貧乏になりたくて上京した
お題企画「#上京のはなし」のフィクションではなく、全て実体験。自己紹介の一部として書いていく。
20歳の時の夢「資本主義に縛られないで生きたい」を追いかけ、貧乏な暮らしをするために30代半ばで上京した。
5千文字近くあります。時間がある人は最初から、ない人は目次の「いざ東京へ」から読んでください。
貧乏になりたい
・20歳の夢
上京前、地元とは別のある山奥で暮らしていた。
コンビニまで車で30分以上、近所の人はみんな65歳以上、地域の小学校も全校児童が30人もいないような町だった。
そんな山奥の小さな集落で、子ども向けの自由な学校をゼロから設立、運営していた。今でも一緒に立ち上げた人が運営している。
山奥での学校設立も、東京での貧乏暮らしも同じ背景があった。
10代後半で株式投資にはまった。
高校生がボタン一つで何十万円のお金を動かし、毎日数万円の資産の変動も当たり前の生活。トータル負けているはずだが、悔しさもなくなり、いつの間にか、お金がただの数字になった。
そして、20歳のころには投資に飽き「資本主義に縛られない生き方をしてみたい」と考えるようになった。20歳くらいの時のSNSに残っているので、本当にそう考えていた。
・日本は豊かで幸せな国
日本は人類史上で一番、みんなが裕福で、安全で、自由で、平等な国だと思う。
それなのに、10代や20代の若者が、老後の心配をして、周りの目を気にして、やりたいことを我慢して、受験勉強をしたり、楽しくもない仕事をしている。
経済が発展して、豊かになれば、もっと自由で楽しい国になると信じて、未来の子どもたちのために、人々は頑張ってきたはずである。
しかし、僕も含め、1980年代以降の日本が豊かになった後に生まれてきた子どもたちは、未来に夢や希望よりも、不安を抱いて生きている。
何かがおかしい
そう感じつつも、仕事に追われ、時間は過ぎていく。そんなある時、途上国で一人旅をしていて、「子どものころから自由に、好きなことを本気でする経験が必要」と1つの仮説が浮かんだ。
・学校を作る
時は過ぎ、運命に導かれるように話が進み、山奥で自由な学校を作った。
自由に本気でやりたいことができる環境。山奥で出来るなら、全国どこでも誰でも出来るはず。ついでに日本一安い学校。そんな事がテーマの学校。
一定の成果は出たと思う。
でも、子どもが自主的に学校を選ぶことはできず、親の影響が大きい。
急がば回れ。子どもの自由のためには、大人が自由でなければならない。
・貧乏なのに充実
大人が自由になるためには、どうすれば良いか?
誰もが考えるのは、お金持ちになる事。
しかし、みんながお金が欲しくて頑張った結果が、現在である。
何かがおかしい。
一方で、お金のためになんて一切考えていない、山奥での学校生活時は、ほとんどフルタイムのボランティア。生活費は土日や夏休みなど、学校が休みの時に近くの温泉旅館でバイトするくらいで賄える。
収入的には、相対的貧困ラインのさらに半分程度。
しかし、実際の生活は、農業もして食費は安く、家賃もタダ同然。時間は自由、やりたいことをやって、子どもと遊び、体を動かして、自分で育てた野菜やご飯を食べ、毎日温泉生活。
貧乏なのに、充実している。やっぱり何かおかしい。
大企業の正社員や公務員も経験したことが有るけど、比較するまでもない。
頑張ってお金を稼げば稼ぐほど、幸せになるんじゃないのか?
みんなそのために、受験勉強や就活を頑張って、少しでも給料の高い会社に入ろうとしているんじゃないのか?
それでも、20歳のころの夢はいつの間にか、叶っていた。
明らかに、資本主義に縛られていない。
学校も波乱万丈有ったけど、落ち着いてきたので、次の事を考えるようになった。
東京で100万円生活がしたい
・お金よりも大切なもの
サラリーマンや公務員に無くて、山奥の暮らしにあるもの。
子どもに有って、大人に無いもの。
それは、自由な時間。
高校、大学時代は、お金は無くても、楽しく充実した生活をしていた人も多いと思う。
社会に出ると、お金を稼ぐために、時間を使い、ストレスを溜める。その失った時間を取り戻したり、ストレスを解消するために、お金を使う。
物も、時間も、体験も、お金を介すると、効率の悪いものになる。時間を使い、直接欲しいものを手に入れる事ができれば、とても効率の良い生き方ができる。
頭の中ではそう思っても、多くの人は山奥での農業生活をするのはハードルが高い。
特殊な環境でなくても、資本主義に縛られないで生きてみたくなる。
自分だけでなく、みんなにも出来るかたちで。
・東京の理由
どんなに素晴らしい学校も日本に10校くらいでは、ほとんどの小中学生は選択肢に入らない。小さくて良いから、中学校区に1つ以上、日本に数万校欲しい。だから、モデルとして山奥で小さな学校がよかった。
同様に、山奥で農業しながらたまにバイトして、好きなことをして生きていくのは、ほとんど人の選択肢には入らない。
日本全国どこでも誰でもできる必要がある。
そこで、東京が思い浮かぶ。
東京での区部で100万円で生活できれば、日本全国どこでも可能なはず。
・100万円生活の理由
語呂が良く、手取りを考えたら一番効率がいい。
時給1000円×週20時間か、月給17万円×6ヶ月でだいたい100万円。
人間、食べて寝れれば、生命は維持できる。生きるために毎月何十万円も必要ないはず。
色々計算すると、1年の半分働いて、100万円稼げは生きていける。
毎月、決まったお金をもらっていたら、何にいくら使うかの思考になる。
そうではなくて、支出から逆算して、必要なお金の分だけ働くことにする。
いざ、東京へ
・貧乏になるために、東京へ行く
計算上は、1年の半分だけ働けば、東京100万円生活は成り立つ。
でも、机上の空論では、自分も世の中も何も変わらない。
誰かが実証してくれる訳でもないので、自分でやるしかない。
住む場所は築浅の家具付き個室シェアハウスに決定。
友達からは、「治安大丈夫?」と言われる某区だが、駅が新しくでき、区画整理され綺麗になり、都内で一軒家が買える収入のある若い夫婦の移住も多く、夜中でも全く不安はない。
部屋から秋葉原駅まで30分もかからないので交通の便は割といい。
そして、本当に貧乏生活をするために、上京した。
・東京での仕事
仕事は東京でしかできないことをやってみようと、派遣会社に登録し、面談。
すぐに大手の土木系コンサル企業への派遣が決まる。簡単な図面を描いたり、専門ソフトで計算したり、報告書をまとめたりの補助作業。
東京でやってみたかった仕事。
それは、「満員電車で通勤し、スーツを着て大きなビルのオフィスでパソコンをカタカタやる仕事」
新卒で就職先を選ぶとき、田舎者なので、何よりも嫌だった「満員電車での通勤」がどれだけ嫌か、体験できるときに、体験してみよう。
山奥でクワで畑を耕して、斧で薪を割っていた1ヶ月後には東京の大きなビルで1日中パソコンとにらめっこ。
残業もあったので、2ヶ月働くだけで、前年の年収(60万円)を超えた。
一方、生活費は目標である月8万円に収まっている。
朝の10分間の満員電車が憂鬱なだけで、仕事自体は慣れれば、そんなに大変でもない。
たまたま、河川の堤防工事とかの案件の担当になった。住民目線で水害ボランティアに関わっていた身からすると、行政側の視点が知れて、すごく面白かった。
2ヶ月契約だったが、契約更新も可能。
仕事も面白いし、お金も貯まるし、特に辞める必要もない。
この会社を辞めても、色んな会社で働いてみたくなってきた。
しかし、東京へ来た目的は、貧乏生活。
きっちり2ヶ月の契約期間満了時に辞めた。
・有り余る時間の使い方
予想以上に簡単にお金が稼げたので、数ヶ月は働かないことに。
時間はあるので、図書館に行ったり、ランニングをしたり、スーパーを回って、お買い得品を探したり。
ゆっくり動画も作ってアップもしてみたけど、向いてないと思ったので、すぐ辞めた。
そして、実質無職なのに、婚活をはじめた。この時は、女医さんとか国家公務員さんとか、銀行員さんなどともメッセージのやり取りをし、実際に会った人もいたが、お付き合いまでいかなく、一旦、飽きる。
しかしこの時の活動が後の結婚につながっている。
・東京を一時離れることに
お金もなくなってきたので、仕事を探そうとしていた時に、ある地域で大雨で洪水被害が起こった。
前年、別の洪水の被災地へボランティアに1ヶ月以上行っており、たまたま、民間のボランティアセンターの立ち上げや運営を地域の人達とやっていた。
そのつながりもあり、被災地へ向かい、ボランティアセンターの立ち上げを手伝う事になる。
ここは仕方がないので、お金の事は後回しに。活動費のカンパや貯金とかも使いながら、1ヶ月半ほど現地に滞在。
東京に戻ると、お金が無い。
東京で仕事を探してもいいけど、別件もあり、ある地方のリゾートバイトで仕事を確保する。
・東京を離れる決断をする
数ヶ月働いて東京に帰ろうとしていると、コロナの足音が近づいてくる。
直感的にやばいと感じで、東京を離れることに決めた。
リゾートバイトが終わって、東京に戻って家を解約して、引っ越した。
もう数年、東京で色々と経験してみたかった。
保育士資格や学校経験を活かす、フリーランスのベビーシッターの派遣登録とかも済ませていた。
今思えば、コロナ禍の東京の非日常は経験として面白かったかもしれないが、当時の判断は間違ってはいなかったと思う。1か月遅れたら、東京から出られなかったかもしれない。
すぐに住む場所を変えられるのも、正社員をしていないメリットの1つ。
ふりかえり
・実質、100万円生活はできた
ここまでで、ちょうど上京して1年。
東京で家賃を払いながら、被災地へボランティアに行き、現地で宿代も払って、弁当生活だったので、支出は年100万円の目標はオーバーした。
リゾートバイトを含めた年収はちょうど100万円程度で、被災地に行かずに、東京で生活していたと仮定したら、100万円生活は達成できていた。
※最初の写真は、被災地のボランティアに行く前の半年間の集計である。積み立てを除けば、月8万円程度の出費。細かく言えば、引っ越し費用とタブレット購入費は、1年に直せば半分になる。
1か月以上のボランティアは、お金よりも、自由な時間が無ければできない。婚活も短期集中型で取り組んだ事が成果につながったと思っている。
1年の半分働いて、半分やりたいことをやる事も出来た。
・100万円生活で得られたもの
山奥で畑を耕さなくても、「東京でも1年の半分だけ働けば生きていける事」は実証できた。
引越し後の地方の町でも、週20時間労働バージョンの100万円生活も実践し、成功した。
山奥でも、東京でも、地方の町でもできたので、一応、日本全国どこでも可能だと思う。
この経験自体は単純に面白かった。
なにより、「年間100万円で生きていける」と言う根拠のある自信が付き、「これからの人生、どこで何をしても生きていける」と思えるようになった。
新卒のサラリーマン時代、大きな会社で働いているのに、自分が生きることで精一杯で、将来に漠然とした不安も有った。
そうすると、自分が損してまで困っている人を助けようとは思えないし、
面白そうだと言う理由だけで新しい事に挑戦できない。
昔は、お金持ちになったら、そういう悩みが消えるものだと思っていた。
でも違った。
定期的な収入を手放して、生きるために必要なお金を計算し、そのくらい、いつでも、どこでも、稼げると自信が持てたら、不安はなくなった。
人からごちゃごちゃ言われても、気にならない。
SNSを見て、人と比べたり、羨ましがる事も、卑下することもなくなった。
損得抜きで、困っている人がいたら、助けようと思える。
言ってみれば、現代版の「悟り」が開けたのかもしれない。
・良い話では終われない。
こんな生き方に興味を持った人がいるかもしれない。
今、低収入で苦しんでいる人の微かな希望になるかもしれない。
しかし、万が一「仕事を辞めて100万円生活をしよう」と思った人がいたら、とりあえず待ってほしい。
この、100万円生活には、大きな欠点がある。近々アップする予定。それを見てから、考えてほしい。
続きを書きました↓
気づけば5千文字を超えたので、「#上京のはなし」は、ここまでにしておく。
貴重な時間を使って、長文を読んでくれてありがとうございました。
少しでもよかったと思ったら、アマゾンギフト券が欲しいので、目立つためにスキやコメントをください。
長い文章はいくらでも書けますが、最後まで読む人もいるのかも気になります。何らかの反応をもらえると嬉しいです。
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