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児玉雨子『##NAME##』とハロプロとアイドルの名前の話

突然ですが、私は俗に言うハロヲタ(※)です。(※モーニング娘。'23などが所属するハロー!プロジェクトをこよなく愛する紳士淑女の総称)

私の観測しうる範囲のハロヲタが、近年圧倒的な信頼を寄せている作詞家が、児玉雨子さん。
惜しくも受賞は逃しましたが、第169回芥川賞にノミネートされた、小説家としても大注目の書き手です。
こういう場ですからさん付けをしてますけれども……ヲタク仲間では「雨子は神」「新曲、作詞雨子じゃん。勝った」とか、大体呼び捨てです、親しみの表現として。すみません。

そんな雨子さんの芥川賞ノミネート作『##NAME##』を読んで、ハロプロについて、アイドルについて考えた、一介のオタクの駄文です。

1.一介のハロヲタが児玉雨子さんを信頼する2つの理由

言葉遊びの巧みさ、ストーリーを感じさせる世界観、なぜかときどきものすごくぶっ刺さるパンチライン……。雨子さんの詞が好きな理由はたくさんあるのですが、「信頼している」と思える理由は、多分主に2つ。

1つめは、社会に対する眼差しの確かさ
雨子さんは私と世代も近く、おそらく社会に対する問題意識の持ち方も似ている。と勝手に思っています。
だから、この人は絶対にこちらを失望させるような歌詞は書かないし、私が社会に対して抱えるもやもやを言葉にして世に放ってくれる人だと、信じてしまっているんですよね。

もしも争いのない未来
誰かが堪えてたら意味ない
夢に見てた自分じゃなくても
真っ当に暮らしていく 今どき

アンジュルム「46億年LOVE」より

老若男女…いや! どれでもないな Say Hoo!
オリジナルのYou

モーニング娘。'21「ビートの惑星」より

ポップミュージックのポップな世界観の中で、きちんとこういうメッセージを織り込んで曲をつくってくれる。それが児玉雨子なのです!!


信頼している理由の2つめは、絶対にアイドルを祝福してくれるということ。
アイドルである女の子たちが、自分ごととして歌っていく曲である以上、その曲はファンに届く以前に、彼女たちに贈られる曲だと思っていて。
もちろん雨子さんがハロプロに贈ってくれた曲にもいろいろなタイプがありますが、基本的にアイドル自身が自分の存在価値を感じられるような、そして歌っていてポジティブな気持ちになれるような、そういう歌詞をちゃんと手渡してくれているという、信頼があります。

友よ 約束しよう
迷ったら ここに集合
友よ 前だけ向けよ
こんなもんじゃないだろう?

アンジュルム「友よ」より(卒業メンバーを送る定番ソング)

ME ME もっともっとギブミー
ビタミンME(ME! ME!)
得意はバラバラ 集まって
We need ミラクル・シナジー
ビタミンME(and YOU!)
意味ないことなど ないのだよ
誰しもひとりでは ないのだよ

BEYOOOOONDS「ビタミンME」より

ほら、信頼するしか、なくないですか?

2.純文学の雨子さんがキレッキレでも、揺るがない信頼

はい。そうなんですけれども、今回の『##NAME##』。(やっとここから本題です)
いや、雨子さんね、めっためたにアイドルを(というかアイドルビジネスを。個人ではなく、総体としてのアイドルを)ぶっ刺してきてますやん……!!!

もちろん信頼は揺るがないんですよ。揺るがないんですけれども。
普段あんなにアイドルへの愛にあふれた詞を書かれている雨子さんが、場所を純文学の世界に移したとたんに、世界観が違いすぎるぞ!
(単行本デビュー作の『誰にも奪われたくない/凸撃』も読んではいるので、純文の世界で豹変するのは知っていたのですがね……明らかに『##NAME##』が出色の作品だったので、とりあえず今回は『##NAME##』の話だけします)

でも、そうなんです。信頼は揺らがないんです。
それどころか、むしろ信頼が高まった。
それでこそ俺らの雨子だよ。(何様)

要は、上で挙げた信頼している理由のひとつめの方、「社会への眼差し」が、やっぱり確かで、信頼できるものであることが、証明されたようなものなんですよね。
上述の理由①と理由②には、結局のところ矛盾があります。
アイドル業界には、やっぱり絶対的にうまくいっていないところがあって、闇がある。
その問題意識は私だって持っているけれど、でもやっぱりアイドルは輝いているし、生きる活力をくれる存在だし、大好きなんですよね。
その葛藤を日々抱えているのが、まともなドルヲタ(アイドルヲタクの略)だと思うのです。

作詞家である雨子さんも、こうやって相反するものを抱えながら、仕事をされているのだということ。葛藤があった上で、いや、葛藤があるからこそ、アイドルたちにはあんなに愛のある詞を手渡してくれるのだということがね……やっぱり信頼にしか値しないわけですよ。

3.『##NAME##』に突き付けられたアイドルと「名前」の関係

『##NAME##』は、「アイドル」の話とも「名前」の話とも言い切れなくて、そのほかの主題も含めてさまざまなテーマが共存しつつ関連しあっているところが、文学として素晴らしいところだと思っているのですが、ひとまずここでは、アイドルと名前について話します。
(重要なネタバレはしませんが、内容には触れますので悪しからず…)

ハロプロのアイドルたちは、基本的に実名で活動しています。
普段の呼び方はあだ名だったり、ストレートに○○ちゃんだったり、いろいろですが、我々ファンはどうしても絶対に、その子の本名を消費していることになります。
その自覚があったか? と雨子さんに問われると、NO、ごめんなさい、です。

この作品で描かれた、分かりやすいアイドルビジネスの負の部分は、児童ポルノ的な方向のことですが、それ以上に、現実的な自分の推し活に関わることとして、アイドルビジネスというのが、その子の本質に関わることを消費しているよね、という問題を、改めて突き付けられました。
「本質」の分かりやすい例が「名前」だけれど、性格や、来歴や、笑い方や、全部そう。

前提として、私はアイドルを推すということは、楽曲やアー写の外見だけではない、パーソナルな部分を楽しむということだと思っているのですが、そのパーソナルな部分に、「名前」というのは非常に大きくかかわってるんだよなという、当たり前のことに気づかされました。あまりに根本的すぎて、そこの認識を持てていなかった……。

もちろんアイドルと呼ばれる人以外にも実名で活動している芸能人、有名人なんてたくさんいるので、結局アイドル以外とも地続きの問題なんですが、やっぱりアイドルはそもそもが「パーソナルを見せる」業態である以上、そこで用いられる「名前」と自己認識や自己評価との近接がものすごいのだなと……。

想像してみれば、確かにそうなんです。
だって○○ちゃんは、アイドルとしてステージに立っているときも、SNSでバックステージの姿を見せているときも、家で家族と過ごしているときも、ずっと○○ちゃんなんですから。
(実名でなけりゃなんでもいいみたいなことでは断じてないんですが)

いつかアイドルを辞めたあとも、その子が一生付き合っていかなくてはいけない「名前」を、呼ばれるたびに幸せを感じられるもの、その子にとっての大切なもの、として持ち続けてもらえるのかどうか。
それは、ヲタクの方の態度にかかっている。
そんな影響を与えうると考えることさえも、ある意味おこがましいのですが……でもヲタクは謙虚に、この推し方でいいのだろうかと、この推し方が彼女/彼を不幸にしないかと、問い続け、葛藤しながら、推し続けるしかないのだと思います。

だって、私の大好きなあの子、私を救ってくれるあの子には、自分の名前に、そしてその名前で呼ばれる自分自身に、誇りを持って人生を送ってほしいから。

ーーヲタクをこじらせると気持ち悪いのは承知してますが、この程度の葛藤もなくアイドルを消費するのはどうかと思うので、みんな悩も???

▼アイドルを応援することについて、悩んだときの参考文献(もっと悩むだけとも言う)

▼児玉雨子の詞を知りたい方へ!おすすめハロプロ曲

(「抱きしめられてみたい」は文学なんで、最後まで聴いて、絶対)

and more…💜
(I)

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