泥の中を進む。

5/1 父が亡くなった。

 正直、まだ実感があるようなないような、不思議な気分だ。だが、父がお金を残さなかったため、残された年老いた母の生活はかなり困難な物になってしまった。

 母には年金しかないのに、それ以上の家賃の家に住んでいる。引っ越しもすぐにはできないし、色々あり、生活保護も難しい。兄と俺のフォローだけでは生活できる資金には足りない。

 腹が立ったのは、遺族年金というのは、父のが減らされたのと母のが貰えると思いきや、どちらか多い分だけしかもらえないらしい。貯金が無いし働けない人間は死ねってことか? まあ、最終手段で生活保護があるにせよ、兄は反対しているし、今すぐできることではない。 

 それに、何十年も住んでいる場所から急に離れて知らない街で一人生活する母を思うと、胸が痛い。

 父が死んでから、仲が悪かった(俺の病気を嫌い、距離をおかれていた)兄とまめにラインをして、大量の事務処理、口座の変更やら多数の区役所、年金事務所の手続きやら返信やらの報告をしあった。母にも毎日電話をした。今もしている。

 多すぎる問題、これからの問題。兄がいなければ、俺は一人で出来なかったかもしれない。俺も色々やった。兄も俺を頼りにしてくれた。

 というか、忙しくて家庭持ちの兄に対して、無職の俺は平日に役所に行けるし、実家で母の話し相手やら食べ物を買って行ったりできた。

 母は、元気ではあるが、結構精神的に不安定と言うか弱気になっていた。父に頼って、従って生きる昭和の古い真面目な女だから。だから、手続きは全て父に任せていて、その分役所の処理は全て俺らがして、今の恐ろしい状況もあまり理解できていない。

 年金だけでは家賃に足りないのに、貯金がない。

 今の所兄と出し合ってどうにかしているが、それも長くは続かないだろう。

 それに、俺自身が今も無職のままなのだ。

 5月下旬、自己破産の免責が降りた。借金がなくなったということだ。でも、あと5年は借金ができない。そんな時に病気も治っておらず、父と母のことで仕事どころではなかった。

 でも、たまに日雇いをすれば、年下の奴に仕えない扱いされ何もかも嫌になり、何個も応募しても全然受からない。

 いい歳で仕事に仕えるスキルはなく、手帖もち病気もち。しかも、小説も書けなくなって2年になる。


 俺は40歳になる。もう、立派なおっさんだ。小説は書き続けていたが、評価されず、自分だけの大切な物になってしまった。それでも、よかったのに、働けずに何もかけずに、日雇いをたまにするという生活でまた躁鬱が酷くなってきている。

 ほぼ誰にも評価されず、家ではなにもできず寝て、仕事ではつかえない扱い。好きだった物への情熱も消え去った。病気もずっと治らない。

 自殺するには十分

 ギャンブルで自己破産をしたのに、ギャンブルで一発逆転するしかない、失敗したら自殺するか、と何度も頭をよぎっている(勿論「まだ」ギャンブルは何もしていない)。

 歳をとり、先が無いのは、辛いな。母の先も心配過ぎる。

 それでもおれは生きている。父が生きたかったはずの生命を。

 何もできず、鬱が酷く寝ているばかり、仕事も満足にできない。ここから抜け出したいのに、できない。応募した仕事は落ち続けている。

これからどうなるのか。母の生活の安定が一番の望みだが、それがすんだらもう、俺は疲れたから死にたい。そんなことを思いながらも死にきれずにいて、不安と共に過ごしている。

 やりたいこと、何も無くなってなにもしていない。

 でも、もし死ぬとしたら、その前にやることはまだある。

腐りかけの身体にむち打ち、動かす。こんな酷い文章も、見苦しいが描かないよりもましだ。

 大丈夫、ではない人生。でもまだ俺の人生は続いて行く。何かを変えなければいけない。耐えられるのかな、まだ、頑張れるのかな。分からないが俺は生きねばと未だ思えているのだ。

 たまに、漫画やらツイッターとかで知り合いになったひとから仕事を紹介してもらって、みたいなのをちらほら見る。

 いいな、と思いつつそれもその人の魅力やスキルがあるから繋がる縁だ。今のぬけがらの俺には無理な話。

 でも、働くことは、生きることは、楽しまないとやってられないものだ。

 楽しめる日が来るのかな、だれかと、俺も何かできるのかな。十代からそんなことを思って、できなくて。それが困難なことは承知している。でも、その微かな光を目指して、無様でも歩いて行くしかないのだ。

生活費、及び返済に充てます。生活を立て直そうと思っています。