公共はアートをどこまで支えるべきか
昨日は、鳥取市内で開催されていたある室内楽コンサートに参加してきた。市内には室内楽に適したホールが少なく、今回開催されたところも音響環境はあまりよくなかった。
それにも関わらず、会場はかなり埋まっていて、恐らく200名以上の方が来られていたのではないかと思う。
今回のコンサートの趣旨は、鳥取に室内楽ホールを作りたい、という思いを持たれた方々の発意によって開催されたものだ。
私自身、室内楽が好きだし、個人的にはこうしたホールがもっとあってくれたらいいだろうなと思う。でもこのような場所は一体誰によってどのように支えられるのが望ましいのだろうか。
現在鳥取市では、中長期的に公共施設のスリム化を行おうとしている。財源も限られる中、施設の改修費や維持費を捻出するのも難しくなってきているのだろう。
一方で、医療や福祉など、人の生命に関わる予算を削ることは難しい。
教育もそうだろう。
文化芸術、アートへの資金拠出も、広く捉えれば「教育」と見ることもできるはずだが、日本ではまだこのあたりの了解が市民の間で取られていないように見える。
このために、冒頭のような室内楽のための小ホールを行政予算で作る、といったことも、市民レベルで相当な盛り上がりが起こるか、市長がかなり強い意思を持つかしない限り、なかなか難しい判断になると思われる。
親しくしているドイツ在住のジャーナリストの話では、ドイツでは市民の多くが、まちづくりにおける「文化」の大切さを認識し、「文化」をまちづくりの基軸の一つに据えているそうだ。
ここには数百年にわたる歴史的な積み重ねがあるので、簡単には真似ができないという。
確かに日本とドイツでは文化的、歴史的バックグランドが大きく違うので、簡単にドイツモデルを真似することは難しいのだろうが、日本にも日本なりのやり方がきっとあるはずだ。
昨日のコンサートでは最終版に、琴や三味線、バイオリンを組み合わせた演奏が行われていた。
琴は10台くらいの合奏で、その響きはバイオリンと合わさり、空間的な広がりを会場に与え、観客は熱心に聞き入っていた。
やはりこうした小さな活動の積み重ねが、市民を動かし、将来的に行政や国を動かしていくということに繋がっていくのかもしれない。
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