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現代における父親的なものの不在 〜「破局」 遠野遥〜

 163回芥川賞を受賞した「破局」を読みました。主人公のラグビーに打ち込む陽介、その親友の膝、陽介の恋人の麻衣子、陽介が恋してしまう灯。

 描写の鮮やかさ、登場人物の現代感、物語の展開、一気に読めてしまうのに読了後に残る衝撃の強さが印象的な本でした。

 以下は、主人公を中心にした記事作成者の感想および考察記事になります。新鮮な気持ちで読みたい方は読まないでください。
 
それでは行きます。

主人公のキャラクター

 この本を読み終わって、まず最初に感じたことは「主人公はどこでどうしたらよかったんだ...」というやるせなさでした。物語の流れの強さ、それに乗っていく主人公の心の動きがとても自然で一気に読了できました。

 主人公は、善良な人、子供や動物、特に女性に優しく、ラグビーで相手を(ルール内で)つぶすために最適な理論を考え、自分の筋肉も鍛え上げられる、公務員試験のための試験対策もほぼ完璧にこなす、村上春樹の「海辺のカフカ」の少年のように目的を達成するためならストイックな努力も厭わない大学生です。

 高校時代のラグビー部の恩師である佐々木は主人公のことを回想して次のような話を聞かせます。

「今でも覚えているよ、陽介が仮入部に来たときのこと。途中から大雨になってグラウンドはぐちゃぐちゃで、今日は引き上げようって言ってるのに全然やめようとしなくてな。全身泥だらけになりながら、脇目も振らずに何回もタックルバッグに突っ込んでて。(中略)あのとき俺はまだ顧問になったばかりで知識とかも全然なかったから、申し訳ないけどちょっと頭がおかしい子なんじゃないかって思ったな。申し訳ないけど。ほかの一年生もちょっと引いてたよな。(以下略)」

これに対して主人公の反応は以下のものでした。

佐々木が歯を見せて笑った。あまり白くはない歯だった。佐々木の妻も笑っていた。佐々木の妻の歯は、佐々木よりもう少し黄ばんでいた。彼らくらいの歳になると、人間の歯は自然と黄ばみゆくのだろうか。そうだとしたら憂鬱なことだ。

 これだけで主人公の特徴が分かる気がしますね(笑)

どこか愛が欠けている

 描写される主人公の反応や感情にはどこか愛が欠けているように感じられます。確かに善良な人、子供や動物、特に女性には優しいのですが、それ以外の人を見ても客観視するだけで、それ以上の暖かい感情はなにもありません。

肉を平らげた頃に、スーツの男がやってきて隣の席に座った。男はひとりで、社員証らしきものを提げ、私と同じ肉を頼んだ。男は左手で携帯電話を触りながら、脚を大きく開き、出された肉をチュッチュッと音を立てて食った。私は人生のかなり早い段階でひとりで飯を食っている男には、チュッチュッという男を出す者が多いと気づいていた。長らくひとりで飯を食ううちにチュッチュッという音を出すようになるのか、それともチュッチュッという音を出すから誰も一緒に飯を食わなくなるのか。

 どこか愛がないように感じられるのは、父親から「言われたから」優しくしている、という感じを受けるからかもしれません。

私の父は、私がまだ小さい頃にいなくなった。だから思い出はほとんどないけれど、女性には優しくしろと、口癖のように言っていたのだけはよく覚えている。どうして女性に優しくしないといけないのかはわからないが、私は父の言いつけを守っていたかった。ああしろこうしろと言われたら煩わしく感じるかもしれないけれど、ひとつしか覚えていないのだから、せめてそれくらいは守っていたかった。

 ちなみに、小説を通して主人公の家族についての描写は、この「いなくなった父親」についてのみでした。(主人公が他の家族をないがしろにしてるかどうかまでは分かりませんが)

「父親の不在」がもたらしたもの

 主人公の家族の直接的な描写はありませんが、次の場面でも「父親の不在」が意識されました。
 主人公が灯に温かい飲み物を買ってあげようとしたが、自動販売機に冷たい飲み物しかなかった時に、突然涙があふれて止まらなくなる、という場面です。この理由について主人公はこのように思います。

私は自動販売機の前でわけもわからず涙を流し続け、やがてひとつの仮説に辿りついた。それはもしかしたら私が、いつからなのかは見当もつかないけれど、ずっと前から悲しかったのではないか、という仮説だ。だが、これも正しくないように思えた。私には灯がいた。灯がまだいなかったときは麻衣子がいたし、その前だって、アオイだとかミサキだとかユミコだとか、とにかく別の女がいて、みんな私によくしてくれた。その上、私は自分が稼いだわけではない金で私立のいい大学に通い、筋肉の鎧に覆われた健康な肉体を持っていた。悲しむ理由がなかった。悲しむ理由がないということはつまり、悲しくなどないということだ。

 しかし、この場面での仮説が正しいとすれば、何が主人公を悲しくさせたのか?
 これはあくまで本記事作成者の推測ですが、それこそが「私がまだ小さい頃にいなくなった父親」が原因ではないでしょうか。父親がいなかったことで、幼年期に受けられるはずの愛情を受けられず、いまでも愛情を求めているのがこの主人公ではないか。そしてこの主人公が愛情を求める時には「女性に優しくする」ことが必要なのに、「温かい飲み物」という優しい行動ができず、結果として愛情も受け取れない、そのことに悲しくなっているのではないか。父親がいなくなってから、そのようなジレンマがある度に、悲しくなっていたのではないか。

 さらに気になるのが、主人公が公務員を目指していること。親友である膝が就職活動をしてようやく一社から内々定をもらったことで、お笑い芸人を目指すという確固たる意思を固めた後で、主人公にこう問います。

そういえば、お前はどうして公務員になりたいんだっけな。今度聞かせろよ。

 物語の中では、この問いへの回答はなく終わります。しかし、「父親」といういわば一番身近な人生の「お手本」が不在である、という状況において安定した公務員を目指すという選択はとても現実的なのかもしれません。

現代における「父親的なものの不在」

 この文章を書いていて、この主人公の現代における普遍性について考えました。
 「愛情の不足」についてまず考えたのは河合隼雄の言葉でした。「昔は、毎日、ご飯が食べられるだけで親の愛が子どもに伝わったが、今は毎日のご飯くらいでは親の愛を感じられない」というもので、現代の子育ての難しさに通じるかもしれません。モノと情報が溢れている現代において、子供が本当に「愛されている」と感じるような子育てをすることは本当に大仕事だと思います。
 「父親的なものの不在」ついては、先の見通せない、不確定な現代社会の特徴と通じるものがあります。現代の社会においては、情報技術の発展、コロナのような感染症もあり、1年後のことも実際のところは分かりません。したがって、「この人と同じ人生をたどったら良い」「この人についていけばよい」というようなお手本を見つけることは難しく、自分で自分の人生を切り開いていくことが求められている状況です。
 こういった意味では、現在はだれもが「父親的なものの不在」に直面しているのかもしれません。

 主人公をメインに感想を書いていきましたが、他にも色々な読み方ができる小説で、良い小説だなぁ、とこの文章を書きながら改めて感じました。

以上、最後までお読みいただきありがとうございました!!!


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