父が亡くなったこと
誰かが亡くなる気持ちは近しい人しか分からないことが多く、それはまだ両親が存命な夫とさえも理解し合えないほどなので、あまり言わない。
ただ親が亡くなることは自分への影響があること。そして、命の終わり方を考えるきっかけになると思う。
どんなに構えてても心は普通ではいられない
甲状腺がんの手術をして退院した3日後、父が入院した。実際この3日後の夜に亡くなる。まるで私の手術を待ってるかのようだった。
余命宣告
父は10代、30代、40代と手術をしていて、予後が良くないこともあった。
病院への懸念も強く、合う医者を常に探していた。
そして、ようやく出会えた医者の初診で余命宣告をされた。それは亡くなる3ヶ月半前のこと。
そのタイミングで子供を集め、相続の話をされた。
分厚い人性整理帳
父は75歳になった時点で子供たちに人生整理帳を送ってきた。
それは父が10年くらいかけて書いてきたもので、内容が今とそぐわないものもあった。
「え、そこまで求めるの!?」と目を丸くしたのは「死に方」のところだった。
・尊厳死を希望してる
・救急車には乗らない
理解はできる。
だけど、見守る側としてシミュレーションすればするほど現実離れだった。
エンディングノートは書きたいことが書ける人生最後の作品。けれど、受け取る側のことも考えてほしい。人生最後の願いだから、そこに書きたいことを無秩序でもいいから書きたいのは分かる。
でもそれを受け取った方はそのエンディングノートに則って動くことをどうか忘れないでほしい。
自分で叶えられそうなことは初歩の部分でもいいからやる方が当人も満足するのではないかと思う。
万が一のことは頭の片隅にチラつきながらも、父は結果大した迷惑をかけずに亡くなった。それは、亡くなった後、母と答え合わせをした際に「そういった一大事がなくて良かったね」と話したほどだった。
葬儀なし
その人性整理帳には「葬儀はいらない」とも書かれていた。また身内で死後整理をした人が誰もいないことから、必要な手続きについて雑誌のコピーが添付されていた。
なので、亡くなった翌日からやることもなく、家族全員で役所に行き、手続きを始めた。
これは失敗だったと思う。
死の直後、近親者の気持ちは衝撃に弱い。
喪に服す時間が必要だったと思う。
また葬式というのは永遠の別れを噛みしめる儀式なんだとも思った。葬式の大事さを知った。
どんな親でも学ばせてもらえる機会
これをきっかけにエンディングノート、終末医療、訪問診療、看取りなどを勉強した。自分の甲状腺がんの病院選びの時と重なり夜な夜な本を読んだ。
そして、実際最も参考になったのは財産整理だと思う。父の財産はとても分かりやすく整理されていた。
父の病名が発覚した1ヶ月後に私は妊娠する。生命のバトンをこの時から感じていた。
人の生き方は死に方にも出るのだろうか。
父はとにかく入院を拒否した。
家でいつもの生活を送ることを選んだ。
最後の入院もわずか3日だった。
今、私の友達の親御さんが大変な時期で思うことがある。親御さんは10年前に難病にかかり、今肺炎を繰り返している。退院後、今までの老人ホームには戻れなさそうなため、24時間対応の施設を友達は探している。
人によってこんなに違いがあるのか、と思う。
どっちがいいとかの問題ではない。
自分はどう死のうか、死ねるのか。
やはりできることはやろうと思う。
日々の積み重ねや目の前のことに懸命になることが繋がっていくのだから。
仲良しとは程遠かったけど、どこが通じ合っていたお父さん。
いつも心配してくれてありがとう。
最後の写真を2人で撮ったのは秘密ね。
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