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野球が好きなのにサッカーを習っていた私 【前編・幼稚園〜小学校】

 好きなこと以外に対する集中力がないし、時間にルーズだし、私、ADHDかもしれない…
 って嘘つけーい。お前、6歳から8歳にかけて野球が好きなのにサッカー習ってただろ!ほんとにADHDだったら耐えられないだろうよ笑 ただ、怠け者でいい加減なだけでADHDは名乗れない。

 幼稚園の年長のとき、いつも遊んでる友だちがみんな園庭でやっているサッカークラブに入ったので、その曜日は遊べなくなってしまった。自分は運動神経が鈍いと、この時点で自認していたし、それに野球が好きだった。
 でも、ある日幼稚園で、友だち数人から、サッカークラブに入ってよ!と勧誘を受けた。その子たちは皆、運動神経が良い子ばかり。全く通用しないのはわかっていた。でも誘われて、「うん」と言ってしまった。
 参加初日に、コーチから紹介された。その瞬間大勢から「わー」と歓迎された。その時の気分の高揚はよく覚えている。

 週に2日の練習。水曜と土曜だった気がする。行くのが嫌だった記憶はない。行く前にかならずファイブミニを買ってもらうのだが、美味しくて楽しみだった。ただ、練習中、ずっと庭にある時計を見ていた笑 早く終わらないかなと思っていたわけだ。水曜はドラゴンボールの日だから、帰って見るのがとにかく楽しみ。ミニゲーム風の練習も、下手なのわかってるからボールに触りにいかない。ただボールの動きに合わせて走っているだけ。
 他チームとの合同合宿のとき、PK合戦が催された。
 いの一番でうちのチームのTくんが蹴った。すごいシュート。「左であれかよ・・」とあたりがざわついた。左利きなんだから、別になんていうことはないのだが、そこは低学年の感想だ。うちのチームは何となく誇らしい。
 私の番。どうせ成功しないのはわかりきってるけど、恥はかきたくない。緊張して蹴ったらスカっ‥。あたりには失笑が。同じユニフォーム着てるみんなの顔は見れない。攻守交代でキーパー。運良くボールが枠外で事なきを得た。どうやら下手くそ同士のマッチアップだったわけだ。
 うちのチームは結構強くて、大会でも毎年優勝した。子どもだから、大会の規模はわからないんだけど、勝ち上がると「コマザワ」に行けるんだとコーチに教わっていた。全国大会が駒沢競技場で行われるという意味だろう。よくわかってなかったから、成長して駒沢大学の存在を知ったとき、コマザワってこれ?って当時のことを思いだした。
 ただ、コマザワへの道は遠くて、一つ上のカテゴリーの大会に進むと、全く通用しないのだ。
 小学1年のとき、リーグ戦0勝2敗で敗退。上手い子はフル出場して、下手な子は交代交代で出場する。私も片方の試合の半分出場した。そこでたまたま蹴ったボールが前線のS君へのスルーパスとなってあわや得点という好機を演出した。厳しい戦局が続いていて、あんまりいいところのない状況だったから、私が適当に蹴っただけのスルーパスがチームメイトに過剰にもてはやされた。
 褒められるのは嬉しい。だけど、たまたまなのは自覚してるし、普段からなんにもしてないから、一切調子に乗らなかった。このへんの世渡りの感覚はいつ学んだんでしょうね笑
 その後、ぽつぽつとクラブをやめる子が出始めた。下手な子が少しずつ姿を消していったように思う。僕を誘った友人たちは続けている。
 小学生になって、交友関係が変わってきた。クラスも複数あるし、他の幼稚園や保育所の子とも交わるし。毎日遊んでいた子と遊ばなくなっていた。
 その頃、Jリーグが開幕し、空前のサッカーブームが巻き起こっていた。地上波のゴールデンで試合が中継されていた。確か、水曜と土曜に試合があったと思う。サッカークラブの練習の合間の休憩時間に、「今日の試合観る?」という話が出て、多くの子が観ると答えていた。その中に紛れて、ボールに腰掛けて休憩していた私は、「巨人戦観るわ」と頭の中で思っていた。サッカーの試合を見ても、面白いと思えなかったのだ。

 その時が近づいていた。

今日のその時 小2の大会

 上位クラスの大会だ。泊りがけで来ている。3人部屋で、後輩二人と同部屋となった。後輩と同部屋は想定してなくて驚いた。この二人は、後輩で試合に出ている唯一の二人だ。日本語がおかしい。
 つまり、同年代では抜けて上手、運動神経抜群というわけだ。当然というか笑 そんな後輩とはそれまで全く話したことはない。しかし、この相部屋で仲良くなった。3人で宿泊施設内で鬼ごっこしたのを覚えている。そのうちの一人Oはとっぽい印象があったので、わりとガキっぽくて意外だった。もうひとりのTは小さくて、見た目通り子ども子どもしていた。
 合宿兼大会だったかもしれない、細かいことは覚えていない。何泊したかも覚えてない。便宜上、最終日というが、その日、試合が行われた。とにかく劣勢だ。気温も高くて、雰囲気は悪かった。
 劣勢なのに下手な僕の出る幕は無い。しゃしゃり出て失敗するほうが目も当てられない。そう思ってボールから離れていた。そういう態度で臨むと、相手陣内に位置することになる。ほとんど自陣でのプレーを余儀なくされていたから。
 その時!僕をサッカークラブに誘ったうちの一人、ダダくんが大きく蹴り出したボールが、明らかに私にめがけて飛んできた。
 ダダくんは、どちらかというと大人しいタイプ。住んでる自治体が違うので、小学校は別だ。このロングパスを蹴り上げたダダくんの姿が、僕の記憶に残る最後のダダくんの姿である。
 僕の位置は確実にオフサイドなのだが、当時、その概念がなかった気がする。この年代では取らないのかな?
 向かってくるボールがスローモーションになった。いつもの練習と同じく、時間がすぎるのを待って、チームの雰囲気が悪ければ気配を消して空気になって帰宅する。そうなるはずというかそうしたかったのに、そうならなかった。
 胸でトラップする。ボールが足元へ

 そのままシュートッッ!ゴーーール!大迫半端ないって、もぉーー!

 練習してねえのにそんなわけねえじゃん。
 ドリブルしようとしたが、ボールが足につかない。ほんの2、3歩進んだ時点で前方に2名敵がいた

こんな感じ
ファミコンのキャプテン翼

 あっという間に戻ってきた!そして、あっという間に取られた挙げ句、うちのチームは今まで自陣でディフェンスしてた連中が上がってきちゃってたもんだから、簡単にカウンターをくらい、ゴールネットの右上隅を揺らした。

ヒカルの碁読んでフラッシュバックしたよね
右上隅に突き刺さった

 キーパーは同部屋のちっちゃい後輩Tだ。彼が横っ飛びしてもかすりもせず、シュートが突き刺さったのを、前方で突っ立ている僕は呆然と見ていた。コントみたいにぴょーんと飛んだのよ。陽炎の向こうで。
 いったんプレイが止まってセンターサークルにボールが運ばれる。
 僕をサッカークラブに誘ったうちの一人、マオくん。
 「ふざけんなよ!」
 初めてそんなふうに言われた。
 年長の頃は、ほぼ毎日マオくんの家まで30分くらいかけて歩いて遊びに行ってた。子どもの足だからそのくらいかかかるけど、チャリで5分の距離だ。いつの間にか遊ばなくなってたけど。
 「それでもサッカークラブかよ!」
 これはいとこに言われた。いとこにそんなふうに言われたのも初めて。親戚だからお互いのことはよーく知ってる。こんな場面が訪れるとは。なんてことだ。
 サッカークラブかよ!ってなんだよ。「それでも、◯◯FCかよ!」とかならわかるよ、サッカークラブかよ!っておかしいじゃん。何も言い返せずにそう心のなかで思っていた。
 失敗してもいいから、適当でいいから、シュートでも打てばさ、格好はつけられたかもわからん。それすらできなかった。知ってた。そしてみんなも僕が何もやっていないことを知っている。

 試合が終わって、宿舎に戻り、帰り支度。このときは心底、同級生と同部屋でなくてよかったと思った。試合の前は鬼ごっこしていたのに、とてもそんな気分になれない。僕は一言も口を利かなかった。
 T「はぁ〜… 相手強かったなぁ‥」
 O「ああ。」
 空気は重かった。彼らは、私のことは何も言わなかった。

 帰宅してすぐ、母にサッカークラブを辞めると告げた。
 次の練習日、本来、車で家を出る時間に「本当に辞めるんだね?」と聞かれた。母は電話をかけた。ほんの短い時間の電話で、僕の退会が決まった。

 僕は7歳にして、周りに流されてはいけないということを学んだ。やりたいことをやる、やりたくないことはやらない。嫌なことは断る。7歳の僕よ、ADHDとか言ってスマン。

 サッカークラブから得たものは、その心構えだけだと思っていた。その時も、それからも、運動神経ゼロ芸人として生きてきた。逆上がりもずっとできなかったし。
 しかし、そうでもなかった。成長してから、ひょんなことからランニングに取り組んでみたところ、ある程度走り込んだら、同年代の平均以上に走れるようになった。むしろ割と上位で。これは、ゴールデンエイジにサッカークラブに所属していたからに違いない。人生に無駄なことなんて一つもない。

 サッカークラブのみんなは、次のステップとしてそれぞれの小学校のサッカー部に入部していった。僕の小学校にはサッカー部はあったが、野球部はない。少年野球も地域に存在していなかった。野球が好きなのにサッカークラブに入った私の人生。野球人生は始まらずに終わった。最近、職場でソフトボールしたんだけど、外野フライの距離感が分からなくて全く取れない。投げても中継までノーバウンドで届かない。この国でさ、軽い気持ちで野球を始められる環境がないって、どこの離島だよ。

 サッカークラブの連中で、そのサッカー人生が花開いた者。それは、最後に同部屋だった後輩のOとTだった!
 8年後、別の中学に進学した二人は、県大会の決勝で三度顔を合わせた。
 とっぽいOはFW。ちっこいTはDF
 初戦はTの勝利!
 次戦はOがオーバーヘッドを決めてリベンジ!
 最後の夏はTがOを完封して勝利!
 と、サッカー部の後輩に話を聞いた。あのときの二人が!と胸が高鳴った。
 Oは高校でもサッカーを続け、関東選抜まで行った。
 Tは高校ではなく、ユースでサッカーを続け、恐ろしいことにJ1でキャプテンマークをつけるまでの選手に成長した。ACLにも出場している。あの横っ飛びのTが、Jリーガー!ボランチだって笑 ホラン千秋なら知ってるけど。

 周りに流されない。あれ以来そう心に決めて生きてきた。
 でも、一度だけ流されてしまったことがある。
 「ねぇ、好きな人、誰?」好きな異性にそう聞かれたのだ。

 中編に続く

 

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