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42.寛容であれたなら

毎日戸別訪問を続けていると、本当に様々な宗教を信仰している方とお会いする。

多くの場合、その信仰が熱心であればあるほど、私の来訪を「来た来た」と言わんばかりの態度で、ここぞとばかりに天理教の批判をはじめたり、私がしていることにいちいち揚げ足をとりたがろうとする。

反対に、「暑い中ご苦労様」という言葉をかけてくれたり、話し合える余地があり、好意的な態度で接してくれる他宗教の方もいるけれど、そういう人に限って、どの宗教にも限らず信仰にあまり熱心ではないゆるい信者だったりするものだからなかなかにして皮肉なものだ。


信仰とは、一体何のためにあるのか。
否が応にも考えてしまうことだ。


ただ、信仰することそのものが“人生の目的”だとは思えない。
結局は、いくつかある選択肢の“手段”の一つに過ぎないのではないか。

人間としてより豊かな生き方を発見し、そこに自身を近づけていくために用いられる手段…それが信仰。

…少なくともいま現在の私はそういう思いを胸に抱いている。


年限を重ねて徳を積み、信心がやがて普遍的境地へと突き抜けるようになると、言葉や所作、態度に思想信条の垣根を越え他者の胸に深く感動を与えるだけの力を帯びていく。人の心の曇りを晴らし、そこにいるだけで誰かを癒したり、安らぎを届けてくれる存在へと変わっていく。

…もしも、そういった信仰者が至る成長の道程があったならば、(それはなにぶん飛躍的で過剰ではあるにせよ)理想とは言えやしないだろうか。


…と、そんな風につい夢想するものだから、信心深まるにつれ頭が高く独善的となり、多様性を排するような人間が育まれていくのであれば、そんな宗教の在り方は、まるっきり本末転倒な気がする。

異なる価値観を持つ人々(それは無宗教を主張する人をも含め)に対して不寛容な熱烈信者よりも、誰とでも気兼ねなくおつき合いすることのできる信心浅い人の方が、よっぽど豊かで人間らしい。


突き詰めれば、たとえ神を全く信じない人であったとしても、幸せになれる可能性はちゃんと十分に備わっていると思っている。

もしも仮に、あらゆる苦難がその身に降りかかってきたとしても、その人自身がそれに何ら振り回されることなく、「我が人生に悔いなし」と心の底から満足しているのであれば、いくら他人がそれをどうこう批判しようと、まぎれもなくその人は幸せである筈なのだ。


私は、天理教人の多くに、視野広く、寛容さを見失わないで欲しいとついつい願ってしまったり、期待を持ってしまう。

それは「このお道の信心は間違いない」という確信や信念と、
「お道を信心しない生き方は間違っている」というおごった考えとが同義であってなどほしくないと感じてしまうからなのかもしれない。

【2014.8】




おまけ

久しぶりにおぢばがえりしているピーナッツ。
KОG直前の受け入れ準備のひのきしんに帰って来ています。
夜でも、尋常じゃなく暑い💦

ちょうど本部の夕づとめに間に合い南礼拝場でおつとめをつとめると、終わってから高校・大学時代からの親友に数年(へたしたら十年?)ぶりくらいにばったり会って旧交をあたためます。
彼とは夏の学修・高校の部で一緒に十三峠越えを共にして以来からの付き合いで、その後一緒に大学の同じ学科にも進学しました。

うちの息子も今度夏の学修に参加するんだぜ~(・ω・)

なんてことを報告したり。
おたがいもうすっかりおっさんになってしまいましたね。

詰所にいると、数年ぶりにおぢばに来られたという、よその教会の初老の女性信者さんがロビーにいました。
話を伺うと、所属の会長さんから年祭期間中に修養科に行くことをすすめられ迷っているとのことでした。
色々な家庭内の事情で悩みを抱えておられるご様子で、それまではそれほど熱心に信心されていなかったわけですが、このところは藁にもすがる思いでお道に心を寄せているようでした。

こんな私だけど、どうしてもたすけてもらいたくって、この頃は朝夕家でおつとめを欠かさずするようにもなったんです…(^_^;)

へぇ、そうですか…(・ω・)。
あ、でもね、○○さん。
虫歯にたとえてお話ししますね。
家のお社の神様に向かって朝夕するおつとめ、これは“歯磨き”なんですね。これ以上悪くならないようにする日々のメンテナンスです。これは歯が健康であることが前提です。
だけど、虫歯は歯磨きだけじゃ治りません。家を出て、歯医者に行って治療しないと。だから〇〇さんも、積極的に治してもらいに出かけたり、通ったり、治療費をお支払いしたりしなきゃならないんです。
そして無事に治療が終わったら、再び虫歯にならないように今度からも朝夕歯磨きを怠らない日々へと、変わっていくことが必要なんです。


ケロッと何気なくお伝えしたことでしたが、〇〇さんはハッとした表情を浮かべていました。

願わくば、どうか彼女のご家庭の事情が無事におさまっていきますように。


ここまで読んでいただきありがとうございました‼
それではまた(^O^)!

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