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東京100万円生活は真似できないし、悟りも開けない理由

前回のお題企画「#上京のはなし」の「貧乏になりたくて上京した」の続き

時間のある人は前回の記事から読んでください

時間が無い人のために、5千文字の記事を100文字で要約すると、

「計算上、東京で100万円あれば1年暮らせ、1年の半分働けばよく、1年の半分は自由な時間ができる。それを自分が試して、成功した。そしたら、お金や将来に対する不安がなくなり、悟りっぽいものが開けた。」


もし、僕が宗教の教祖的思考を持っていたり、安っぽいインフルエンサーやコンサル、フリーランスとかに憧れていたら、「みんな、この考え方で幸せになろう!」って言ってたかもしれない。小出しにして興味を引いて、有料記事に誘導することを考えたかもしれない。

でも、100万円生活は、そんな簡単な物じゃない。

また長い文章になるので、初めに答えを伝えておく。100万円生活のためには、以下のような能力が必要。

①欲望とお金に惑わされず、完璧にコントロールする
②誰に何を言われても気にしない
③目的に向かって常に考え、検証し、行動を修正していく

そもそもこんなことができる人は、貧乏にならないし、目指す理由もない。むしろ、お金持ちになったり、夢を実現するために、その能力を使ってほしい。


それでも、やってみたいし、出来ると思った人は、社会勉強が足りていない。
コロナ前に比べ、単純に物価が上がっている。支出は120万円くらいならいけると思うが、そうすると、今度は収入の税金や社会保険料が大きく上がって、手取りが減って厳しくなる。

やってやれないことはないと思うけど、QOLが下がりすぎて、ご飯を我慢したり、やりたいことをやれなかったら、何の意味もない。


・仕事が忙しくて、やりたいことができないなら、ホワイト企業に転職をする。
・収入が少なくて苦しいなら、家計簿をつけて、無駄を削る。

これくらいの事がすぐにできないなら、100万円生活は無理。
間違っても、仕事を辞めて、退路を断ってやろうなんて思わないでください。失敗します。


以下は、暇な人のための読み物です。



真似できない理由① 理系人間が実験として行っていた。


「貧乏になりたくて上京した」を読んだ人なら、ある違和感に気づいたかもしれない。

最初こそ、二十歳の夢とか言う言葉を使ったけど、全ては、社会課題解決に対する仮説と検証を繰り返しているだけ。

これだけの物語の中に人や自分の「気持ち」や「想い」が存在しない。

教育や貧困、ボランティアとか社会的な問題に興味があり、解決したいが、元々は根っからの理系である。
社会的な活動をしている人によくある、「想い」で動いているわけではなく、常に実験的思考で、仮説と検証を繰り返している。

実験だから、正確性や再現性が必要。
多くの人が、私生活で1円単位で収入と支出を把握し、記録し、パラメーターをいじる感覚で、収支をコントロールすることなんてできないと思う。

僕は、結果が分からない実験だから、結果を知りたいという好奇心で楽しくできた。

真似できない理由② 10年くらいの試行錯誤の期間が有った。


分かりやすい例を出す。


正社員なら、何年前にいくら位稼いでいたか、想像できるかもしれないが、住む場所も仕事も収支もバラバラなのに、5年前の収支なんて覚えているはずがない。
それが分かるのは、上のグラフのように、15年くらい毎年、年間を通した収支を集計し、検証・改善をしているから可能だった。

ここは削れるから、次から削ってみよう、の積み重ね

急に初めても、数か月くらいは頑張れるかもしれないが、あらゆる欲望に負けて、続かないと思う。

真似できない理由③ 元々貧乏になることが目標だった


20歳の時に「資本主義に縛られないで生きたい」と思ったのは、本当である。
その時に、同時に考えていたこともある。

「貧乏になってみたい」

僕の実家は金持ちではないが、地方の田舎町の中では、父親の収入は、暮らすのに困らないくらいはあった。

当時、貧乏になりたかった理由は
①やる気が出ないので、貧乏の苦しさを知ったら、働いたり、お金を稼ぐことに対して頑張れると思った。
②自分が貧乏になり、競争や才能によらないで、誰でも真似が出来る方法で貧乏を脱出して、それをマニュアル化すると、一つ社会問題が解決すると思った。

前回の記事を参照してもらうと、山奥生活で①は破綻が確定。
貧乏になったはずなのに、とても自由で楽しく、やりがいのある充実生活が送れていた。

②については、20代前半の僕は、結構、可能性を感じていた。
自分が貧乏になるなんて、こんなバカな方法を試した人はいないだろうと思っていた。誰もやってないなら、やってみる価値はある。

しかし、貧乏へのハードルがとにかく高い。まじめに数年間、貧乏になる方法を考えていたが、本当に思い浮かばなかった。日本は社会保障制度が完璧すぎる。

どうやったら、この国で貧乏になろうかと悩んでいたら、保育士の専門学校で社会福祉の科目で「セツルメント運動」というものが教科書に載っていた。

100年以上前に、もう実施されていた。そして、それが今の社会保障制度の基礎を作っていた。自分が無知なだけだった。

しかし、150年前に僕が生まれて、実践していたら、教科書に載っていたかもしれない。方向性は間違ってなかったけど、100年遅かった。

それでも、このネット社会の登場によって、可能性はあると思っている。
貧乏で苦しんでいる人が「自分にもできるかも」と思ってもらえる解決方法を示して、それがバズれば、少しは社会がよくなるかもしれない。

結局、100万円生活は真似できないと、自分の中で結論が出て、失敗した。


実は、このnoteもある試みの一つかもしれないけど、またそれは、別の話で。

とにかく、貧乏に対してポジティブに目標にしていた。


真似できない理由④ 悟りは人のまねをしても開けない


そもそも、悟りではないと思う。
しかし完全ではないが、下記のような状態に近づいた。
・お金や将来に不安や執着が無くなる
・自分の損得にとらわれず困っている人のために動けるようになる
・人と比べたり、人を羨ましがったりしなくなる
・死ぬことは怖くない(死の恐怖がないのは昔からだけど)

悟りは調べても意味がよく分からないが、イメージ的に近く、他の言葉で意味が近いものを知らないから、使った。

仏教やその修行を否定するわけではないけど、お釈迦様が誰かに修行のやり方を教えてもらって、それを実行して悟りを開けたなら、仏教の修行は悟りを開ける可能性がある。

しかし、お釈迦様が試行錯誤しながら、現在の方法にたどり着いたなら、たぶん、真似をしてもうまくいかない。
それは、これまでに何億人も挑戦して、本当に悟りが開けた人はごく少数で、確率で考えると限りなくゼロに近いはず。

それなら、悟りが存在しないか、方法論が間違っている可能性が高い。

悟りを開きたいとか、お金持ちになりたい以上に煩悩の塊だと思うんだけど、どうなんだろう。


そういえば、和歌山の山奥で暮らしているときに、お金が無くなってきたら、どこからともなく仕事が入ってくるような状態になったことが有る。
この状況、おもしれー、本当に全てを捨てて、何も持たずに旅に出たらどうなるんだろう、やってみたい。ってなったことが有った。
でも、お釈迦様とかキリストが2000年も前にやったことを繰り返しても意味がないと思った。


修行というみんなが通る道を進むのは、安心かもしれないけど、人のまねをしていても、先が読めたら面白くない。
死なない程度に、誰も通った事のない道を進んでいきたい。


#上京のはなし

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