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「創世記」6話〜炎の剣とケルビム〜

リーディングマスター・まさみちです。雑念の除去から深層心理のトラウマまで読み解く力で心理カウンセリングをしています。最近のオススメは「魂のプレゼンテーション」と題して、一世紀〜二十一世紀に及ぶ『魂の課題』を一世紀単位でまとめて読み取り、人生の羅針盤としてお伝えし、「今を生きる」ことに役立ててもらうことです。

https://youtu.be/jeMzGdF8JTQ

「創世記」にまつわる因果律を拾い出し、人々の奥に眠る、潜在的にある違和感の解消を目的として、読み解き直しています。

宇宙人の話題も出て来ますが、その宇宙人の人体実験の結果により「人類は言葉を話せるように到った」ものです。

しかしそれによって、宇宙「カルマ(行為・業)」というものを成立させてしまった為、壮大な宇宙規模のカルマの成り立ちと解決への道しるべとなる物語を閃き降ろして紹介していくものが現代版「創世記」です。

人体実験

知能を高める為、人体実験をするものの、最初のアダムは盲目で生まれつつも、言葉が話せる知能を有するものとして成功しました。しかし、実験の負荷が大きく、また宇宙のカルマの負荷ものし掛かり、衰弱から回復しませんでした。真心を開く純粋性を引き出すことが出来ず、否定的想念に閉じ込められてしまい、真実の愛を知ること無く育てられた為、若く死に到りました。

このアダムの真心にある純粋性のこと「根源の愛」をエデンと指します。エデンの園からの追放とは、アダムは作られた存在であり、宇宙人の仲間でもなく「孤独」の中に閉じ込められたからです。イヴはアダムが8歳の時に生まれたものの、イヴの存在を知らされませんでした。イヴの誕生を知り、触れる機会があればここまで心を閉ざすことはなかったものの、15歳に育つまでの7年間をイヴが存在しているにもかかわらず、存在していないかのように扱われたのです。

それ故に、心を開く機会を失ってしまったのです。言葉を覚えていく最中で「可哀想」という意味を『仲間がいない孤独のこと』だと知り、“自分のことである”と自覚したことも「知恵の実」を食べたとされました。

最初のアダムとイヴは、創世記の登場するアダムとイヴではないと読み分けるに到りました。

最初に生み出されたアダムとイヴは、現代のこの時代まで転生したことがないことが確認出来ています。これは、人類創成の人体実験のカルマの全てを背負っていたことが理由であり、人類がその膨大なカルマを解き明かせるタイミングまで痛みを分かち合えるように到ったからというのが聖霊からの教えです。

最初のアダムにイヴの存在を宇宙人から知らさなかった理由は、“その方が生育によい”とされたからです。“目が見えないのだから余計な負荷をかける必要はない”と、実験体の存在であり、宇宙神からすればアダムもイヴも大切であるものの、全てが未知数である為、情報を集める為にもアダムとイヴの接触は極力避けるように努めたのです。

最初のイヴも実験の過負荷に衰弱して行き、宇宙全体のカルマの負荷に操られしまい、正気を失っていきます。宇宙人たちの眼差しによる無意識の殺害が引き起こされ、入水して亡くなります。

物理的には、『自殺』として見られた溺死です。養育する宇宙人の管理が怠け心により途切れ、その間に起きた出来事です。これは宇宙人全体のカルマであり、大切にしている存在を「虚を突かれるように想像を超えた流れの中で失ってしまう」ことが起きるのです。

「不注意」さえも「必然」のカラクリがカルマ(行為・業)の中にはあるのです。

楽園の追放に繋がる「知恵の実」は、「否定ありき」とした概念を人類にもたらし、宇宙全体のカルマも人類に背負わせたことでもあるのです。

人体実験の目的の一つに「宇宙人より優秀な存在」の創成でした。

宇宙人はとても優しく知性的であるのです。
この地球人類では想像すら出来ない感情制御が容易く、自己の制御はとても容易で、因果関係の計算も長けている為、無意味や無駄のことをしない合理的価値基準が徹底している存在です。

それ故に、感情的な希薄さが多分にあり、「意味も価値もなく、痛みが増大する自殺行為を好んでやる」ことは、人体実験の前には気づけないことでした。

人類が感じる母親を失うなどの喪失感を「100」と数値で示すと、1,アヌナンキで「2」、2,カストルで「4」といったほどで、あまり感情的な喪失感は重大な問題として引きずられない事実があるのです。

情緒が少ないのです。

3,ベガ「62」、4,アルタイル「7」、5,シリウス「15」、6,イプシロン「17」、7,プレアデス「28」、8,アルクトゥルス「28」、9,プロキシマ「2」、10,ベガ第二グループ「48」、11,リラ「32」、12,三つ星(オリオン)「45」、13,グレイ「98→2」、14,イーター「44」、15,プレアデス第二グループ(おうし座)「22」

ベガ、リラ、オリオン、グレイ、イーターは、負の感情を抱く肉体構造を持っていましたが、宇宙に進出出来るだけの無条件の許しと自己制御(愛)を持ち合わせています。


それだけ地球におけるカルマや負の感情は重圧でしかなく、宇宙人と比較すると「生まれたくない」や、「どうしてここにいるのだろう」という疑念が湧くのです。比較にならない苦しみを抱え持つことが、指導する宇宙人が仮にいても、与える教えと、受け取る感受性の差が明らかに違っていたのです。


結果的に、最初のアダムとイヴからのデータと共に、人類は言葉を手にするように変わっていきました。それから時を7万年近い時が過ぎてアトランティスの都市と共に幾つもの宇宙人の都市が誕生し、人類との調和した世界が築き上がります。

そのアトランティスの崩壊のいきさつが創世記のアダムとイヴと「知恵の実」の記述と関連した表現として残されているのです。

有能な肉体

伝承の中でのアダムとイヴの敬称は、宇宙人たちの人体実験の最高水準の結果を狙う初期ロットのことを指すものでもあります。始まりの二人の敬称であり、始めて人体実験が成功した初期生産群(ロット)を指すものでもあります。

この初期ロットは、身体的において、優秀であり順応能力に長け、蜂のような群が一体となって動く力を有し、攻撃性がなく、穏和そのものとした精神性を有する存在として生み出されることが目的でした。

攻撃性が生じた理由は、「知恵の実」という集合無意識からもたらされる孤独感であり、それは「否定ありき」の教育が為されてしまったからです。「肯定のみで解釈すること=生命の実」や「叡智や根源と繋がっていて離れることはない=生命の樹」を失ったことが人類のカルマの始まりになるのです。

それまでのホモ・サピエンスも人体実験が繰り返され、改良されているもので臓器畑(主に肝臓や胆嚢や脾臓)や血液の利用があり、「生命力の活性化の原料」として重宝されていました。宇宙人にとって、初期(8万〜4.4万年前の間)は血を、中期(4.4万〜2.2万年前)は労働の提供の方が重要な役割を担っていました。後期は(2.2万年〜9800年前)は観測し経過を見て、反応と育成を試みていた時期もありました。

宇宙人系の情報を知る人は、宇宙人が地球に金の採取に訪れたとする知識を持っているかと思います。それは正しいものですが、副次要素です。

宇宙人、アヌナンキ(カストル)の飛来の目的は1,調和点/特異点の発見、2,銀河の保護/休養地/惑星改良、3,生体実験場に適した場所の探査、4,レアメタルなど金の採掘など、5,観光要素としての銀河調査、6,植民地惑星、といったものがありました。

銀河における星々の調和を図りたいと考えており、太陽系がその中心的な役割を果たすものだと調べが付き、派遣されたのです。実際に飛来してみると他の宇宙人の関心が示されるものとして充分な環境だとわかり、この地球での関わりを通して関係性をより良好なものにしていこうとした狙いがありました。

家畜か? 奴隷か? ペットか? 友か?

人体実験における言葉が話せる知能を有するようになることで、臓器提供や血液採取の為の家畜という位置づけから解放され、労働のみの奴隷から解放され、ペットのような愛玩要素から解放され、人類は宇宙人の模倣要素の高い友のような扱いへと高まっていきます。

とても長い年月を通して変化していきましたが、宇宙人から情報を得た人々と、得られない人々での知恵の発達の違いが顕著に見られました。

宇宙人の指導から、人々への伝達情報は維持され地球で適しつつも、地球種は変化に対応しにくいものだと解り、状況や四季の変化に対応出来る知能の高いリーダーを養成していくことに繋がっていきます。これが3.5万年前の時代であり、そこから争いが勃発するようになります。

それからあらゆる手段を使い、対立化してしまう問題に対処するようになりますが、混乱を来しつつもアルクトゥルスが中心となり、サハラ砂漠が形成される前に文明が作られていきます。これがレムリア期とされるものです。

他の宇宙人は、大がかりな干渉までに到らず、距離を取らせることで対立するのを防いでいました。3.5万年前〜2.5万年前の期間は、各地域においては500人規模以上には人口が増えていかないものだとされ、200〜300人程度になると分裂して行く傾向を観察しているものでした。

サハラ文明は、人類を多く育成して様々な文化を発展させつつ、多大な恩恵をアルクトゥルスと地球各地にもたらしていきました。3.1万年前から、800〜1200年ほど続いたサハラ文明は、宇宙人の管理を嫌がるグループと、従順に従うグループと、宇宙人に対して危険視するグループと、逃亡やルール違反した処罰されるグループに分かれていき、人類同士で粛正し合うようになっていきます。

人同士の争いは容認していたものの、人が宇宙人の所有物や機械を与えてもらおうとすり寄るようになり、関与をやめてサハラ文明は破壊、放棄されることが決まります。砂漠化するまで史跡が残らぬようチリにされたのです。この時の虐殺が長く尾を引き、アルクトゥルスの崩壊(9800年前)へと繋がります。

アトランティスの崩壊後、宇宙人は再起を賭けるものの失敗に終わります。ハイブリッドの人と宇宙人の子をたくさん生み出したものの、宇宙人にねだるような要求ばかりして、自立への道を進まなくなったためその粛正として地球規模の洪水を引き起こしました。これがノアの箱舟で記録され、この虐殺の反動でベガの星は崩壊へと到るのです(9800年前)。

プレアデスは、人々を過剰な労働や、金などの採掘に従事させ、一方的な搾取を強いたことや、大量に人類をプレアデスに移してペットとして販売することで憎みや恨みを集めてしまいます。金と人を移動させたことで地球の憎しみや恨みまでも、プレアデスに移行することとなり、地球と関わった星々の中で最下位の立場に立たされた為、集中的にカルマの力が働き崩壊しました(7800年前)。

炎の剣

アダムとイヴ(全人類を指す)の楽園の追放は、カルマの形成以外にも、宇宙人との関わりにおいて、ネガティブな発想を抱くようになった為でもあり、人類の心に余裕がなくなったことにもよります。

今でこそ人類は、多民族で形成された地球人とした認識ですが、宇宙人たちは一つの星に一つの種族くらいに単純明快なもので、複雑な絡みは存在しておらず、同種同士での争いなど理解出来ないものでした。

宇宙人同士での関係性は、知性的で互いに征服しようとはせず、高度な文明としての振る舞いが律せられているものです(紆余曲折はあります)。

宇宙人同士は対話もあり、交流もするものですが、利害が一致しなければ解決策を模索し、決して争いで解決せず、状況をより良く改善する為にどちらかが問題の全てを担い解決へと取り組むものです。

ただし、2.2万年前までは未文明である惑星には、これが適応されませんでした。惑星として統一されず、宇宙に進出せず、進出しても他の惑星探査が独自で可能でなければ植民地として「何をしてもよい」という扱いでした。これに明確に規制がかかるのは、西暦14世紀辺りからです。

7800年前にプレアデスの星の崩壊を機に、宇宙人は撤退しつつも、カルマを和らげることと、未文明である地球の文明化を加速する為に、アトランティスの失敗と、その後のハイブリッド化の実験の失敗を踏まえ、シュメール文明から人類の教育が為されるようになりました。

アヌナンキはカストルと共に、全ての宇宙人と、より良好な交流が持てる場として地球を平和活動の場とし、三つ星(オリオン)を始め、シリウスや、ベガに協力してもらいつつ、知性を与え、育てようとしました。

アヌナンキやカストルの狙い(攻撃性のない人類の創成)において、地球人に対して、完全に干渉しないことだと気づいたのは、アヌナンキの母星を失ってからです。これを期に西暦14世紀から干渉しない盟約が結ばれ、宇宙人の姿が消えたのです。


地球は各種宇宙人を結びつけて行く上で霊的な学びの場として存在するものでしたが、その本質的な意味に気づくのは紀元前7800年頃(プレアデスの星の崩壊)のことでした。これが文明干渉に入る切っ掛けになりつつも、14世紀に終わり、後は自力での成熟を祈るだけになったのです。

人類が深い哀しみを抱き、楽園から追放されたことは、カルマが形成(抜け出すことが出来ない因果の輪)されてしまうことを意味しました。

このカルマの輪のことを「回る炎の剣」と表現しているものです。

自らの心が燃えさかる哀しみの炎に包まれ(カルマ)、身を焼き焦がすほどの苦しみや恐れの中でも、「苦しみや恐れの中に飛び込んででも真の(聖なる)剣を掴む」ことで、エデンの園(純粋愛を根源とする真心の世界)へと戻る道が開かれることを示すものです。

「真の剣」という言葉は、純粋な真心で物事に打ち込む生き様であり、この「真の剣」が「炎の剣」と変わり果てた姿とし、いたたまれない気持ちから想像することで、人類が課せられた宇宙人との間で作り上げた問題があり、それに取り組み解き明かす必要があるのです。

智天使ケルビム

エデンの園の解釈は、真我と自我の関係性で示すことが出来、「エデンの園」=「真我」というニュアンスで概ね間違いではないものです。純粋愛の真心であり、梵(ぼん)の現れです。

「知恵の実」は、孤独の心から判断してしまうものである為、ネガティブさを含ませた物言いや解釈です。これは真心が欠落しており、純粋さに見せかけたずる賢さがあるものです。カルマの輪は、心を開かなくなった人たちで世界を形成しており、純粋な真心の人からの言葉が「悪い人からの囁き」として聞こえ、悪い人からの言葉が「善い人からの導き」として聞こえて堕落していくことを指します。

「善悪を知る」ことは、「悪にならぬように善いことを為す」とした概念形成を生むため、相対性理論において対称性の破れに到る「善悪説」は虚偽であり、真理に基づかないものなのです。「善悪を語る」ほど「知恵の実」を食べ続けることになる為、誰かや何かを「悪く捉える発想力」がある限り、必ず犠牲的世界を生み出して、誰かを苦しませ、恐怖に陥れる世界を維持することになるのです。

「炎の剣」と化した心の檻に閉じ込められた人類は、そこから抜け出すことが出来ないものです。

今の時代に「悟りを開く重要性」を公で説くとするなら、「真っ当に耳を傾け、即時行動に移す人が圧倒的に少ない」と想像出来てしまいます。

日本社会においては、未知なる知識を届けようと勧誘すると、「宗教」や「詐欺」だとし、どちらも同義のように扱われる文化を形成しています。

これはかつて信じた結果、信じたようにうまく行かなかった喪失感がある為です。二度と哀しまないように「詐欺」と同義にして扱うことで、身を守るように「知恵の実」をかじり続けている現代人がいるのです。

それでも、世界規模としてカルマの輪を無くすために、「炎の剣」の炎を消し去り、「真の剣」に戻すことを為さなければならないのです。

「攻撃性のない本来の人類の姿」に到る為にです。

生命の樹(実)への帰還は、「ケルビム」という智天使が、人々の中で多数集まることで成し遂げられるものです。

旧約聖書にある創世記の記述には、「神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎の剣とを置いて、命の樹の道を守らせられた。」とあります。

この東とは、朝日が昇る方角であり、未知なる世界を連想させるものです。恐れを知らぬ超越された根源の愛を信じることが出来たとき、ケルビムが何かが解り、回る炎の剣を消し去り、「真の剣」に変え、エデンの園に還り着き、愛の姿のまま生きることが出来るのです。

智天使「ケルビム」は、人の心の在りようを全肯定出来る道を指し示す霊的存在であり、意識のありようの「形」とするものです。

このケルビムの意識を持てるようになると、覆われていたカルマを外すことが出来、認知の歪みの中に封じられていた思いを解き放っていけます。仏教で言うところの「魔羅(マーラー)」の檻を壊して消滅させる力を有するものです。

まずは否定からは何も生み出さないと気づくことです。

人との対話において、解釈を仮に否定するならば、真理に基づく閃きの叡智から肯定へと導けることを表現しているものです。

否定するなら代替え案を出し、それを相手が「承諾できる高尚なレベルで与えること」が出来ると伝えるものです。

ただ、一方的に頑固に執着して否定する者は、智天使の教え(真理の教え)であれ、拒絶し続けることが可能です。それでも多数の人が真理を解き明かせるならば、拒絶させることさえ出来なくなり、「悪魔」や「邪鬼」さえも止滅させられるのがケルビムです。

「拒絶し続ける心」を「悪魔」や「邪鬼」と称し、嘘の教えにねつ造された、「愛に帰還させることのない苦しみ」がここにはあります。「知恵の実」を食べ続ける者たちは、様々な方法で愛への帰還を拒みます。

⑦「悪魔」に取り憑かれた者は、献身的に尽くすことよりも自己犠牲を求めます。

⑥「邪悪」に魅了された者は、信頼よりも不信から関わります。

⑤「悪鬼」に呑まれた者は、平安よりも不安を選び取ります。

④「邪鬼」に閉ざされた者は、勇気よりも恐怖に従います。

③「悪想念」に惑わされた者は、行動するよりも人のせいにして動かないでいます。

②「邪念」に蝕まれた者は、協力することよりも不調を来して病に倒れます。

①「鬼」に操られた者は、友好的でいることよりも拒絶して忌み嫌う道を貫きます。

(⑦〜①はチャクラに対応します)

東の方角(未知なる今)が炎の剣で閉ざされているからと、それをそのまま「炎の剣」として見るのか、炎などどこにも存在しない(孤独や哀しみなど最初から在りはしない)とした「真の剣」として見るのかにより、不信も不安も虚偽であり、悪魔や邪鬼によって覆い隠されたエゴのたわごとだと見抜いて、信じ切ることから飛び込むことで「未来」へと踏み出せるのです。

それが「今を生きる」こととなります。

西洋では、「真の剣」よりも「聖なる剣」として表現され、聖剣エクスカリバーを抜いた者がこの世界を平定すると論じられるのは、純粋な愛の心に従えるようになり、人の心に潜む悪魔や邪鬼を祓い清め、愛に目覚めさせる力がある人を勇者や英雄と扱っているのです。

智天使「ケルビム」の恩恵を受ける者は、自らの脳裏に潜む悪魔や邪鬼などを払い除ける知恵を貸してくれます。不信や不安を養護し、慎重論を説くだけで行動に移さない愚図愚図な心や、駄目出しばかりして自分をいじめ抜くだけの心なども鬼であり、悪に染まったものは、紛れもなく自身の「聖なる心」です。洗い流して清めなければならず、それを可能とするのがケルビムの加護です。

「答えられない問いは存在しない」として、智天使ケルビムの加護を受けた転生したアダムとイヴは「炎の剣」の炎を消し去り「真の剣」を手にしてエデンの園に還りました。

アダムとイヴは人々に「生命の実」を与えることで「知恵の実」を止滅させ、皆の心を覆う第一の「炎の剣」を消し去り、「真の剣」を与え、真実の愛に気づかせる道を開きました。

創世神話は次の時代へと変わるのです。

「真の剣」を与えられた人類は息が続き、「炎の剣」を持ち悪魔という幻想と戦う者たちは、自ら見る幻想に敗れて世界から退場することとなるのです。

「エデンの園」に還ったアダムとイヴは自由に生きられるように心が開かれたのです。

つづく

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