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5 気功のない私はただのゴミ


 今日は、友人に気功を教えていました。
 初心者だったので、気を出したり、感じたり、気の玉を互いに触り合ったりと、基本レベルだったけど、楽しんで貰えたと思います。
 
 気を感じるだけでも、今まで生きてきた世界とは180度異なっているから、結構面白かったんじゃないかな、と。
 
 私も人に気功を教える経験を積むことができて、為になったし楽しかったです。
 やっぱり私は、人に何かを教えたり、知識を共有することが得意だし、好きなんだと思います。
 
 気で球体を作る。
 気の玉は、気功における基礎だけれど、奥義だとも言えます。
 中には、気の玉を作る為だけに、何十年と費やした人もいるくらい。
 
 それほど重要な技術が気の玉であり、この気の玉を作れるだけでも、ひとまず気功師と名乗っても良いと、私は思っています。
 勿論それは、テニスでいうとラリーができるから、テニスのプレイヤーと名乗っても良いというニュアンスですけれど。
 
 あくまで、気功の初心者。
 しかし、気功の世界に参入したことは間違いありません。
 
 もう、あの頃の気功を知らなかった自分に戻ることはできません。
 たとえ、気功によって辛い目に遭おうともです。
 
 なんというか、それは、スマホのデータをハッキングされた経験があろうとも、スマホを手放せないのと同じことです。
 
 どれだけ不都合だろうと、生きる上で必要なものは手放せないのです。
 私にとって、気功は生きる上で必需です。
 そして、気功を使えない私は、ただのゴミです。
 
 何故なら、気功以外に、私が社会に示せる価値はないからです。
 
 だから、気功を上達することは、私にとって何より重要なことです。
 成長を止めた私に価値はありません。
 道を踏み外さなければ、気功を学ぶ人は遅かれ早かれ、そういう心境になるのだと思います。
 
 気功がなければ、もう生きていけなくなるのです。
 
 それが幸せなことは定かではないけれど、どんな業界でも、それくらいの心境じゃないと上達しないと私は思います。
 不安なら、増やせば良いだけですし。
 
 気功がなければ、生けていけない。
 小説がなければ、生きていけない。
 恋人との関係が順調でなければ、生きていけない。
 
 そういった「これがなければ、生きていけない」ものを沢山作ることが、人生を充実させる上で重要なことで、そして、健全です。
 
 だから私は、気功の重要度をもっと上げていきたいし、もっと沢山の事柄を「これがなければ、生きていけない」ものにしていきたいです。
 
 勿論これは、あくまで私の個人的な考えです。
 だから、これから友人が気功を学んでいくことで、一体どのように価値観を変容させていくのか、とても楽しみです。
 
 

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