるだろうと思います。少し恥ずかしいですが。

こんな感じでたまにnoteを書いていこうと思います。
多分私も誰かのnoteを見たりフォローしたりしないと見てくれたいんだろうけど、それはまた明日にしようと思います。十八番の先延ばしですね。
今日はもう寝ます。

おやすみなさい。



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