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「演じること」の匿名性についてー宮部みゆきさん『R.P.G』を読んで

今日、紹介したいのは、宮部みゆきさんの『R.P.G』です(夏の文庫フェア限定のカバーがかわいい)。宮部さんは言わずもがな、日本ミステリー界のトップランナーなわけですが、その作品の魅力のひとつに随所に散りばめられた時代への鋭い洞察があると思います。

『R.P.G』は、ある2つの殺人事件の解決をめぐり、事件の背後にあったインターネット上のコミュニティの歪な人間関係を紐解いていく物語です。

舞台は90年代。インターネット黎明期と言われた時代です。登場人物のほとんどが携帯電話すら持っていません。現代とはあまりにも異なるネット環境です。

事件はある中年男性の殺人から始まります。実はこの男性は妻子を持つ身でありながら、ネット上に「家族」を持っていた。浮気とか不倫とかとも異なるコミュニティとしての家族なのです。彼らはネット上の掲示板やチャットで交流を深め、オフ会なども実施しています。

SNSが主流となった現代、ここで描かれるネット上のコミュニケーションは時代錯誤でしかありません。なんならノスタルジーすら感じられます。
※僕も中学生時代「ぱどタウン」にハマっていたのを思い出しました(わかるヤツだけわかればいい)。

しかし、宮部さんが描き出す、登場人物間のコミュニケーションのあり様は、決して当時のネット環境の下に限られたものではありません。宮部作品の真の魅力は、綿密な時代描写に包まれた、人間社会に横たわる普遍的なテーマへの挑戦にあるように思います。

「家族」を形成した4人は、それぞれハンドルネームで顔も見えない「匿名性」の中で連絡を取り合う。その反面、母・父・息子・娘としての立場を演じ、あたかも本当の家族のようにコミュニケーションをとっているのです。しかし、それはあくまで仮想のものであり、不安定なものです。それぞれが異なる想いを「家族」に託している。家族の代替であり、ただの興味の対象であり、あるいは本当に家族になりたいという想いであり…。

この本のタイトル「R.P.G」はロールプレイングゲームの意。まさに彼らがやっているような「何かを演じること」を示しているように思います。(実際はさらに深い意味が込められていますが、ネタバレになるので明言は避けます)

この本の結末まで読むと、この「何かを演じること」というのが、決してインターネット上に限られたことでないことに気付かされます。「ネットは匿名で相手の顔が見えないから危ない」なんて言われますが、こうした言説は本当に正しいのでしょうか? 仮に目の前にいる人物だとしても、私たちは互いをどういう人物なのかどうか、その”素性”を知っているのでしょうか?

実際のところ、私たちが他者を認識できるるのは、所属や肩書、あるいは経歴・属性など、その人を定義付けするものが存在するからなのかもしれません。リアルに出会った人でも、「この人は、○○さんの家族で、○○社に勤めているんです」と言われたら、それを信じたうえでコミュニケーションと取るしかない。もし、そのバックグラウンドが架空のものであっても、それが事実であると信じている限り、コミュニケーション自体は成立するのです。

そう考えて、古今のミステリーを振り返ってみると、洋の東西を問わず多くの作品で「Aという人物は本当はBだった」みたいなトリックが採用されているのに気づきます。事件を紐解いていく中で、ある人物の知られざる顔が浮き彫りになっていくパターンです。彼らは、何かを演じることによって、”素性”を隠していたわけで、いわば匿名の何者かになっていたのです。

つまり、「Aという人物が何かを演じること」というのは、「匿名性」の中に身を隠すことと言えそうです。そしてこれはネット社会であろうと現実世界であろうと、同様に起きうるし、現に私たちのまわりにも(私たちが気づいていないだけで)確実に存在しているのです。詐欺師なんてその典型です。詐欺師はネット上にしか存在しないわけじゃない。けれど、彼らは素性を隠し、他人を欺く。

『R.P.G』は、そうした「何かを演じること」が孕む「匿名性」というテーマを、当時のネット環境に凝縮し、ある意味極大化させて描いたともいえると思います。そして、同時にそれがネット上だけに生じているわけではないことを描き出す(ここに読者は騙されます)。

この本が書かれたのは90年代。当時と今とではあらゆることが変わってしまっています。なので、内容を細かく読んでいると、どうしても古く感じる点もある。でも、そんなこととは関係なく、おもしろく引き込まれるポイントがあるのです。詰まるところ、その本が時代を超えるかどうかは、そこに描かれたメッセージの普遍性が鍵を握っているということでしょう。仮に、社会情勢や最新技術を取り扱ったものであっても、そこに普遍性があれば、時代を超えてもおもしろく読めるものなのだなぁ、と改めて思ったのでした。
(D)

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