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【感想】僕の名はアラム ほのぼのとしたユートピア的物語集

 家族というコミュニティの中でのユートピア的物語集。アラムという主人公の少年を中心にして、ゆるゆるなおじさんたちが出てくる。
印象的な話があったり、たまに出会うキラッと光る文があったり、いろんな種類の楽しさがある短編集だなあと思いました。その中でも特に印象に残った短編を紹介します!

美しい白い馬の夏

 およそ十一世紀にわたって正直で有名なガログラニアン家だが、アラムのいとこで一族の頭のおかしい系譜を継承しているムーラッドが盗んできた美しい白い馬を夏の1ヶ月の間で乗りこなそうとする話。
 アラムは盗みを働くなんて論外だ、と思っています。しかし、盗みを働いたムーラッドこそが、馬と心を通わせることができています。

どうやってそんなことできるの?と僕は言った。
馬と気持ちが通じ合っているのさ。
うん、でもそれってどういう気持ちなの?
素直で正直な気持ちだよ。

 このようにして、動物たちと心を通わせているムーラッドが一族の中で1番正直な心を持っているのかもしれないなあ、と思わされました。

三人の泳ぎ手

アラムといとこのムーラッドとポルトガル人のジョー・ベッテンコートの三人で春先の冷たくて友好的ではない川を泳いだ後に、体を温めに入ったよろず屋の年寄りの主人との会話の話。

 よろず屋の主人は、アラムたちとの会話の中で、三人が川で泳いだことや違う言語を話せることに驚き、奇妙な返答をします。

いやぁ、私は均されるねえ、とあるじは言った。耕されて、刈り込まれて、積み上げられて、燃やされて、木から摘まれて、あと何だっけ?箱に放り込まれるんだっけな、で蔓から切られて一粒一粒十代の女の子に食われるのか。

アラム達はこの店を出て、あの人、頭壊れてたのかな、という会話をしますが結論は出ません。一ヶ月後、また川で泳いだ後によろず屋に入ると、前にいた主人はおらずずっと若い男が店番をしています。その若い男にジョーが聞きます。

あの人頭壊れたんですか?とジョーは言った。
そいつは難しいな、と若い男は言った。はじめは俺も壊れてると思った。でもそのうち、そうじゃないと決めた。この店切り盛りするやり方見てると、壊れてるって思いたくなる。売るよりただであげちまう方が多いんだから。喋るのを聞いてても、やっぱり壊れてると思う。でもそれ以外は大丈夫だったよ。
ありがとう、とジョーは言った。
店はいまやきちんと片付いていて、ひどく退屈な場所だった。
あいつ壊れてるよ、とジョーが言った。
誰?と僕は言った。
いま店にいる奴、とジョーは言った。
あの若い奴?と僕は言った。
ああ、とジョーは言った。あそこにいるあの新しい、何も教育を受けてない奴。
俺もそう思う、と僕のいとこのムーラッドが言った。

ある人の奇妙な振る舞いに対して、頭がおかしいと決めつけるのではなく、なぜそのような振る舞いをしているのか、きちんと背景を想像することが大事だなあ、というのは非常に共感するところでした。

彼はほんとにすごい人だった。二十年後、あの人は詩人だったのだと僕は決めた。あの小さなさびれた村でよろず屋をやっていたのは、はした金のためなんかじゃなく、その何げない詩情のためだったのだと僕は決めた。

あざ笑う者たちに一言

アラムがジコおじさんに言われて、町を出てニューヨークに行くために、ソルトレイクシティまでバスで行きます。そこで、

すごく背が高い、憂い顔にオーバーオールを着た五十くらいの男

に会います。そして、

僕に小さなパンフレットを渡し、君、君は救われているかね?

と聞いてきます。そして、真理を見つけるために必要なただ一つのことを教えてくれます。それは

いろんなことを自分で考えようとするのをやめて、信じるんだ。

ということでした。そして、何を信じるのかを尋ねるアラムに対して、

何もかもをだよ。思いつくこと何もかもだ。左、右、北、東、南、西、二階、一階と四方、内、外、見えるもの、見えないもの、善と悪とそのどちらでもないものとその両方であるもの。

と、その宗教の人は言います。
そして、アラムは老いぼれ牧師さまをからかったつもりでしたが、図らずも全てのことを信じており、そのことで本当に救われます。
「信じるものは救われる」という聖書の言葉そのままの物語でとても印象的でした。

以上です!最後まで読んでくれてありがとうございました!




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